2019年03月20日

2019年3月24日 礼拝予告

〇教会学校 9時15分〜
主題:「主イエス、裁判を受ける」
聖書:ルカによる福音書23章6節〜25節
※礼拝後、分級が行われます。
※保護者の方々も是非、お越しください。
※31日は、合同礼拝です。礼拝時間は、10時30分からです。

〇主日礼拝 10時30分
主題:「福音の力を信じて」須賀 工 牧師
聖書:ローマの信徒への手紙16章25節〜27節

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 11:59| 日記

2019年3月17日 主日礼拝説教「善にはさとく、悪には疎く」須賀 工 牧師

聖書:ローマの信徒への手紙16章17節〜27節

 今朝、私達に与えられた御言葉は、ローマの信徒への手紙16章17節から27節の御言葉であります。少し、長い箇所ですので、2回に分けて説教をさせて頂きます。
 17節の御言葉をお読みします。「兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです。」
 パウロは、ここで教会の厳しい現実を見つめています。教会の中に、教えに反する人たちがいるのです。教会の中に、不和やつまずきをもたらす人たちがいるのです。教会の中には、このような罪や弱さが満ちているのであります。
 「不和やつまずき」は、どのようにして起こるのでしょうか。それは、「キリストに仕えないで、自分の腹に仕える」。そのところから起こります。言い方を変えて申し上げるならば、キリストを見ず、キリストを思わず、自分の心を見るところから起こるのであります。
 そして、この問題がややこしいのは、このような問題が、「うまい言葉やへつらいの言葉」によって、包み隠されているということです。外見は「よく見える」のです。外見上は、教会のために熱心に見えるのです。
 しかし、内側が、キリストに向かっていない。自分の心しか見えていない。神様に栄光を帰するのではなく、自分の栄誉、自己実現だけを求めているのであります。どれだけ外見が良く見えていても、内側が自己中心であるならば、結果的に、「不和とつまずき」を起こしてしまうのであります。自分が中心となることで、神と自分、自分と隣人の関係に破れが生じてしまうのであります。
 このような教会の現実を、パウロは、厳しく見つめているのであります。これは、果たして、他人事と言えるのでしょうか。この厳しい言葉は、誰を指しているのか。そういうことは、どうでも良いのです。人を見る前に、まず、自分自身が、この御言葉の前で問われていくことが大切なのであります。自分の語る正しさで、相手を欺いていないか。相手を傷つけていないか。自分の語る正しさや熱心さで、人を裁きにかけていないだろうか。この問題は、この御言葉に聴いている全ての人が、自分の心に手を置いて、問われなければいけない、大きな問題であります。
 私は、人を責めることがあります。私は、人を裁いてしまうことがあります。うまい言葉やへつらいの言葉で、人を欺くこともあります。正しい福音を知っている自分が、まるで正しい人間であるかのように、隣人を傷つけてしまうことがあります。人を裁けるほど、人を責めるほど、自分は本当に正しいのか。分かっているはずなのに。自分の罪に気づかずに、人を心の中で責めてしまうことがあります。それが、私の本当の姿です。だから、ここに立つ資格もありません。牧師をする資格もありません。クリスチャンである資格もない。それが、私自身です。
 私達は、分かっているのです。自己中心であってはいけないということ。自己中心であることで、神様とも、隣人とも、つながっていけないということ。不和や躓きの原因になってしまうのだということ。私達は、分かっています。だけど、罪に打ち勝つことができない。この弱さに打ち勝つことができない。変わることができない。これが私達の現実なのではないでしょうか。
 私達は、私達の力では、このような罪から逃れることはできません。なぜなら、この罪には、サタンが関わっているから。サタンに打ち勝つのが信仰生活ではありません。サタンの攻撃を受け続けるのが、信仰生活です。そして、敗北していくのが、私達であります。私達は、そんな強くないのであります。
 それでは、どうしたら良いのでしょうか。逃げれば良いのです。戦うことを辞めて、逃げたら良いのです。どこに逃げたら良いのでしょうか。主イエス・キリストの十字架に逃げたら良いのです。キリストの福音のもとに逃げたら良いのであります。25節にもこう書かれています。「神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります」。
 キリストの福音、キリストの御言葉、いや、復活のキリスト御自身が、私達を変えてくださる。キリストが、罪に打ち勝ってくださる。このキリストに結ばれて生きる。その時、私達は、主の目に強いものへと変えられていくのであります。
 20節の御言葉をお読みします。「平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。」
 私達が、罪に打ち勝つことは出来ません。神様が、御子を通して、サタン・罪に打ち勝ってくださるのであります。
 創世記3章15節の御言葉をお読みします。「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」
 「お前」とは誰でしょうか。それは、「蛇」です。「サタン」であります。それでは、「彼」とは誰でしょうか。これは、正に「主イエス・キリスト」であります。
 つまり、「キリスト」が、サタンに勝利するのです。「キリスト」が勝利してくださるのであります。そのためには、「キリストのかかとが砕かれる」ということがあるのです。つまり、キリスト御自身が、私達のために痛みを負わなければいけないのです。
 それは正に、「十字架の死」であります。主イエス・キリストの十字架の死。それは、サタンの支配が終わり、救いと赦しの支配が始まる時です。サタンが敗北し、神様の救いが勝利する時であります。この十字架のもとに、私達は逃げて良いのであります。
 罪と戦い、悪と戦い、それでも勝てず、攻撃され、自分の罪の重さに絶えきれなくなり、頭も上げられなくなる。それが、私達の現実であります。
 しかし、顔を上げて良いのであります。顔を上げる先に何があるのか。主イエス・キリストがおられる。あなたのために、私は十字架に架かった。あなたのために、命を捨てた。あなたは、罪と悪に勝利している。だから、顔を上げて、新しい道を歩み出して良い。そのように、私達を悔い改めへと導く、主が生きておられるのであります。
 洗礼を受けても、信仰生活を過ごしても、罪に打つ勝つことの出来ない自分がいます。悪に支配されてしまう自分がいる。しかし、顔を上げて見上げれば、その先には、絶望ではなく、神様の栄光がある。神様の国が、すぐ先にある。神様の赦しの支配が、すぐ先にある。だから、立ち上がり、その方向へと歩み直すことが出来るのであります。
 この大きな恵みをおぼえつつ、「善にさとく、悪に疎くある」者でありたい。何が善いことであり、何が悪なのかを、しっかりと見極めていく者でありたい。人間には、それが分からないかもしれない。しかし、大事なことは、どのような道であろうと、私達が、しっかりと十字架を見上げ、福音に堅くつながっていくこと。ここに尽きていくのだろうと思うのであります。
 この受難節の時、改めて、私達は、自らの罪に思いを向けつつ、しかし、同時に、私達のために十字架を背負われたキリストに思いを向け直しながら、改めて、共に歩み出すものでありたいと思います。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 11:55| 日記

2019年03月11日

2019年3月17日 礼拝予告

〇教会学校 9時15分〜
主題:「オリーブ山での祈り」
聖書:ルカによる福音書22章39節〜46節
※保護者の皆様も是非共にお越しください。

〇主日礼拝 10時30分〜
主題:「善にはさとく、悪には疎く」須賀 工 牧師
聖書:ローマの信徒への手紙16章17節〜27節
※礼拝後、五分の集い、信仰の学びが行われます。

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 20:29| 日記