2017年09月24日

2017年10月1日 礼拝予告

〇教会学校 9時15分〜
聖書:ヨハネによる福音書6章38節〜40節
主題:「罪のゆるし、体のよみがえり、永遠の命を信ず」
※礼拝後、誕生者の祝福、絵本の読み聞かせがあります。
※保護者の方々も、ぜひ、共にお越し下さい。

〇主日礼拝 10時30分〜
聖書:ローマの信徒への手紙6章11節〜14節
主題:「キリストに結ばれて」須賀 工 牧師
※礼拝後、五分の集い、信仰の学びがあります。

※10月8日(日)の主日礼拝は、安行教会の田中かおる牧師を迎えて礼拝を捧げます。

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 07:47| 日記

2017年9月24日 主日礼拝説教「十字架の死と復活に向かって」須賀 工 牧師

聖書:ローマの信徒への手紙6章5節〜10節

 本日、私達は、礼拝後に、教会修養会の時を持ちます。今年度の修養会のテーマは、「使徒信条」です。
 そもそも、「使徒信条」とは、何でしょうか。それは、様々な言い方があるかもしれませんが、一言で申し上げるならば「信仰の内容」あるいは、「救いの内容」です。私達が、キリスト者として信じていることは何か。あるいは、私達が信じている「救い」とは何か。それを端的に明記したものが「使徒信条」であります。
 「使徒信条」は決して長い文章ではありません。とても短い文章です。とても短い言葉によって、私達の救い、私達の信仰を言い表しています。言うならば、キリスト教の全てが、この短い文章に込められていると言えるかもしれません。
 では、私達の信じている「救い」とは何でしょうか。それは、主イエス・キリストによって「罪が赦されること」であります。そして、主イエス・キリストによって「永遠の命を得ること」であります。これがキリスト教の「救い」であります。この救いのために、御子イエス・キリストは、私達の「罪」を背負い、「復活」されました。ここにキリスト教の「救い」があります。
 「使徒信条」を見て、ある事にお気づきになられたでしょうか。ここには、主イエス・キリストの誕生について記されています。続いて何が書いてあるでしょうか。主イエス・キリストの受難、主イエス・キリストの死、そして、主イエス・キリストの復活と昇天についての言葉が続いています。
 つまり、「使徒信条」は、主イエス・キリストの少年時代、青年時代、あるいはガリラヤ伝道時代について触れていないのです。キリスト誕生の直後に、キリストの死と復活について触れているのであります。つまり、キリスト教の信仰とは、キリストの十字架の死と復活に向かった信仰のことであり、あるいは、キリストの十字架の死と復活に強調点を置いたものであると言えるのであります。
 この地上において、どのようにイエス様が生きたのか。それも大事です。この地上で何をしてきたか。これも大切です。イエス様のこの世での功績に注目することも決して悪いことではありません。
 しかし、「使徒信条」は、主イエス・キリストが何のために生まれ、どこに向かって歩んだか。何の為に生き、何の為に十字架で死に、そして復活されたのか。私達が信じるキリストが、何の為に、どこに向かって生きたのか。そこに強調点を置いているのであります。あるいは、私達の信仰は、そこに全てが賭けられていると言えるのであります。それを、この使徒信条からまず知ることができるのであります。そのことを私達は、まず、使徒信条から改めて思い起こさなければいけないのであります。
 この地上で、どう生きたかだけではなく、キリストがどこに向かって生まれ、どこに向かって生きたのか。何を成就したのか。それが十字架の死と復活ではなかったか。それを使徒信条は改めて、私達に思い起こさせるのであります。
 今朝、私達に与えられた御言葉は、ローマの信徒への手紙6章5節から10節御言葉であります。今朝の御言葉のテーマは、「洗礼」であります。信仰の始まりについてです。私達に与えられた信仰とは何か。私達が信じるように与えられた救いとは何か。その原点がここに示されていると言えるではないでしょうか。
 5節から6節の御言葉をお読みします。「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。」
 「洗礼」とは何でしょうか。それは、主イエス・キリストと一体になることです。このキリストは、私達の罪を背負って死に、そして復活されました。このキリストと一体になるのです。つまり、私達もまた、罪に対して死に、そして、復活の命に与る。これが「洗礼」であります。その意味で、キリスト教の救いは、「洗礼」が表すことであると言えます。
 私達は、自分の力によって死から逃れられません。それと同様に、罪からも逃れられないのであります。しかし、キリストと一つとされた者は違うのであります。罪も死も、私達を縛り付けるものは何もないのです。それが、洗礼にある幸いであります。
 私達は、かつて罪の奴隷でありました。罪の先には、滅びがあります、死があります。そこに、私達のかつての姿があります。しかし、今は違うのです。私達を支配するものは、罪や死ではないのです。私達を支配するのは、主イエス・キリストなのであります。罪と死を越えた御方に、私達は支配されているのであります。だから、私達は、いかなる世にあっても、いかなる苦難の中でも、私達を縛り付け、私達を苦しめるものに支配されることはないのであります。ただ、キリストが、私達の支配者でいてくださる。私達と一つになってくださる。そして、その支配者は、私達に新しい命、朽ちることのない命を与えて下さる。ここに「洗礼」を受けることの恵み、私達が立ち帰るべき恵みがあるのです。
 しかし、私達は信仰生活を送る中で、罪を恐れます。死を恐れます。自分が本当に救われているのか確信が得られなくなることもあります。神様に見捨てられていないか。キリストに見捨てられていないか。そう感じることがある。そのような葛藤をしていくところに、私達の信仰生活の現実があると言っても良いかもしれないのであります。
 しかし、パウロは、次のように記しています。今朝の御言葉の7節から9節をお読みします。「死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死はもはやキリストを支配しません。」
 「罪の報酬は死である」と言われています。しかし、キリストと結ばれているものは、キリストの死と復活にも結ばれています。私達は、既に洗礼を通してキリストと共に死んでいるのです。だから、もう罪に縛られることはありません。同じように、私達は、既に洗礼を通して、キリスト共に復活しています。だから、死も私達を縛ることはできません。
 そして、ここで大事なことは、私達は、「キリストと共に死に、キリストともに生きているということ」です。キリストと共に生きるのです。これが私達です。一人ではないのです。孤独ではないのです。私達に永遠の命を約束し、私達を命がけで愛し抜いて下さる御方。その御方が、私達と一つであり、私達と共に生きておられる。だから、安心して生きて良いのであります。死すらも、キリストを支配することはない。だから、死すらも、私達とキリストを切り離すことはできない。「洗礼」は、正に、死すらも切り離せないほどに強く、私達とキリストを結びつける力がある。そのことが、ここから強く示されているのであります。
 私達は、この世界に生きている中で、様々な喜びを知ります。自分にとって都合の良い、喜びと出会うこともあるかもしれません。沢山の平安や幸いを経験することもあります。しかし、使徒信条が示しているように、私達の救いは、一つだけであります。10節の御言葉をお読みします。「キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。」
 キリストの救いは、ただ一度の出来事なのです。十字架の出来事だけなのであります。これ以上の救いはないということなのであります。ここに徹底的、最終的、決定的な救いがあるのです。この一度の出来事を通して、救いは、全ての人々に与えられているのであります。私達もまた、その救いに結ばれているのであります。
 キリストは、今、神様に対して生きているのです。私達もまた同じです。かつては、罪に属するもの、死に属するものであったかもしれない。死んで行くだけの存在であったかもしれない。しかし、今、キリストと一つにされている。その私達は、罪と死に対してではなく、神に結ばれて生きるものとされている。ただ一つの、ただ一度の救いによって、私達は、神に結ばれていくのであります。
 使徒信条が、十字架の死と復活に強調点を置いているように、私達の信仰生活もまた、この救いの出来事に強調点を置いた生活でありたいと思うのです。そして、そのような生活こそ、私達が、この世界のいかなる苦難も、私とキリストを切り離すことはできない。私と神様を切り離せない。そのことを確信していくことの出来る生活なのではないかと思うのです。
 この幸いを、私達は、今も共に生きているキリストを通して改めて教えられるのではないかと思うのです。どうか、この幸いを、いつでも思い起こす生活をして欲しいと思います。そして、まだ、この幸いを知らずに生きる方々は、ぜひ、洗礼を通して、キリストと一つになり、私達の理解や思いをこえたところにある真の平安を味わって欲しいと思います。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 07:43| 日記

2017年09月17日

2017年9月24日 礼拝予告

〇教会学校 9時15分〜
聖書:エフェソの信徒への手紙4章1節〜6節
主題:「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」
※礼拝後に分級が行われます。
※保護者の方も是非共にお越し下さい。

〇主日礼拝 10時30分〜
聖書:ローマの信徒への手紙6章5節〜10節
主題:「十字架の死と復活に向かって」須賀 工 牧師

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 07:58| 日記