2018年03月18日

2018年3月25日 礼拝予告

〇教会学校 9時15分〜
主題:「主イエス、十字架につけられる」
聖書:マタイによる福音書27章32節〜44節
※礼拝後、分級が行われます。
※保護者の方々もぜひ、共にお越し下さい。

〇主日礼拝 10時30分〜
主題:「神様の選び」須賀 工 牧師
聖書:ローマの信徒への手紙9章6節〜7節

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 18:15| 日記

2018年3月18日 主日礼拝説教「となりびとを愛する」須賀 工 牧師

聖書:ローマの信徒への手紙13章8節〜10節

 おはようございます。今日は、大人と子どもの合同礼拝です。いつもは、違う時間に礼拝をしている私達が、こうして、共に心を合わせて、神様を礼拝できることをとてもうれしく感じています。
 さて、教会学校では、この二ヶ月ぐらい「十戒」について、礼拝でお話を聞いてきました。「十の戒め」と書きますが、「じゅっかい」ではありません。「じっかい」と読みます。是非、それだけでも覚えてくれると嬉しいと思います。
 今日は、その「十戒」の最後のお話です。改めて、もう一度、十戒を見てみましょう。子どもの讃美歌192ページを開けてください。讃美歌21では、讃美歌93−3に、十戒が記されています。子どもの讃美歌と言葉が違います。今回は、子どもの讃美歌に載っている「十戒」の方を読ませて頂きます。
 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。(1)あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。(2)あなたはいかなる像も造ってはならない。(3)あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。(4)安息日を心に留め、これを聖別せよ。(5)あなたの父母を敬え。(6)殺してはならない。(7)姦淫してはならない。(8)盗んではならない。(9)隣人に関して偽証してはならない。(10)隣人の家を欲してはならない。」
 さて、今、十戒を読みました。「十戒」についてよく分かったでしょうか?よく分かったところもあっただろうと思います。けれど、よく分からないところもあるだろうと思います。
 そもそも、この「十戒」は、何を言いたいのでしょうか?実は、二つのことを言っています。一つは、「神様を大切にしましょう」ということ。もう一つは、「周りの人を大切にしましょう」ということです。ここに書かれた十個の教えをまとめると、この二つのことを言っているのです。
 皆さんは、神様を大切にして生きていますか。そして、自分の周りの人のことを大切にしていますか?神様だけを大切にしていてはダメなんですね。あるいは、他の人を大切にするだけでもダメなんですね。
 自分の生活を振り返ってみましょう。もしかしたら、ダメな自分ばかり見えてくるかもしれません。私は、ダメな自分ばかりが見えてしまいます。けれど、実は、十戒とは、「自分はダメだなー」っていう人にとってこそ、大切な教えなのです。そのことを心に留めて、今朝の御言葉に聞いて欲しいなと思います。
 さて、今日のお話は、十戒の最後です。十戒の最後には、次のように書かれています。「隣人の家を欲してはならない」。「隣人」とは何でしょうか。これは「周りの人」のことです。では、「家」とは何でしょうか。それは、「持っているもの」「持ち物のこと」です。つまり、「周りの人・他の人の持っているものをほしがってはいけないよ」という教えです。
 「大橋さんのように、背が高くて、細くなりたいな」「山下さんのように、美しくなりたいな」「あれいいな」「これいいな」。考えてみたら、人間は、みんな、「欲しいなぁ」という気持ちで溢れているかもしれません。この気持ちも大切な気持ちだと思います。
 でも、この心が強くなっていくと大変なことになってしまいます。「あの人は、自分よりも良いものをもっているからずるい!」「あの人は、あんなに良い物を持っているから取り上げちゃおう!」「あの人にあって、自分にはない。自分は惨めだなぁ。自分はダメだなぁ・・・」そういう気持ちになる。あるいは、「神様は、あの人にあんなに良いものを与えて、自分には何もしてくれない。神様なんて信じられない!」そういう気持ちにもなったりするかもしれません。
 「欲しいなぁ」という気持ちは大切です。だけど、その気持ちが、強くなったり、悪い方にいくと、いつの間にか、心の中で、自分を傷つけたり、あるいは人を傷つけたりしてしまう。そういう気持ちで一杯になってしまうことがあるのです。すると、周りの人とのお付き合いも、神様との大切なつながりも、ボロボロになってしまう。そういうことがあるのです。
 では、そういう気持ちで一杯になったら、どうしたら良いでしょうか。十戒の最後の言葉は、何でしょうか。「隣人の家を欲してはならない」です。
 でも、これには、もう一つの読み方があります。それは、「隣人の家を欲しなくてもいいんだよ」。こういう読み方もできないでしょうか。「他の人のものをほしがってはいけない」という教えは、「他の人のものを欲しがる必要はないのだよ」と読むことも出来る。なぜ「他の人のものを欲しがる必要はない」のでしょうか。神様が、その人にとって、一番良いものを与えてくださるからです。
 つまり、神様は、ただ、厳しく教えているわけではないのです。「欲しいなぁ」という気持ちは大切です。だけど、あなたにとって一番良いものが何であるか。神様は、それが何であるかを知っています。そして、それを与えて下さる。だから、人のものを奪ったり、欲しいと感じたり、うらやましく感じる必要はありません。神様が、私達に必要な恵みを、必要な分だけ、必要な時に与えて下さいます。だから、人を憎まなくても良いのです。自分を嫌いにならなくても良いし、他の人と自分を比べなくても良いのです。みんな、神様にとっては、大切な一人です。そして、その大切な一人のために、神様は生きて働いてくださいます。
 神様が、どれだけ私達のことを大切にしてくれているか知っている?神様にとって、一番、大切なもの。それを捨ててでも、私達を選んでくださるぐらい、私達のことを大切にしてくださいます。
 イエス様は、神様の大切な一人の子でした。しかし、神様は、私達の弱い心をイエス様に背負わせ、十字架におかけになりました。イエス様が背負ってくださったお陰で、神様と私達が繋がることができました。神様は、大切な、かけがえのないものを十字架にかけてしまうほどに、私達を大切に思って下さる。それほどまでに大切にしてくださる神様です。そうであるならば、私達に必要なものは、ちゃんと与えてくださるはずです。
 「隣人の家を欲してならない」。この教えは、私達が、神様によって大切に思われている。そういう心の安らぎから始まります。十戒全体も同じです。言葉だけ読んでいては、厳しい言葉のようにきこえるかもしれません。
 しかし、神様が、私を大切に思ってくださる。かけがえのない者として下さる。そう信じられる所でこそ初めて、今度は、自分が神様を愛することもできます。大切にされていると信じられるからこそ、心にゆとりが生まれ、心に温かさをもって、互いに愛し合える関係も築けるのではないでしょうか。十戒を完成させるためには、神様によって自分が愛され、大切にされている。そういう喜びから始まる。正に、愛こそが、律法−十戒−を完成させるのです。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 18:09| 日記