2018年06月26日

2018年7月1日 礼拝予告

○教会学校 9時15分〜
主題:「敵を愛しなさい」
聖書:ルカによる福音書6章27節〜36節
※礼拝後、今月の誕生者祝福があります。また、誕生日会を行います。
※保護者の方々も、ぜひ、共にお越し下さい。

○主日礼拝 10時30分〜
主題:「根に支えられて生きる」須賀 工 牧師
聖書:ローマの信徒への手紙11章17節〜18節
※礼拝後、五分の集い(近況を分かち合う会)、信仰の学び(説教の振り返り)を行います。

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 06:37| 日記

2018年6月24日 主日礼拝説教「神に認められ、福音を語る」須賀 工 牧師

聖書:テサロニケの信徒への手紙一 2章4節
 
 今朝、私達は、石山教会創立70周年を記念する礼拝を捧げています。神様が、石山の地に福音の種を蒔き、石山教会を誕生させ、多くの人々を教会へと招き、そして、この時まで、石山教会を力強く守り続けてくださった。その幸いに、改めて深く感謝をすると共に、改めて深く主の前で懺悔をなす者でありたいと思います。
 私達は、決して、完璧な人間ではありません。失敗をすることもあります。道を外れてしまうこともあるかもしれません。しかし、今、この時まで、石山教会が立ち続けていられるのはなぜでしょうか。それは、やはり、神様が、憐れみをもって、教会を支え、御言葉をもって、私達を養い続けてくださったからでありましょう。
 石山教会が、今も立ち続けていられるのは、私達が、ぐんを抜いて優秀であったとか、特別な存在であったからではありません。むしろ、私達は、主の目には小さな群れであり、欠けの多い器なのであります。
 しかし、それでも、神様が、私達を憐れみによって支えてくださった。神様が御言葉をもって養い続けてくださった。正に、神様の憐れみなくして、神様の御言葉なくして、教会は立てないのであります。また、私達の教会生活も、それらなくして成り立たないのであります。そのことを改めて、謙虚に受け止め、その恵みを深く心に刻みつつ、70年の歴史を思い起こしたいと思います。そして、改めて、主に心を向け直しつつ、新しい歩みへと進み出ていくものでありたいと思うのであります。
 石山教会は、今年で70年を迎えます。この70年の間、時代は、大きく変化をしてきました。教会も又、その時代の変化の中で、様々な仕方で変化を求められてきたことでありましょう。
 しかし、教会には、決して変わることのないものがあります。それが、キリストの救いの御言葉−すなわち福音−であります。どのような時代、どのような状況にあっても、私達が聴き、私達が語る福音の中身は、変わらないのであります。
 その意味で、教会の歴史とは、単なる時間の経過ではありません。教会の歴史とは、変わることのない、ただ一つの福音に聴き、その福音に固く立ち、その福音を語り続ける歴史。そのようにも言えるだろうと思うのであります。
 70年の過去だけではなく、この年を経て、これからの月日を思う時も同じです。石山教会もまた、様々なところで変わり続けていくだろうと思います。建物の様子が変わることもあるだろうと思います。教会に来る人も変わることがあるでしょう。目に見えるものは変わります。そして、変わるものは、いつかは終わりを迎えます。建物も人も同じです。
 しかし、教会には変わらないものがある。そして、変わらないものであるが故に、決して朽ちることも、終わることもないものがある。それが、やはり福音であります。そして、この私達もまた、この変わることのない福音に結ばれているからこそ、朽ちることも、終わることもない、新しい命に希望を持つことができるのであります。
 教会にとって大事なことは、変わり続ける時代の変化に対応していくことばかりではありません。どのような変化や動揺の中にあっても変わることのない、ただ一つの福音−キリストの救いの御言葉−に連なって生きることであります。
 ここだけでも大切にしていくならば、人が減り、建物が廃られても、教会は固く、この地に立ち続けることができる。そう信じる群れでありたいと思うのであります。
 使徒パウロが、伝道した教会の一つに、テサロニケの教会があります。この伝道には、二つの課題がありました。それは、ユダヤ人による迫害であります。そして、もう一つは、宗教ブームであります。
 テサロニケにおいて、パウロは、まず激しい迫害にあったと言われています。正に、激しい苦闘の中で、パウロは、教会を立てた。しかし、パウロは、決して、ユダヤ人にへつらうようなことはしなかった。相手に合わせて伝道をしたわけではなかった。ただ、一心に、変わることなく、神の福音だけを語り続けた。そして、教会も又、ただ一つの福音に固く留まり続けた。だからこそ、激しい苦闘の中でも、教会は立ち続けたのであります。 また、テサロニケには、様々な宗教が集中したようです。そして、一種の宗教ブームが起きたとも言われています。つまり、人が宗教を選び、人が、自分に都合の良い教えを聴き、それにお金を払ったと言われているのです。宗教家は、出来るだけ、人に気に入られる言葉を語り、人に気に入られることで、人々から金銭を搾取していたのであります。
 しかし、パウロは、人に気に入られるための言葉を語らなかったのであります。神様に委ねられた福音だけを、ただ、主に喜んで頂くためだけに、宣教したのであります。
 人を喜ばすためではなく、主に喜んでいただくために、与えられた福音を、救いの恵みを語り続けてきた。だから、テサロニケの教会は、人によって左右したり、人が聴きたい教えに偏ったり、あるいは誤った教えに大きく惑わされることなく、立ち続けて行くことができたのであります。これが、パウロの伝道の姿勢であり、私達の教会のあるべき姿なのであります。
 石山教会も70年の歩みをしてきました。そして、これからも新たに歩み続けます。その道のりの中で、私達の信仰を否定するような出来事が起きるかもしれない。あるいは、教会を破壊するような誘惑や教えが入り込んでしまうということもあるかもしれない。
 しかし、教会は、どのような状況に立たされていても、変わることない福音、変わることない救いの御言葉に立つのです。人々に気に入られるようなことをしなくても良いのです。世の中に理解されなくても良いのです。きれい事だと言われても良いのです。不信感をいだかれても良いのです。それでも、私達は、ただ一つの福音に立ち続ける。人に喜ばれるためではなく、神の顔を見上げながら、神様の御心に思いを向けながら立つのであります。それが教会なのであります。
 福音が変わらないということ。それは、救いが変わらないということです。福音とは何でしょうか。それは、キリストの救いの御言葉。あるいは、キリスト御自身であります。私達の罪のために十字架に架かり、復活されたキリスト。私達の汚れを背負い、十字架で死なれたキリスト。罪と死から復活し、私達を罪と死から解放してくださったキリスト。天に上り、私達に神の国を約束してくださるキリスト。このキリストの御言葉。これが福音です。このキリストの救いの約束は、決して変わらない。私達が、これから、どのように生き、どのように死んでいったとしても、この救いの言葉、救いの約束だけは変わらない。どのような激しい、厳しい現実の中にあっても、私達がキリストのものとされ、神の国が約束されていること。これだけは、断固として変わらない。私達の罪が、如何に大きなものであったとしても、キリストが、私達を愛しているということ。これだけは決して変わらない。
 私達は、変わることのない救いの御言葉を、ただ伝道するだけではないのです。この変わることのない救いの恵みを、私達自身が、変わることなく、味わいながら生き、そして死んでいくのであります。この幸いもまた、私達は、改めて深く心に留める者でありたいのであります。
 そして、求道者の皆様、教会は変わりません。変わることなく、救いの御言葉を語り続けます。主イエス・キリストは、あなたのために命を捨てられた。ここには変わることなく、皆様を生かし続ける真の光、真の御言葉がある。そのことを是非、心に留めて、主の招きの声に従って欲しいと願うものであります。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 06:34| 日記