2018年07月29日

2018年8月5日 礼拝予告

○教会学校 −休会−

○主日礼拝 10時30分〜
主題:「不従順を知り、憐れみを知る」須賀 工 牧師
聖書:ローマの信徒への手紙11章28節〜32節

礼拝後、五分の集い、信仰の学びを行います。

皆さんのお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 17:20| 日記

2018年7月29日 主日礼拝説教「全ての人が救われるため」須賀 工 牧師

聖書:ローマの信徒への手紙11章25節〜27節

 今朝、私達に与えられた御言葉は、ローマの信徒への手紙11章25節から27節の御言葉です。25節の御言葉をお読みします。「兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。」
 「自分を賢い者とうぬぼれないように」という言葉があります。これは、どういう意味でしょうか。これは、「人間の知恵に頼ってはいけない」という意味なのです。あるいは、「人間の知恵や人間の目で見える現実だけを受け入れることがないようにしなさい」という意味なのであります。
 それでは、今、この聖書箇所から示されている「目に見える現実」とは何でしょうか。それは、「ユダヤ人には救いがない」ということです。ユダヤ人は、主イエス・キリストを殺したのです。ユダヤ人は、クリスチャンも迫害したのです。ユダヤ人は、教会を滅ぼそうとしたのです。そのようなユダヤ人が、神様の救いから切り取られてしまうのではないか。これが、目に見える現実から導き出された結論です。人間の知恵に従えば、当然、このような考え方が生まれてくるのであります。
 しかし、パウロは、次のように示しています。「秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。」目に見える現実ではなくて、目には見えない、神様の救いのご計画を知って欲しい。そのように語るのであります。人間の知恵では、到底、理解できないような、神様の救いのご計画に思いを向けて欲しい。そのように語るのであります。
 人の目から見れば、到底、救われる価値のないものかもしれません。救いから切り取られても仕方がないと思わずにはいられないかもしれない。しかし、人の目では見えない、秘められた救いの計画を思う時、その救いの計画の中にも、ユダヤ人は入れられているのであります。勿論、異邦人もまた、その救いのご計画の中にあります。
 「異邦人全体が救いに達するまで」という言葉があります。この言葉は、少し、オーバーに訳された言葉です。実際は、「十分に救いが実現するまで」という意味です。つまり、神様が、もう十分だと思われた時、その時から、ユダヤ人の救いが始まるのだといわれているのです。ここから分かりますように、異邦人もまた、神様の救いのご計画の中にあって、救われるべき時に救われたのであります。即ち、言い直すと、異邦人を救うことも、ユダヤ人を救うことも、全世界の人々が救われることも、全ては、神様の救いのご計画の中にある。神様の御心の中にある。そのことを覚えて欲しい。それが、ここで強調されていることなのであります。
 「神様の救い」とは、あくまでも、「神様の救い」なのです。人間の判断や知恵によるものではありません。神様が計画をし、神様の御心によって、救いは進められていくのであります。そこに立ち帰って考えてみた時、「到底、救われるに価しない人も又、神様の救いの計画の中に入れられていること」を知る者とされるのであります。
 そして、その神様の救いの御計画を思う時、私達もまた、改めて、自らに与えられた救いを、本当に心から深く喜べるものとなるのであります。この私も、救いに相応しくない人であったかもしれません。自分もまた、救われる価値のないものであったかもしれないのであります。しかし、この私もまた、神様の救いの計画の中に入れられている。神様に覚えて頂き、時に適って、キリストを示していただき、救われたのであります。その幸いを思い起こすものとなるのであります。
 これは決して自分だけの問題ではありません。まだ、救いを知らない人も同じです。その人が、どのような人間であったとしても、その人が、キリストを否定する人であったとしても、その人も又、神様の救いのご計画の中に、生かされている。そのことを改めて、喜びとして受け止めるものとされるのであります。
 パウロは、続いて、次のように記しています。「次のように書いてあるとおりです。『救う方がシオンから来て、ヤコブから不信心を遠ざける。これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、彼らと結ぶわたしの契約である。』」
 これは、イザヤ書の引用です。ここには救い主の預言が記されています。救い主を受け入れないユダヤ人であります。しかし、その罪の只中にも、救い主は生きて働かれるのであります。そして、ユダヤ人の業を、一切、問うことなく、ただ、彼らの罪を取り除いてくださる。ユダヤ人が悔い改めるから救われるのではないのです。罪の只中にも、救い主が生き、神様が、彼らの罪を取り除き、不信心を遠ざけてくださるのであります。
 救いから遠ざけられたユダヤ人であっても、今はまだ、救いを知らぬ異邦人においても、その罪の只中に、救い主であるイエス・キリストは、立っていてくださる。あるいは、ユダヤ人のように、神様に背を向けたクリスチャンであったとしても、その存在をただ見捨てて終わるのではなく、その罪の闇の中にも、救い主は来て下さるのであります。そして、罪を取り除いてくださる。更に言うならば、その罪の中にも、いや、その闇の中でこそ、主イエス・キリストの十字架が立てられ、復活のキリストが生きていてくださる。
 人間の知恵や思いではなく、目に見える現実の中ではなく、目には見えない、神様の救いの計画に、思いを馳せていきながら、共に信仰生活を歩むものでありたいと思います。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 17:14| 日記

2018年07月23日

2018年7月29日 礼拝予告

○教会学校 9時15分〜
聖書:ルカによる福音書8章19節〜21節
主題:「主イエスの母、兄弟」
※礼拝後、分級があります。
※8月中の教会学校はお休みです!!

○主日礼拝 10時30分〜
聖書:ローマの信徒への手紙11章25節〜27節
主題:「全ての人が救われるため」須賀 工 牧師
※礼拝後、五分の集い、信仰の学びが行われます。
※8月中の聖書の親しみ祈る会はお休みです!!

皆さんのお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 07:40| 日記