2018年10月12日

2018年10月7日 主日礼拝説教要旨「罪を焼かれた者として」野田 沢牧師(SCF主事:学生キリスト教友愛会)

聖書:ヨハネによる福音書15章1節〜17節

 この聖句を読み、私たちは不安になる。「私はよい実をつけることができるだろうか?」と。…その思いをもつのは自然でしょう。むしろ、我々の中で誰が「自分はよい実をつけている」と言えるか。だからこそ、聖書に向き合い、礼拝を守る。
私たちはこの聖書箇所を読むときに、「私から離れるな」「豊かな実を結べ」…と、脅迫的な感覚をもって読み、聞いている。しかし主イエスは、十字架の死のまさにその前夜、最後の晩餐の席上で、弟子たちと私たちに語りかけてくださっている場面です。
「私は、あなたがたとつながるために父から離れ地上に下ってきた。だから、私の愛に繋がっていなさい。」「主イエスが繋がっていてくださる」。…なんという喜びと慰めに満ちた言葉でしょうか。
 しかしながら私たち人間は自立を望む。神からの自立を。私たちの人間性を最も良くあらわしているのが、「アダムとエバ」。神からの自立を望む人間の姿です。神から離れた方が、もっと豊かでもっと強くなれるのだと。自分たちの力で、生きるすべてを決定したいのだと。
自分たちの善悪、自分たちの価値判断、自分たちの裁き、自分たちの自分たちの……その先には、争いや痛み、嘘や妬み。弱い人々に目を向けず、力の追求と力による支配しかない。私たちの人類の歴史が、イスラエルの歴史がまさにそうであった。神からの自立。そして堕落。争いと力の支配。預言者の出現による立ち返り。…その繰り返しであった。
だから、主イエスは言う。「自分の言葉ではなく、私の言葉をいつも胸におきなさい」と。繋がって生きること。頼って生きること。神の目に豊かに生きること。自立して、私たちの目に豊かに生きるのではない。「弱さの中で、貧しさの中で、その中で、私を頼って生きなさい」とおっしゃるのです。
私たちキリスト者にとって、病や老い、欠乏や弱さは決して欠点ではないのです。
 私につながっていなさい。…これは私たちの努力を求める言葉ではありません。いつも「私はあなたとつながっている。」という主による約束の言葉。主イエスはおっしゃる。私は、あなたを離すことはない。何があっても離さず滅びから救い、愛へと導く。
「焼かれるのはあなたたが枝ではなく、幹である私自身である。」…主は何というお方でしょう。こんな私のために死んでくださるとは。生涯を通して十字架の主に感謝を奉げましょう。


posted by 日本基督教団 石山教会 at 21:39| 日記