2018年12月30日

2019年1月6日 礼拝予告

〇教会学校 9時15分〜
主題:「シメオンとアンナ」
聖書:ルカによる福音書2章25節〜38節
※礼拝後、誕生の祝福、誕生日会が行われます。
※保護者の方々も是非、共にお越しください。

〇主日礼拝 10時30分〜
主題:「救いは近づいている」須賀 工 牧師
聖書:ローマの信徒への手紙13章11節〜14節
※礼拝後、五分の集い、信仰の学びが行われます。

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 16:38| 日記

2018年12月30日 主日礼拝説教「愛は律法を全うする」須賀 工 牧師

聖書:ローマの信徒への手紙13章8節〜10節

 今朝、私達に与えられた御言葉は、ローマの信徒への手紙13章8節から10節の御言葉であります。改めて8節から10節の御言葉をお読みします。「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」
 キリスト教の教えの中には、「黄金律」−ゴールデンルール−と呼ばれるものがあります。「黄金律」とは、簡単に申し上げるならば、キリスト教における一番大切な教えのことであります。それは、「神と人とを愛する」ということです。つまり、キリスト教において、一番大切な教え。それは「愛」ということであります。
 「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません」。このように、パウロは、今朝の御言葉で記しています。「借りたものを返すこと」。これは、大切なことです。
 しかし、「愛」は違います。「愛」は、借りっぱなし、貸しっぱなしで良いのだと言われています。つまり、見返り−ペイバック−を必要としないことです。「これだけ愛したのだから、同じように愛を返してほしい。」あるいは、「こんなに愛されたのだから、これだけ返さなければいけない。」そう思うことがあるかもしれません。
 しかし、それは、「本当の愛」ではないということであります。「愛」とは、その意味で、「与え放しのもの」。そのようにも言えるかもしれません。
 あるいは、借りたものを返したら関係は、そこで義務は果たされてしまいます。しかし、「愛」に終わりはない。「愛するということ」に限界はないのだ、ということも言えるかもしれません。
 そして、この箇所で、もう一つ大切な事があります。それは、今朝の御言葉には、「人を愛する者」と、記されていることであります。
 この「人」とは「他人」という意味があります。つまり、「自分とは違う存在」という意味であります。自分と合う人、自分にとって都合の良い人だけを愛するのではないということです。自分とは違う存在として、お互いを受け入れあいながら、愛するということが大切なのです。自分にとって都合の良い人を愛するということは、結局は、見返りを求めた愛なのかもしれません。
 それでは、そもそも「愛」とは何でしょうか。今朝の御言葉に示された「愛」。これは「アガペー」という言葉で表現されています。「アガペー」とは、一言で言えば、「聖なる愛」「神様の愛」のことです。
 つまり、私達は、「神様の愛」に生きるようにと、ここで奨められていることになります。それは言い換えるならば、神様の御心に適った愛に生きるということでもありましょう。
 今朝の御言葉によると、「全ての掟」が「愛する」という言葉で要約されるのだとあります。律法も掟も、神様の御心のことです。つまり、神様の御心に適った生き方をしたいのであるならば、即ち、律法を全うしたいのであるならば、何よりもまず、神様の愛に生きることが大切なのであります。自分が、清く正しく生きることではなく、むしろ、自分を捨ててでも、神と人とを愛する。その神様の愛に生きる。それが一番が大切なのだと言うのであります。
 では、この愛とは、更に具体的に、どのような愛なのでしょうか。アガペーという言葉を更に詳細に申し上げると「価値を生み出すこと」という意味になるそうです。価値をつけるということではありません。目の前の人に「価値を生み出す」ことです。価値をつけるとするならば、自分にとって都合の悪い人に対しては、価値を低くつけてしまうことがあるかもしれません。
 しかし、価値を生み出すことは違います。あなたが、どんな存在であり、どんな人間であったとしても、「あなたには価値がある」と言えること。これが、価値を生み出すということです。
 人間は違う存在です。個性があります。そして、自分にとって都合の悪い存在もいるかもしれません。しかし、どのような人間であったとしても、「あなたは価値がある」「あなたは大切な存在なのだ」と言えるところに、「聖なる愛」がある。私達の生きるべき愛の世界がある。そのことを、今朝の御言葉は、私達に強く指し示しているのではないでしょうか。
 今朝の御言葉によれば、「隣人を自分のように愛しなさい」と教えています。自分を愛せる人間とは、どういう人間でしょうか。それは、「愛されていることを知っている人間」です。誰に愛されているのでしょうか。神様であります。主イエス・キリストであります。私達が、どれだけ弱く、汚れに満ちたものであったとしても、「あなたには価値がある」。「あなたはわたしの宝だ」と、神様は仰せになる。そして、十字架で命を捨ててしまうほどに、断固として、私達を愛し抜いてくださる。それほどまでに大きな愛の中に、私達は入れられているのであります。価値を生み出してくださっているのであります。その恵みの中で、私達は、自分を本当に愛することができるのであります。自分の価値を知ることができるのであります。
 そして、何よりも、その本当の愛に支えられながら、私達も又、神様の愛に生きるものへと招かれていくのであります。大事なことは、この愛の原点に返ることであります。
 今朝の御言葉の最後には、「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」と記されています。
  ある人が、このように言いました。「この愛という言葉をキリストと言い換えてみたら良い」と。「キリストは、隣人に悪を行いません。だから、キリストは、律法を全うするものです」。
 私達が、一人で愛に生きることは難しいものです。しかし、愛をもって、律法を全うされたキリストと結ばれて生きる時、私達は、そこで初めて、神を愛し、人を愛し、自分を愛することができるのであります。
 大事なことは、この愛の原点に返ること。愛されていることを味わうこと。そこから、キリスト者同士の関係、教会の外との関係もまた、眞の愛に溢れた新しい関係へと造り替えられていくのかもしれません。
 2018年が終わり、2019年を迎えます。改めて、神様の愛の原点に立ち帰り、感謝をもって、新しい歩みへと向かって行く者でありたいと思います。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 16:34| 日記

2018年12月30日 主日礼拝説教「愛は律法を全うする」須賀 工 牧師

聖書:ローマの信徒への手紙13章8節〜10節

 今朝、私達に与えられた御言葉は、ローマの信徒への手紙13章8節から10節の御言葉であります。改めて8節から10節の御言葉をお読みします。「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」
 キリスト教の教えの中には、「黄金律」−ゴールデンルール−と呼ばれるものがあります。「黄金律」とは、簡単に申し上げるならば、キリスト教における一番大切な教えのことであります。それは、「神と人とを愛する」ということです。つまり、キリスト教において、一番大切な教え。それは「愛」ということであります。
 「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません」。このように、パウロは、今朝の御言葉で記しています。「借りたものを返すこと」。これは、大切なことです。
 しかし、「愛」は違います。「愛」は、借りっぱなし、貸しっぱなしで良いのだと言われています。つまり、見返り−ペイバック−を必要としないことです。「これだけ愛したのだから、同じように愛を返してほしい。」あるいは、「こんなに愛されたのだから、これだけ返さなければいけない。」そう思うことがあるかもしれません。
 しかし、それは、「本当の愛」ではないということであります。「愛」とは、その意味で、「与え放しのもの」。そのようにも言えるかもしれません。
 あるいは、借りたものを返したら関係は、そこで義務は果たされてしまいます。しかし、「愛」に終わりはない。「愛するということ」に限界はないのだ、ということも言えるかもしれません。
 そして、この箇所で、もう一つ大切な事があります。それは、今朝の御言葉には、「人を愛する者」と、記されていることであります。
 この「人」とは「他人」という意味があります。つまり、「自分とは違う存在」という意味であります。自分と合う人、自分にとって都合の良い人だけを愛するのではないということです。自分とは違う存在として、お互いを受け入れあいながら、愛するということが大切なのです。自分にとって都合の良い人を愛するということは、結局は、見返りを求めた愛なのかもしれません。
 それでは、そもそも「愛」とは何でしょうか。今朝の御言葉に示された「愛」。これは「アガペー」という言葉で表現されています。「アガペー」とは、一言で言えば、「聖なる愛」「神様の愛」のことです。
 つまり、私達は、「神様の愛」に生きるようにと、ここで奨められていることになります。それは言い換えるならば、神様の御心に適った愛に生きるということでもありましょう。
 今朝の御言葉によると、「全ての掟」が「愛する」という言葉で要約されるのだとあります。律法も掟も、神様の御心のことです。つまり、神様の御心に適った生き方をしたいのであるならば、即ち、律法を全うしたいのであるならば、何よりもまず、神様の愛に生きることが大切なのであります。自分が、清く正しく生きることではなく、むしろ、自分を捨ててでも、神と人とを愛する。その神様の愛に生きる。それが一番が大切なのだと言うのであります。
 では、この愛とは、更に具体的に、どのような愛なのでしょうか。アガペーという言葉を更に詳細に申し上げると「価値を生み出すこと」という意味になるそうです。価値をつけるということではありません。目の前の人に「価値を生み出す」ことです。価値をつけるとするならば、自分にとって都合の悪い人に対しては、価値を低くつけてしまうことがあるかもしれません。
 しかし、価値を生み出すことは違います。あなたが、どんな存在であり、どんな人間であったとしても、「あなたには価値がある」と言えること。これが、価値を生み出すということです。
 人間は違う存在です。個性があります。そして、自分にとって都合の悪い存在もいるかもしれません。しかし、どのような人間であったとしても、「あなたは価値がある」「あなたは大切な存在なのだ」と言えるところに、「聖なる愛」がある。私達の生きるべき愛の世界がある。そのことを、今朝の御言葉は、私達に強く指し示しているのではないでしょうか。
 今朝の御言葉によれば、「隣人を自分のように愛しなさい」と教えています。自分を愛せる人間とは、どういう人間でしょうか。それは、「愛されていることを知っている人間」です。誰に愛されているのでしょうか。神様であります。主イエス・キリストであります。私達が、どれだけ弱く、汚れに満ちたものであったとしても、「あなたには価値がある」。「あなたはわたしの宝だ」と、神様は仰せになる。そして、十字架で命を捨ててしまうほどに、断固として、私達を愛し抜いてくださる。それほどまでに大きな愛の中に、私達は入れられているのであります。価値を生み出してくださっているのであります。その恵みの中で、私達は、自分を本当に愛することができるのであります。自分の価値を知ることができるのであります。
 そして、何よりも、その本当の愛に支えられながら、私達も又、神様の愛に生きるものへと招かれていくのであります。大事なことは、この愛の原点に返ることであります。
 今朝の御言葉の最後には、「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」と記されています。
  ある人が、このように言いました。「この愛という言葉をキリストと言い換えてみたら良い」と。「キリストは、隣人に悪を行いません。だから、キリストは、律法を全うするものです」。
 私達が、一人で愛に生きることは難しいものです。しかし、愛をもって、律法を全うされたキリストと結ばれて生きる時、私達は、そこで初めて、神を愛し、人を愛し、自分を愛することができるのであります。
 大事なことは、この愛の原点に返ること。愛されていることを味わうこと。そこから、キリスト者同士の関係、教会の外との関係もまた、眞の愛に溢れた新しい関係へと造り替えられていくのかもしれません。
 2018年が終わり、2019年を迎えます。改めて、神様の愛の原点に立ち帰り、感謝をもって、新しい歩みへと向かって行く者でありたいと思います。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 16:33| 日記