2021年02月19日

牧師日記K「雪」

ハレルヤ!!主の御名を賛美します!!!

昨晩、滋賀県、めちゃくちゃ冷え込みました〜(´;ω;`)

昨晩は、近江八幡市の教会で、地区の役員会がありました。

大津市は、寒かったけれど、晴れていたので・・・

クロックス(サンダル)で出張へ( ´∀` )

野洲川ぐらいからなぁ

めちゃくちゃ降ってきました雪!!

サンダル間違えたーー(笑)

もう、前方が全然見えなくて(´;ω;`)

会議中もシンシンと降って・・・

会議終了21時には、ちょっとだけ積もってました!!

いつも40分で行ける道、1時間30分かけて帰りましたわ!!

会議が終わって、先生方と雑談をしていたら、ある先生が言うてました。

「寒い日もあったけど、今日は、『冬』って感じの寒さやなぁ・・・」

私も、そんなことを感じましたね(^▽^)/

「そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。」(ヨハネによる福音書10章22節)

この御言葉で、一つだけ違和感ありません?

「冬であった」

いや、この情報いる?

でも、聖書には、意味のない言葉はない!!

そもそも、ここで言われている「神殿奉献記念祭」とは、別名「ハヌカ祭」と呼ばれていて、マカベア記に記されている、独立戦争の勝利を記念する日らしいです。

ギリシャによって占領されていたイスラエルは、多神教を強制させられていたようです。

けれど、マカベアという人が立ち上がり、戦争して、勝利し、神殿の回復を実現したようです。それが、12月頃のことで、この冬の期間、戦勝を祝する神殿奉献記念祭が行われたようです。

でも、「冬であった」っていります? 当時のみんな、知ってたでしょこれ?

ということは、この「冬」という言葉は、単純に、季節を意味しているわけではなくて、もしかしたら「人」の「心の中」を表していたのではないでしょうか。

ギリシャに勝利したユダヤは、その後、ローマに支配されます。

喜びもつかの間ということですね(´;ω;`)

本当に、喜びたくても喜べない現実の中で、ずっと祭りが行われていたわけです(´;ω;`)

正に、心が冷え切った時代を歩んでいたのですね((´;ω;`)ウゥゥ

そこに主イエス・キリストが来られた。

何のために?

このお話の中で、主イエス・キリストは、殺されかけます。主イエス・キリストの殺害が計画されます。

心が冷え切った人間は、そこで、主イエスを救い主と受け入れることができませんでした。

その悲しい現実の中を、主イエス。キリストは、十字架に向かって、歩み続けます。

私達の罪を背負って・・・

私達の冷え切った心を、神様の愛で温かく包むために・・・新しい春を迎えるために・・・主は人間の冬を忍耐してくださる(^▽^)/

私達を支配しているのは、人ではなく、痛みではなく、イエス様の十字架の愛。その愛は、あったかいんだからぁ〜♪

あの先生の言葉が身にしみますね。「冬ってかんじやなぁ」

今、この時代、季節とかではなくて、人間が、冷え切った心に支配されていないかなぁ私達。

人間関係も冷え切っていないかなぁ・・・(´;ω;`)

皆さんの心の中にも、イエス様が訪れて下さいます。その方の存在を、そのままで受け止めて行くとき、この私のために命を捨てて下さる方が見えてくる目

自分のために、あなたのために、命を捨ててくださる御方が来てくださり、愛されていることの温かさで、私達を包み込んでくださるのよね(^▽^)/

受難のあとに復活があるように、冬の後には春がある。

春は、新スタートの時期!!(^▽^)/

新しい心で、一緒に歩んで行きましょう(*^。^*)

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昨晩、撮っておけば良かった〜Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

【一緒に聖書を読みましょ♪】ヨハネによる福音書10章22節〜41節





posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:46| 日記