2022年09月24日

2022年10月2日 主日礼拝説教「神の御心ならば」須賀工牧師

聖書:使徒言行録18章12節〜23節、箴言19章21節
説教:「神の御心ならば」須賀工牧師

 今朝、私達に与えられた御言葉は、使徒言行録18章12節から23節の御言葉であります。改めて、12節から17節の御言葉をお読みします。「ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、『この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております』と言った。パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。『ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。』そして、彼らを法廷から追い出した。すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった」。
 使徒パウロは、コリントで、ユダヤ人たちによって、襲われます。そして、法廷に引き立てられました。
しかし、当時の総督ガリオンは、ユダヤ人の訴えを受け入れることはありませんでした。恐らく、これは、当時のローマにおける、宗教政策が、強く影響していると考えられます。
 即ち、ローマ社会の秩序を乱すことがなければ、信仰や教えには干渉しない、という政策です。当時のローマには、様々な民族や宗教が、入り乱れていました。それ故に、出来るだけ自由を与えることで、その支配を安定させていたようです。
 いずれにせよ、使徒パウロは、ここで、ユダヤ人の迫害から逃れることができました。しかし、その後の出来事については、色々な解釈があります。
 即ち、「会堂長ソステネ」に対する、群衆の暴力についてであります。そもそも、この「ソステネ」という人物は誰なのでしょうか。どういう人であり、なぜ殴られたのでしょうか。そして、彼を殴った群衆とは、一体、何者なのでしょうか。
 実は、この聖書箇所だけでは、それは不明なのであります。しかし、今朝の御言葉に、一貫したメッセージを持たせるためには、まず、この人物が、どういう人物であるか。そのことを明確にしておく必要があると思うのです。
 一つの考え方として、次のように、考えることができます。つまり、ガリオンに訴えを却下されたユダヤ人たちが、腹いせにクリスチャンになった会堂長ソステネを、リンチにした、という説。これが一番、分かりやすい解釈だと思います。
 しかし、実は、もう一つ、別の読み方もできるのです。聖書には、時代を超えて、沢山の写本があります。古い写本であればあるほど、オリジナルに近いわけです。実は、ここで使われている「群衆」という言葉は、割と古い写本によると、「ギリシア人」という言葉を使っていることが分かったのです。
 つまり、ここで、ソステネを殴ったのは、ギリシア人だったという解釈もできるわけです。推測ではありますが、総督ガリオンが、ユダヤ人の訴えを却下します。すると、そのことで意を強くした、ギリシア人クリスチャンたちが、ユダヤ人の代表であったソステネをリンチにしたのではないか。そのようにも理解できるわけであります。もし、そうであるならば、ここで、パウロではなく、ソステネだけが、リンチにされたこと。そのことにも合点がいくかもしれません。ただ、キリスト者である私達にとっては、少し悲しい解釈であると言えるでしょう。
 もう一つ重要なポイントがあります。実は、コリントの信徒へ手紙一1章1節に、このソステネが、手紙の共同発信者として、その名前を連ねているのです。
 つまり、このソステネは、あるタイミングで、ユダヤ人からキリスト者に改宗した人なのではないか。そのように考えられます。
 その上で、こういう仮説が立てられます。総督ガリオンが、ユダヤ人の訴えを却下しました。そのことで意を強めた、ギリシア人キリスト者が、ユダヤ人の代表者であるソステネに暴力を振るいます。
しかし、それを見た、使徒パウロは、彼らの暴力を止めさせ、両者が和解をした。この使徒パウロの姿を通して、ソステネは、御言葉に耳を傾けるようになった。その後、キリスト者になったのではないか、ということです。
 少し、飛躍した解釈でしょうか。そうかもしれません。しかし、使徒パウロが、かねてから、切に願っていたことがありました。それは、異邦人とユダヤ人が、一つの教会に、共に連なる、ということであります。ユダヤ人が、律法や割礼に捕らわれることなく、異邦人を、新しい神の民として迎えていくこと。異邦人もまた、信仰を通して、神の民であるユダヤ人と共に生きていくこと。この両者が、お互いに和解し合い、キリストを中心とした、一つの教会となること。主イエス・キリストの十字架の死と復活によって、敵意や隔てが、崩れていくこと。
 これこそが、パウロの望んでいたことであります。パウロが、ユダヤ人と同じように、異邦人にも伝道していたことも、異邦人中心の教会を、ユダヤ人中心の教会に、認めさせたことも、「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力である」(ローマ1章16節)と語ったことも、そして、ここで、異邦人キリスト者による暴力から、パウロを訴えた敵、ユダヤ人ソステネを助けたことも、全ては、両者が、キリストの救いの意味を知り、キリストによって救われ、キリストを中心に、和解をし、同じ一つの体として受け入れ合っていく。そのために、パウロが、行ってきたことなのであります。
 確かに、飛躍した解釈かもしれませんが、この理解に立って、その上で、その後の御言葉にも注目したいと思います。改めて、18節から23節の御言葉をお読みします。「パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、『神の御心ならば、また戻って来ます』と言って別れを告げ、エフェソから船出した。カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた」。
 パウロは、コリントから出発し、プリスキラとアキラと共に、エフェソを経由して、エルサレムに向かいます。そして、出発地点でもあるアンティオキアに帰ります。ここで、第二回目の伝道旅行が終了します。
聖書によると、パウロは、「誓願」を立てていたようです。「誓願」というのは、旧約聖書以来、ユダヤ人の間で行われてきた儀式の一つです。
 例えば、何か、願い事があったり、神様に仕えるために自らを献げたりする時、一定期間、髪の毛やひげを剃らないで、そのままにします。期間が過ぎると、伸ばしていた髪の毛やひげを剃り、神様に犠牲をささげるのです。
 つまり、ここで、分かることは、この時、パウロは、何かを、強く願っていた。あるいは何かのために、身を捧げる。そのような誓いを立てていたのではないか。そのように理解できる訳であります。そして、ちょうど、コリントを去る時に、その期間が、終わったのでありましょう。そのように、ここで、理解できるのであります。
 それでは、パウロは、ここで、何を強く願っていたのでしょうか。それは、ここでは、分からないのであります。
 しかし、先程も申し上げましたが、今日、読んだ御言葉に、一貫したメッセージを持たせるとするならば、もう少し、その内容が見えてくるかもしれません。
 例えば、皆様は、18節から23節の御言葉を読んで、何か、特別なもの、あるいは、違和感のようなものを感じなかったでしょうか。私は、あまり感じなかったのですが、繰り返し読んでみると、気づかされるものがありました。
 それは、明らかに、パウロは、急いでいないでしょうか。まず、パウロは、コリントの後、エフェソに到着します。そもそも、パウロは、エフェソに行くことを、強く望んでいました。しかし、聖霊によって禁じられたために、ギリシアに向かった。そういう話が、使徒言行録15章にあります。
 つまり、エフェソに行くことは、パウロの願望だったわけです。そして、エフェソの人々もまた、もうしばらくいて欲しい。そのように、パウロの存在を求めていたわけであります。
 しかし、それに対して、パウロは、「御心ならば戻って来ます」と言って、足早に、エフェソを去り、エルサレムへ向かったようです。
 なぜでしょうか。パウロは、早急に、エルサレムに行きたいと願ったからでありましょう。聖書によると、パウロは、エルサレムで「挨拶」をしたようです。しかし、パウロが、ここまで急いでいた。その様子を見るならば、これは、単純に表敬訪問ではない。そのように言えるでありましょう。
それでは、どうして、パウロは、エルサレムに、急ぐ必要があったのでしょうか。それを理解するためには、この時代のユダヤ社会について、少し、知る必要があります。
 色々と調べてみますと、パウロが、第二回伝道旅行を開始し、それを終えた時は、大体、紀元50年から60年の間頃だと言われています。
 この時代のユダヤ社会は、一体、どのような様子であったでしょうか。それは、ユダヤ人の民族意識・選民意識が、非常に、高まった時代なのです。言い方を変えるならば、ユダヤ人の選民意識が高まり、ローマ帝国への反発が、過去一番高まった時代なのです。その顕著は出来事としては、ユダヤ戦争が挙げられるかもしれません。
 恐らく、エルサレムを中心とした教会も又、このようなユダヤ社会に飲み込まれ、そのようなユダヤ人の民族意識に、捕らわれてしまったのではないか。そのように考えられます。
 先ほども、申し上げましたが、パウロは、異邦人が、教会で、確かに、認められ、ユダヤ人も異邦人も一つの教会になること。そのことを望んでいました。
 しかし、今、ユダヤ人の民族意識が高まっている。教会もまた、この社会に飲まれつつある。その現実の中で、異邦人教会が、再び、教会から漏れ出てしまうのではないか。教会が、バラバラになってしまうのではないか。パウロは、そのことを危惧したのではないでしょうか。そして、改めて、異邦人教会も又、一つの教会であることを再確認する必要があった。それ故に、エルサレム行きを、急いだのではないかと思うのです。そして、これこそが、パウロの立てた誓願だったのだろうと推測できるのであります。
 パウロは、異邦人も又、信仰と恵みによって救われる。そのことを確信していました。
 なぜでしょうか。自分が、キリストの敵対者だったからです。自分は、本当に救われる価値はなかった。滅びても仕方ない者であった。しかし、この私が、ただ一方的な憐れみによって、恵みによって救われた。そうであるならば、異邦人が救われないはずない。それが、彼に与えられた確信だったわけです。
 そして、その救いは、突然、現れた救いではなく、旧約の時代から受け継がれてきた、神様の救いの御心・御計画なのだ、ということ。そのことにも、強い確信を抱いていたわけです。
 もし、ここで、異邦人の教会とユダヤ人の教会が分かれてしまうならば、その歴史も分断されてしまう。そうであるならば、異邦人教会が、単なる新興宗教で終わってしまう。根っこのない宗教で終わってしまう。
だからこそ、パウロは、エルサレム教会に訪問し、何としてでも、異邦人もユダヤ人も、全ての人が、信仰によって、恵みによって、救われるのだ、ということ。ユダヤの伝統や律法や神殿を越えて、全ての隔ての壁が、キリストによって取り除かれているのだ、ということ。そのことを伝えたかったのであります。
 しかし、結果的には、どうなったでしょうか。聖書によると、パウロは、その後、直ぐに第三伝道旅行を開始しています。恐らく、それは、受け入れられなかったからであります。正に、彼の誓願は、叶わなかったのです。パウロの願いは、叶わなかったのであります。
 しかし、パウロは、ここで、絶望したのでしょうか。パウロは、ここで、全く、絶望していないと思います。彼が、第三伝道旅行をすぐに開始したこと。それが、証拠です。
 なぜでしょうか。彼は、それが、「神の御心」であること。そのことを、ここで、悟ったからであります。自分の願いよりも、神様の御心を大切にしたからです。だから、第三伝道旅行を開始した。別れていくことが、御心だと信じ、先に伝道を続けること。そのことが、主の御計画であること。そのことを知ったから。だから、絶望しない。前に進むのです。
 さて、彼が、向かった先は、どこでしょうか。それが、「エフェソ」なのであります。正に、主の御心であるならば、戻って来たのです。
 それでは、その後、エルサレム教会は、どうなったのでしょうか。紀元60年代に始まったユダヤ戦争の結果、エルサレムは陥落します。それによって、割礼と律法、ユダヤ主義にこだわったエルサレム教会は、歴史から、その姿を消していくことになったのであります。
 そして、そのことを皮切りに、キリスト教会の中心は、もはや、エルサレムではなくなったのです。その代わりに、パウロが、伝道した、小アジアやギリシアが中心になります。そして、その後、ローマ教会が、つまり異邦人教会が、その歴史を担うことになるのです。
 律法や割礼によるのではなく、主イエスを救い主を信じて、洗礼を受け、キリストの十字架の死と復活の救いを、私の救いと信じる。その信仰によって救われる。その人もまた、信仰によって、神の民に加えて頂ける。このことが、教会の常識となっていくことになるのです。 
 確かに、パウロの立てた誓願は、その時にはかなわなかった。また、ユダヤ人と異邦人が和解することはなかった。
 しかし、最後の最後には、神の御心によって、異邦人が救われていくこと。いや、信仰によって全ての人が、救われるという恵み。その恵みが、教会の中で、一つの真理として、実現していくことになり、そして、それが、教会の正しき方向性となったのです。
私達が、今、キリスト者として生かされ、これから、あなたが、キリスト者として生かされていくのは、このような、神様の御心が、この歴史の中に、逸れることなく、貫かれていたからなのであります。
正に、神様こそが、歴史の支配者であります。そして、その神様の救いの歴史の中に、私達もまた、恵みによって、信仰によって、入れて頂いている。そして、その歴史の流れは、永遠の命に向かった流れ。神に国に向かった流れ。その流れの中に、私達も入れられている。その深い幸いを、ここで新たにしたいと思うのです。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 11:46| 日記