2022年11月05日

2022年11月20日 礼拝予告

◎教会学校 9時15分〜
聖書:歴代誌下36章11節〜23節
説教:「王国の滅亡」

◎主日礼拝 10時30分〜
聖書:使徒言行録19章21節〜40節
説教:「真の神」須賀工牧師

感染予防対策をした上で、礼拝をささげています。皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 16:19| 日記

2022年11月13日 主日礼拝説教「私たちを変えるもの」須賀工牧師

聖書:列王記下23章1節〜3節
説教:「私たちを変えるもの」須賀工牧師

 今朝、私達は、合同礼拝をささげています。子どもと大人が、共に、礼拝できることを、心から嬉しく感じています。皆様の上に、神様の祝福が、豊かにありますように、心からお祈り申し上げます。
 さて、今朝の御言葉もまた、旧約聖書のお話です。先週もお話をしましたが、かつて、イスラエルには、王様がいました。この王様は、神様が、選んだ人たちです。人が選んだものではありません。あくまでも、イスラエルを治めているのは、人ではなく、神様なのです。
 最初の王様は、サウル王です。次の王様は、ダビデ王です。そして、三番目に王様になったのが、ソロモン王でありました。
 しかし、ソロモン王の後、イスラエルの中で、喧嘩が起きてしまいます。誰が、王様になるのかで揉めてしまったのです。
 そして、悲しいことに、イスラエルは、二つに分かれてしまいます。一つは、南ユダ王国です。もう一つは、北イスラエル王国です。
 先週は、北イスラエル王国のお話をしました。北イスラエル王国は、どんどん、他の神様を拝んだり、神様ではなくて、人の力で、王様を選んだりするようになってしまいます。そして、早々と、国が滅んでしまいました。神様の御心から離れていく。その先には、悲しい滅びがある。そのことを、聖書は、そして、聖書の歴史は、教えています。
 さて、今朝は、南ユダ王国のお話です。南ユダ王国は、ダビデから始まり、その子どもたちが、順番に、王様になっていきました。
 しかし、南ユダ王国の歩みもまた、決して、完璧な歩みとは、言えるものではありませんでした。実は、神様の教えを忘れ、神様を拝むことをせず、外国の神々により頼んでしまう。そういう王様もいたようです。要するに、北イスラエル王国と同じ道を歩んでしまったこともあったのです。このままいけば、南ユダも滅んでしまいます。
 そのような悲惨な現実の中で、南ユダ王国を、大きく変える王様が、誕生しました。その人の名前は、「ヨシヤ」です。因みに、このヨシヤは、若干8歳で王様になったらしいです。私の娘が、今、8歳ですから、到底、考えられないことです。いや、私の娘は、ある意味で、家庭の王様ともいえるかもしれませんが。
 ある日、ヨシヤ王は、神様を礼拝する場所−神殿−を直すことを決めました。そして、作業に取り掛かったさなか、一つの書物を見つけます。そこに書かれていたのは、神様の御言葉でした。恐らく、旧約聖書の申命記だと思います。
 ヨシヤ王は、その神様の御言葉によって、このように感じたのではないでしょうか。「このままでは、この王国もダメになる。神様のもとに立ち帰らなければ」と。
 そこで、ヨシヤ王は、全ての国民を、神殿に集め、この御言葉を、全ての人に語り聞かせたのです。そして、最後に、このように言いました。「心を尽くし、魂を尽くして、主の戒めと掟を守ろう」と。北イスラエル王国のように、神様に背を向けて、滅ぶのではなく、神様と向き合い、神様の御言葉に従って、神様のもとに立ち帰っていこう。そのように、ヨシヤ王は、宣言したのです。
 そして、実際に、ヨシヤ王は、この言葉の通り、神様に立ち帰るために、外国の文化や宗教を取り除き、異教の神殿を取り壊し、何よりも、長い間、行っていなかった、過越の祭りを回復したりしたのです。この出来事を、「ヨシヤの宗教改革」と呼んでいます。そして、遂に、南ユダ王国もまた、持ち直すことができたのです。
 実は、先ほど、お伝えした、このヨシヤ王の言葉は、とても、有名な言葉です。モーセという人も、語っていますし、実は、イエス様も、この御言葉を語られました。イエス様は、この言葉を、このように表現しています。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と。
 つまり、神様に従って行くことは、神様を愛することなのだ、ということ。そのことを、イエス様は、語られたのです。
 神様が、望んでいることがあります。それは、「神様を愛すること」です。私達もまた、もしかすると、自分にとって都合の良いものを信じたり、愛したり、願ったりしていないでしょうか。心の中に、自分の理想的な像を作り上げていないでしょうか。その時、私達もまた、北イスラエル王国や、不信仰な時代の南ユダ王国になっているのかもしれない。神様を愛することを忘れてしまっているかもしれません。そして、その先には、決して、幸いとは、言えない結末が待っているのかもしれません。
しかし、ヨシヤ王が、そうであったように、私達は、立ち帰ることができるのです。御言葉によって、神様のもとに、戻ることができる。御言葉を通して、自分たちが、神様の子どもであること。そのことを思い出し、神様のもとに帰ることが許されているのです。
 神様は、私達に、神様を愛することを望んでおられます。しかし、実際には、神様が、いつでも、私達を、神様の愛の中へと導いてくださるのではないでしょうか。ヨシヤ王が、御言葉と、再び出会い、立ち帰る道が、開かれたように、私達もまた、常に、神様の御言葉によって、神様の愛の中に、神様によって、帰る道が開かれている・備えられているのではないかと思うのです。その意味で、神様が、まず、私達を、赦し、導き、愛して下さるのだ、大切にしてくださるのだ、ということ。そのことを覚え、その愛を返していく。そのような生き方を、主は望んでおられるのではないかと思うのです。
 さて、この南ユダ王国は、これから、どうなってしまうのでしょうか。ヨシヤ王は、エジプトとの戦争で命を落とします。因みに、その時のエジプトの王様の名前は、「ネコ」です。可愛い名前で、恐ろしい王であります。
 このヨシヤの死後、南ユダ王国は、再度、神様の御心と御言葉から離れてしまいます。そして、神様に頼るのではなく、人間の計画に頼ってしまいます。そして、北イスラエルと同様に、バビロンという大きな国によって、滅ぼされてしまうのです。
 果たして、イスラエルの人々は、このまま見捨てられてしまうのでしょうか。それは、違います。神様は、このイスラエルの国に、イエス様を与えて下さる。そして、イスラエルの人たちだけではなく、全ての人が、神様の民となるために、イエス様に、人間の罪を背負わせてくださった。
人間は、愚かです。弱さもあります。間違いを繰り返します。しかし、神様は、イエス様を通して、私達を罪と死から救い、永遠に神の民としてくださったのです。
ここに、神様の愛が貫かれています。その神様の下に立ち帰り、神様を愛するものとして、新たに生きる。それが、今、私達に求められた姿なのです。
 御子の命を惜しみなく死に渡されるほどに、神は、私達を愛し抜き、価値を生み出して下さる。その深い恵みに立ち帰り、その恵みに留まりつつ、神様を愛し、神様を礼拝する。そのような、私達でありたいと思うのです。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 11:28| 日記