2022年12月19日

2022年12月18日主日礼拝説教音声「主の導きに委ねて」須賀工牧師

聖書:使徒言行録20章13節〜27節、エレミヤ書1章4節〜10節
説教:「主の導きに委ねて」須賀工牧師

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皆様の上に、神様の祝福が豊かにありますように、心よりお祈り申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 08:34| 日記

2022年12月16日

2022年12月25日主日礼拝説教「神は共におられる」須賀工牧師

聖書:マタイによる福音書1章18節〜25節、イザヤ書7章14節
説教:「神は共におられる」須賀工牧師

 今朝、私達は、2022年度のクリスマス礼拝を捧げています。全ての蝋燭に火が、灯りました。様々なことにおいて、闇の多い、そういう時代ではありますが、主イエス・キリストの御降誕を通して、皆様の内に、少しでも希望の光が、届きますように。そして、この世界にあって、深い悲しみの中にある人々にもまた、救い主の光が、豊かに届きますように。そのように、心から、祈り願うものであります。
 今朝、私達に与えられた御言葉は、マタイによる福音書1章18節から25節の御言葉であります。まず、ここから、示されていることは、何でしょうか。
 それは、主イエス・キリストは、「聖霊」によって、誕生した、ということであります。主イエス・キリストは、確かに、マリアから生まれました。その意味で、私達と同じ、「人」として、この世に、お生まれになりました。
 しかし、主イエス・キリストは、同時に、ヨセフの力を介することなく、聖霊によって、お生まれになりました。その意味で、主イエス・キリストは、神様と等しき、聖なる御方として、この世に、お生まれになったのです。
 つまり、主イエス・キリストは、「真の人」「真の神」として、この世に、お生まれになったのです。それでは、どうして、主イエス・キリストは、このような仕方で、お生まれになる必要があったのでしょうか。
 それは、正に、主イエスの名が、それを表しています。即ち、「民を罪から救うため」であり、「神様が共にいる」ためなのであります。そのために、主イエス・キリストは、真の人、真の神として、お生まれになる。そういう必要があったわけです。
 マタイによる福音書は、カタカナの多い、キリストの系図から始まります。この系図に出てくる人々は、決して、完璧な人ばかりではありませんでした。むしろ、罪人ばかりです。この系図を一言で説明するならば、アブラハムから始まる「祝福の継承」と言えます。しかし、実際には、神様の祝福を踏みにじる「罪人たちの系図」とも言えるわけです。
 つまり、聖書は、私達人間の歴史を、神様の御心から離れた罪人の歴史。このように見ているのです。
しかし、神様は、アブラハムから始まる、この祝福を、決して、奪い去ることはしませんでした。この系図が、表しているように、神様は、長い忍耐を重ね続け、今や、キリストを通して、祝福の完成を、私達に見させてくださったのであります。
 人間の罪は、人間が、償わなければいけません。人間の罪を、他の動物が、背負う訳にはいかないのです。あくまでも、罪の責任は、私達自身に、置かれているのです。
しかし、人間は、人間の力によって、神様に喜ばれる、完全な償いをする。そのことは、出来ません。あるいは、人間は、人間の力で、神様の裁きに、耐え抜くこと。そのこともできないのです。神様の裁きに、耐えられるのは、ただ一人です。あるいは、神様に喜ばれる、償いができるのも、ただ一人です。それは、「神様ご自身」なのであります。
 それ故に、神様は、真の人であり、真の神である、主イエス・キリストを、この世に与えてくださった。そして、その御子イエス・キリストに、神様の裁きを与えることで、人間の一切の償いを任されたのであります。
 この主イエス・キリストの償いによって、本来、裁きを受けるべき、この私が、赦され、罪から解放され、死を越えて、神様と永遠に共に生きる。その深い恵みを、味わい知るものとされているのであります。
クリスマスは、正に、ただ、主イエス・キリストの御降誕を、お慶びするだけではありません。この深い償いの恵みを、心に深く刻みつけ、主イエスを、私の救い主として、迎え入れる。そのような時でもあるのです。
 では、私達は、どのようにして、この救いに生きることができるのでしょうか。マタイによる福音書は、主イエス・キリストの御降誕の物語において、系図に続き、ヨセフの物語を挿入しています。
 聖書によると、ヨセフは、正しい人でありました。それ故に、婚約者マリアの妊娠を、素直に、受け入れることが、出来ませんでした。
 当時、婚約者の妊娠は、姦通の罪に定められていました。そればかりか、ヨセフにとって、婚約者の妊娠は、二人の信頼関係を裏切る。そういうことでもあったのです。そこで、ヨセフは、表ざたにせず、ひそかに離縁することを考えました。そうすることで、少なくても、姦通の罪は、免れる。そのように、ヨセフは、考えたわけであります。
 しかし、主の天使は、ヨセフに、このように告げるのです。20節の御言葉をお読みします。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」。
 主の天使は、ヨセフに対して、「妻マリアを迎え入れなさい」と命じます。そして、その子が、聖霊によって生まれること。更に、その子が、救い主である、ということ。そのことを、ヨセフは、ここで、天使から、聴かされることになるのです。
 ここで、大切なことは、ヨセフは、ただ、妻マリアを迎え入れるだけではない、ということです。その子どもを、あなたの子として、迎えなさい。そのように命じられているのです。名前をつけるとは、正に、その子の父になりなさい、という意味なのです。それは、言い換えるならば、その救い主である御子を、あなたの内に、迎えなさい。そういう意味にも捉えることができるのです。
 もし、ヨセフが、これを拒否していたら、どうでしょうか。恐らく、先の系図に、ヨセフの名は、残されることは、なかったでありましょう。
 しかし、ヨセフは、この御言葉に従ったのであります。主の御言葉を受け入れ、その子を、我が子として認めることをしたのです。それは、言い換えるならば、主イエスを、救い主として、真の神として、自らの内に、迎え入れ、受け入れた。そういうことが、ここで、起こったわけです。
 そして、正に、それ故に、彼は、キリストの系図の中に、その名を残していただいたのだ、ということなのです。言い方を変えるならば、ヨセフは、その信仰によって、神様の家族の一人として、その名を数えられたのだ、ということになるのであります。
 あの系図は、ある意味では、人間の血の繋がりを表すものです。しかし、神様の家族は、違います。血の繋がりではありません。主イエスを、救い主として、真の神として迎え入れる。その信仰によって、神様の家族の一人として、その名を刻んでいただけるのです。
 私達もまた、同じです。確かに、私達は、主イエス・キリストと、血の繋がりはありません。
 しかし、私達も又、主イエスを、私の救い主として、迎え入れていく。その信仰によって、神様のもとに、その名を、神様の家族として、刻んでいただけるのであります。この世にあっては、小さな存在であるかもしれない。この世にあっては、弱い存在であるかもしれない。この世に名を残すような人間ではないかもしれない。
 しかし、神様が導かれた、その信仰によって、神様は、あなたを覚えていて下さる。あなたの名を知っていて下さる。ここに、信仰を持つ者の深い、慰めがあるのです。大切なことは、信仰に、自らを委ねて生きる、ということなのです。
 私達は、信仰を持つことによって、決して、この世の幸せを得られるわけではありません。むしろ、厳しい、道のりを行かなければいけない。そういう時もあります。実際に、主の御言葉に従った、マリアやヨセフも、この世から排斥され、家族からも見放されていきます。あるいは、エジプトにまで、追いやられたこともあるのです。
 しかし、信仰は、決して、一人で生きることではないのです。ここに神様がいてくださる。ここに、神様が共に、生きていて下さる。ここに、私のために、命を捨てて下さる救い主がいてくださる。その神様に背負っていただく。担っていただく。そして、この地上だけはなく、その死の先まで、担っていただく。そういう希望を知りながら生きられるのです。
 このクリスマスの時、ぜひ、皆様の内に、真の神であり、真の人、そして、真の救い主であるイエス様を、私の救い主として信じて、迎えて頂ければと思います。この悲しみの多い世界の中で、あなたのために命を捨て、あなたのために、新しい命をもたらし、神様の祝福を、完成して下さった。その御方を、私の王として、私の救い主として、お迎えし、罪や死を越えるほどの、真の希望を知るものであってほしい。そのように、強く願うものなのであります。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 17:48| 日記

2022年12月12日

2022年12月11日主日礼拝説教音声「御言葉による慰め」須賀工牧師

聖書:使徒言行録20章7節〜12節、詩編30篇1節〜13節
説教:「御言葉による慰め」須賀工牧師

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皆様の上に、神様の祝福が豊かにありますように、心よりお祈り申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 17:05| 日記