2022年12月01日

2022年12月11日 礼拝予告

〇教会学校 9時15分〜
聖書:マタイによる福音書1章18節〜25節
説教:「ヨセフへの御告げ」

〇主日礼拝 10時30分〜
聖書:使徒言行録20章7節〜12節、詩編30篇1節〜13節
説教:「御言葉による慰め」須賀工牧師

感染予防対策をした上で、礼拝をささげています。皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。

↓↓ クリスマスの諸礼拝案内
2022年度石山教会クリスマスのご案内.pdf
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2022年12月4日主日礼拝説教「励ましの言葉」須賀工牧師

聖書:使徒言行録20章1節〜6節、詩編126篇1節〜6節
説教:「励ましの言葉」須賀工牧師

 今朝、私達に与えられた御言葉は、使徒言行録20章1節から6節の御言葉です。パウロによる、エフェソ伝道が、いよいよ終わります(因みに、滞在期間は、3年であったと言われています)。
 その後、パウロは、一旦、エルサレムに戻り、次に、ローマを目指します。但し、パウロは、直ぐに、エルサレムへ向かいません。一旦、マケドニア州、そして、ギリシア(恐らく、コリント)に寄りました。
そして、三カ月後、パウロは、船で、エルサレムに戻る計画を立てました。しかし、ユダヤ人の陰謀を知り、陸路を通って、帰ることにしたようです。
 今朝の御言葉は、簡単に言えば、これだけです。但し、実は、ここに書かれていない、沢山の出来事が、この背景では起きていたのです。恐らく、今のキリスト教に、大きな影響を与えてしまう。それほどの大きな、そして、影響力のある出来事が、ここで起きていたのです。今朝の説教は、この背後に起きた、大きな出来事から、神様のメッセージに耳を傾けたいと思います。
 今朝、私達が、共に、注目したいのは、使徒パウロが、マケドニア州から「ギリシア」に行ったこと。そこで、三カ月間、過ごしたこと。そこに注目をしたいと思います。恐らく、ここで言われている「ギリシア」とは、「コリント」のことであると思います。
 そもそも、コリント教会は、パウロの第二伝道旅行において、1年6カ月滞在中に、誕生した教会です。つまり、パウロの根気強い、伝道を通して、生まれた教会なのです。
 しかし、残念なことですが、その後、コリント教会とパウロの関係は、決して、円滑ではなかったようです。
 コリントという町は、当時の交通の中心でありました。それ故に、様々な人々が来ます。様々な文化がもたらされます。他宗教や哲学ももたらされます。色々なものによって、教会もまた影響を受けてしまったわけです。結果的に、教会が分裂してしまうことになります。
 使徒パウロは、エフェソ滞在中、3年間に亘り、コリントに宛てて、少なくと四通の手紙を書いています。
残念なことですが、最初の一通目について、私達は読むことができません。しかし、二通目の手紙は、読むことができます。それが、コリントの信徒への手紙一です。コリントの信徒への手紙一5章9節には、次の様に書かれています。「わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが」とあります。ここから、この手紙は、少なくとも二通目の手紙であることが分かります。
 いずれにせよ、パウロは、様々な文化や習慣によって、翻弄されてしまった教会、倫理的に乱れてしまった教会に対して、アドバイス的な手紙を送っていたようです。更に、このコリントの信徒への手紙一においては、コリントの信徒たちの質問に答えている。そのような部分もあるため、この時、両者の関係は、アドバイスを受ける側とアドバイスをする側という関係、即ち、対話ができる関係性であったことが分かるのです。
 しかし、この後、この両者の関係は、徐々に険悪なものになってしまいます。恐らく、教会の中で、パウロに反対する人たちが出て来たようです。彼らは、パウロの語り続けてきた福音を否定しただけではなく、パウロが使徒であることを否定して、教会の人々を、その誤った価値観へと引きずり込んでしまったようなのです。
 そのことを受けて、使徒パウロは、三通目の手紙を書きます。それが、コリントの信徒への手紙二の一部分です。因みに、パウロ書簡は、いくつかの手紙を寄せ集めたものですから、時系列がバラバラであることを覚えておいてください。
 いずれにせよ、コリントの信徒への手紙二7章2節には、次の様に書かれています。「わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした」。ここから分かることは、コリントの教会の人々が、パウロに対して、心を閉ざしてしまった、ということです。パウロに対して、対話をすることを拒んでしまった。そういう状況が、教会の中で起きてしまったわけです。
 しかし、コリントの信徒へ手紙二7章2節以下を読み続けていくと、パウロは、そのようなコリントの教会に対して、なお期待をもって語りかけている。そういう様子もうかがい知ることができます。
 恐らく、この三通目の手紙を書き終えた後、パウロは、一度、エフェソからコリントへ移動したと考えられます。このことについては、使徒言行録には、記されていません。その代わり、コリントの信徒への手紙二13章1節には、次の様に書かれています。「わたしがあなたがたのところに行くのは、これで、三度目です」。一度目は、第二伝道旅行の時でしょう。三度目は、今朝の御言葉の時であると思います。ですから、第二伝道旅行と最後の訪問の間に、恐らく、エフェソ滞在時に、コリントに行ったのだろうと思います。
そのあたりの事情については、四通目の手紙、つまり、二度目の訪問後に書かれた手紙に記されています。それが、コリントの信徒への手紙二2章1節以下の御言葉です。そこには、次の様に書かれています。「そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました」。
恐らく、二度目の訪問によって、パウロは、コリントの人々から受け入れられなかったと考えられます。むしろ、悲しみに暮れながら、帰らなければいけなかったようです。しかし、本来、深い悲しみの内にあるパウロは、むしろ、自分が、コリントの人々を悲しませてしまった。もうそういうことはしたくない。そういう心情で、コリントの人々に気を配りながら、彼らを見つめているのであります。そのような複雑な心境が、ここから滲み出ているように思うのです。
 この四通目の手紙の冒頭の後半で、パウロは、次のように記しています。「わたしは、悩みと愁い(うれい)に満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。」ここから、この四通目の手紙は、「涙の手紙」と呼ばれるようになったわけです。
 そして、いよいよ、パウロは、一つの決心をします。しかし、この決心も又、コリントの人たちに対する「愛」を伝えるための決心なのです。そして、この涙の手紙における主要部分は、10章から13章までとなっています。
 それでは、コリントの信徒への手紙二10章1節と2節をお読みします。「さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むように願っています」。続いて、結びのことばでもある13章2節には、次のように書かれています。「以前、罪を犯した人と、他のすべての人々に、そちらでの二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。今度そちらに言ったら、容赦しません」。
 福音から逸れ、教えから逸れ、倫理的に堕落し、教会性を失ったコリント教会であります。深い悲しみの中で、パウロは、この教会を見捨ててしまう選択肢もあっただろうと思います。そして、今、コリントの教会は、自分自身に、全く心を開かない状態でもあります。
 しかし、パウロは、ここで諦めなかった。もう一度そこに行くのです。しかし、これは、喧嘩をしに行くわけでもありません。批判をしに行くわけでもありません。そこに、もう一度、福音を回復させていくこと。キリストの体を、もう一度、立ち上げるためなのです。それが、パウロの目的なのであります。キリストにおける、ただ一つの福音を回復させること。これが、パウロの目的であり、そして、パウロの教会に対する愛の表し方なのであります。
 それについては、このコリントの信徒への手紙二の「結び」を読んでいただければ、よくわかるかもしれません(例えば、13章10節には、次のような言葉もあるのです。「遠くにいてこのようなことを書き送るのは、わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく、造り上げるために…」)。
 このようにして、パウロは、深い悲しみと厳しい心をもって、この四通目の手紙を書きました。その後、パウロは、恐らく、テトスを、先にコリントへ派遣し、自らも、エフェソ伝道を終えて、コリントに向かったようです。目的は、福音の回復です。救いの回復のためです。そのために、パウロは、自らと反対している多くの人々と対峙する。その覚悟で向かったのであります。これが、今朝の御言葉における、コリント訪問の背景にあったことなのです。
 さて、この訪問の結果、何が起きたのでしょうか。それが、コリントに宛てた、五通目の手紙によって、記されています。それが、コリントの信徒へ手紙二7章5節から16節の御言葉です。少し長いので、5節から9節の御言葉をお読みします。「マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。あの手紙(涙の手紙)によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです・・・云々」。続いて、10節「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」。
 パウロは、四通目の手紙を出した後、テトスを派遣し、自らも、コリントに向かったようです。しかし、その道中、不安や恐れが支配する中、マケドニアにて、テトスと再会した。そして、コリントの教会の人々が、四通目の手紙を通して、悲しみに暮れながら、しかし、彼らが、悔い改めたことを知ったのであります。
 パウロは、その知らせを受けて、深い慰めと喜びを経験したのであります。そして、神様が、この教会を見捨てていないこと、神様の愛は、決して、奪われていないということ。そのことを知り、そして、それを、大きな原動力として、マケドニアの教会に対して、言葉を尽くして、彼らを励まし、コリントにて、三カ月の月日を過ごしたのであります。そして、何よりも、この三カ月の間に、使徒パウロは、あのローマの信徒への手紙を書くことになるのです。この深い慰めや喜び、その原動力がなければ、この手紙は、書かれなかったかもしれません。
 パウロの手紙は、御言葉として、礼拝で読まれていました。コリントの人々の罪による傷は、正に、御言葉で癒されたのであります。彼らを悔い改めへと導いたのは、御言葉と、そこで働かれる聖霊によるものだったのであります。
 教会もまた、人の群れであり、この世の文化や交わりの中に置かれています。その中で、道を逸れてしまうこともあります。御言葉よりも、都合のよい人の言葉に引きずられてしまうこともある。過ちも犯します。失敗します。
 しかし、教会には、御言葉がある。礼拝がある。変わることのない、キリストの赦しがある。悔い改めへと導く招きがある。私達は、いつでも、そこに帰ることができる。それは言い換えるならば、どれだけ過ちを犯しても、諦めないで、招き続ける、主の声があるということなのです。
 パウロは、マケドニアにおいて、恐らく、ギリシアにおいても、言葉を尽くして、人々を励ましたことでしょう。ここで言われている「励まし」という言葉は、「慰め」という意味があります。直訳すると、「そばに呼ぶ、招く」という意味です。教会は、いつでも、主に立ち帰るように招かれ、そこで、癒しを受け、新たに成長することができる。そのための御言葉が、いつでも、礼拝の中で、備えられているのです。今、私達もまた、この主の慰めの下で、真の安息を得るものとされ、新たに成長させられているのです。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 08:37| 日記