2023年03月18日

2023年3月19日主日礼拝説教「躍り出て飛び回る」須賀工牧師

聖書:マラキ書3章19節〜24節
説教:「躍り出て飛び回る」須賀工牧師

 教会学校では、この一年間、旧約聖書から御言葉に聴いて参りました。今日は、その最後の御言葉です。
 旧約聖書の最後には、何が書かれているでしょうか。「彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって/この地を撃つことがないように」。これが、旧約聖書の最後の言葉、マラキ書の言葉です。この言葉を、覚えておいてください。
 そのことを踏まえて、ここで、旧約聖書の歴史を、少し、ざっくりとではありますが、振り返りたいと思います。神様は、アブラハムという人に、大切な約束をしました。それは、「あなたから、多くの国民が生まれます」という約束です。この場合の「国民」とは、ただの「国の人」という意味ではありません。これは「神様の国民」「神様の民」という意味です。
 つまり、神様は、アブラハムに対して、「あなたから、沢山の神の民が生まれます」という約束をして下さったのです。このお約束の通り、神様は、アブラハムからイサク、イサクからヤコブを生み出し、そして、その後、沢山の人や民族を生みました。そして、素晴らしいことに、彼らは、神様を信じる「信仰」を財産とし、後の時代の子どもたちに、ちゃんと継承していったのです。
 イスラエルの民は、その後、一つの国まで持つようになります。そして、王様がいる王国になり、益々、大きく成長していきました。
 しかし、国が大きくなればなるほど、何が増えるでしょうか。人の言葉や思いが、増えてしまいます。つまり、イスラエルの人々は、国が大きく成長するごとに、次第に、神様の御言葉よりも、人の言葉、人の思い、人の願いを、優先するようになってしまったのです。
 すると、どうでしょうか。瞬く間に、その国は、二つに分かれてしまいました。それだけではありません。北の国も、南の国も、最後には、大きな国によって滅んでいってしまったのです。
 神様との関係が、途切れてしまうと、人の関係まで途切れてしまう。そして、最後には、両方とも滅びてしまう。そういう現実を、私達は、ここで知ることができるのかもしれません。イスラエルの人たちは、この出来事を、自分たちの罪によって起きた、神の裁きだと、信じたようです。
 それでは、神様は、このまま、イスラエルの人々を、見捨てて終わるのでしょうか。神様は、そのようには、なさらなかったのです。むしろ、このイスラエルを赦し、愛し、もう一度、民を、立て直すこと。そのことに、御心を留めて下さったのです。
 それでは、どのようにして、神様は、イスラエルの民、神様の民を、立て直すのでしょうか。それが、先ほどの御言葉から示されていることです。つまり、「私が来る」ということです。神様が、来て下さる。神様御自身が、来てくださる。そのことによって、神様の民を回復させる。そのことを、神様は、その御心に留めてくださったのです。
 それでは、どのような仕方で、神様は、来てくださったのでしょうか。それが、主イエス・キリストなのです。真の人であり、真の神様であるイエス様。このイエス様を通して、神様は、神様の民を、神様の新しい民として、回復させ、立て直し、神様の御国に入れてくださるのです。
 イエス様は、私達のために、何をしてくださったのでしょうか。私達の罪を背負い、代わりに裁きを受けられたのです。今朝の御言葉から言うならば、身代わりとなって、撃たれてくださった。本来、裁かれるべき、撃たれるべき、私達の身代わりとなって、裁きを受けてくださった。それによって、私達は、私達が、赦され、愛されていることを、知る事ができるのです。
 しかし、イエス様は、死んで終わりませんでした。そこから、甦られました。罪とか死を打ち破って、復活されたのです。それは正に、裁きの日は終わり、新しく生きる道。新しい道、それは、神様の御国に続く道を作ってくださった、ということなのです。
 私達は、このイエス様を、私の救い主と信じることで、この新しい道を歩むことができます。私達は、この深い救いを、自分の救いとして味わうことで、神様の民として、新しく生きることができます。
今までの道は、死や滅びに向かって行く道でありました。しかし、今や、キリストを通して、神様の民として、神様の御国に至る道を、歩むことができるのです。
 これは、もう、イスラエルの人たちだけの恵みではありません。信じる全ての人に与えられた、神様の恵みです。大事なことは、ただ、これを受け取ることです。ただ、これを味わうことです。是非、この恵みを、皆さんの恵みとして、受け取っていただければと思います。
 私が、教会学校の皆さんに、お話をするのは、今日で最後です。10年間、教会に来てくれて、ありがとうございました。私は、これから、埼玉の教会に移ります。少し、距離が離れてしまいますが、それは、目に見える部分の出来事です。
 私達は、神様によって、キリストによって愛されている、一つの家族です。だから、私達が捧げている礼拝も、信じているものも、私達が、これから向かって行く先も、一つであることに変わりはありません。私達は、神様を中心とした、一つの群れなのです。
 人間の言葉は、人間に分裂を生みました。しかし、その分裂は、キリストの十字架の死と復活によって、回復されています。だから、キリストの十字架を前にして、私達は、一つの体であり続けることができるのです。
 そのことを深く心に留めて頂き、これからも、是非、教会に連なり続けて頂ければと思います。自分たちの捧げている礼拝が、遠い土地の教会と繋がり、更に言えば、神様の御国、天国にもつながっている。そのことを、礼拝の中で、喜び、味わいながら、これからも、神様の御言葉のもとに集まっていただければと、心から願っています。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 11:02| 日記