2023年06月11日

2023年6月11日 主日礼拝説教「さんびは主のもの」大坪信章牧師

ユダの手紙24節〜25節、歴代誌上29章10〜13節                 
説 教「さんびは主のもの」大坪信章牧師

 今日は「子どもの日・花の日」の合同礼拝です。「子どもの日・花の日」礼拝は、昔、170年ほど前のアメリカで、子どもたちのために特別な礼拝を献げたことが始まりだと言われています。それは、子どもたちを神さまに感謝して、主の御名によって祝福する礼拝です。その後、元々6月に行われていた「花の日」の礼拝と一緒になって、6月第2回目の日曜日には、子どもたちが花を持ち寄って、礼拝堂を飾り付けたと言われています。そして、礼拝の後に、その花を、地域の施設や公共機関に届けて、感謝の気持ちを伝えるようになったと言われています。石山教会では、しばらく、コロナ感染症などの理由で、花を持ち寄って届けることを控えています。でも、また、それを復活させたいという声も聞いているので、また考えたいと思います。

 さて、今日の聖書のお話は、教会学校の礼拝で聞いている、お話の続きです。今、教会学校では『主の祈り』を学んでいます。そして、今日は、その『主の祈り』の、ちょうど最後の部分「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」というところのお話なのです。この言葉は、イエスさまが教えてくださった『主の祈り』の中にはありません。これは『主の祈り』を教えてもらった人々が、思わず口にしてしまった祈りの言葉なのです。それは、どんな言葉かというと「神さま、あなたは、もう、本当に素晴らしい」っていう言葉です。簡単に言えば、神さまを誉めて、誉め讃えているのです。「神さま、最高」って言っているのです。人間の中にも、素晴らしい人はいますが、それとは比べものにならないほど、神さまは素晴らしいのです。

 この「神さま、最高」っていうのは、他の呼び方で「頌栄」と言います。「頌栄」は、讃美歌の中に幾つかあります。礼拝の最初や最後に歌う短い讃美歌のことです。教会学校の礼拝では、礼拝の最後に「頌栄、さんびか25番」を歌っています。これは、大人の礼拝では、いつも礼拝の始めに歌っている讃美歌なので、今日の礼拝の最初に歌いました。「たたえよ、主の民、みつかいと共に、恵みにあふれる、父・子・聖霊を」と。「父・子・聖霊」というのは、3つで1つの神さま、三位一体の神さまのことです。それ自体が、もう既に素晴らしいです。

 だから、今日の礼拝の最後には、別の「頌栄、さんびか26番」を歌います。これは、とても簡単な同じ言葉の繰り返しです。「グロリア、グロリア、グロリア、父とみ子に、グロリア、グロリア、グロリア、聖なる霊に」です。これも「父とみ子」と「聖なる霊」(聖霊)とあるので、三位一体の神さまを賛美しています。「グロリア」って、クリスマスの時に聞く言葉です。「あらののはてに、夕日は落ちて」の讃美歌の、一番、盛り上がる所で「グロ〜〜オ〜リア・インエクセルシスデ〜オ〜」って歌います。その意味は「栄光」です。「栄光が、神さまにありますように」って歌っています。「栄光」は『主の祈り』の最後にもありました。それは「国と力と栄え」の「栄え」のことです。よく、栄光の冠と言ったりします。その栄光の冠(栄冠)は「神さま、あなただけが、被るのに全くふさわしいです」と歌っているのです。

 つまり「この世界の王様は、神さま、あなただけです」と言っているのです。だから「国と力」も、本当の王さまにこそ相応しいものだから「神さまのものです」と言うのです。むしろ、神さまのものであるべきですし、神さまのものでなくてはならないものです。なぜなら、今、世界では戦争が起こっています。戦争を引き起こす人たちは「自分の国は俺のもの、お前の国も俺のもの」と言って、世界を滅茶苦茶にしようとしています。そういう人たちは、決まって、俺が一番だれよりも力が強い、俺が一番だれよりも栄光に輝いていると思っています。そして、俺を賛美しろ、もっと俺を誉め讃えろと言っています。でも、そんなことは絶対にありません。だから、誰も、そんなふうに言ってはいけないし、誰も、そのような人を賛美したり、誉めたりしてはいけないのです。この世界の王様は、神さま、ただお一人だけだからです。

 要するに『主の祈り』の後に、私たちは「神さま、あなたは、もう、本当に素晴らしい」って言っているというか、言ってしまうのです。というよりも、言わずにはいられないのです。もう、感極まって、言葉では表現できなくなるような感じです。皆さんも、そうではないですか。本当に感動すると、こんな言葉が出て来ませんか。「すごい、すごい」って。もう、言葉にならないから、短い言葉しか出て来ないんです。だから「頌栄」も、短い言葉の讃美歌です。

 最近の若い子たちは「すごい、すごい」と同じくらい「やばい、やばい」って言いますね。普通「やばい」というのは、大変な時や困った時に、自然と口から出て来る言葉です。でも、嬉し過ぎて、どうしようもなくると「やべー、すげー」っていう言葉が口から出てくるのです。若い子たちが言っているからいいですけど、年を取った老人が「やべー、やべー」とか「やべー、すげー」って言っていたら、そっちのほうが「やべー」かもしれません。だから「頌栄」は、神さまへの尊敬の気持ちを、何とか言葉にしたものと言ったら良いのかもしれません。

 だから、神さまを信じる人たちの口からは、こんな「頌栄」の言葉も出てきます。「ハレルヤ」これは「主の御名を賛美します」っていう言葉です。「神さま、最高」って誉めちぎっているのです。だから、礼拝で、聖書のお話しを聞いている人の中には、神さまの言葉に感動して、思わず「ハレルヤー」って、口に出して言う人も他の教会にはいます。比較的、多いのは「アーメン」という言葉です。それは、礼拝の最中だけではなく、お祈りの最中にも聞こえてくることがあります。だから「ハレルヤ」や「アーメン」も「頌栄」ですね。

 実際「頌栄」の最後には「アーメン」と言っています。『主の祈り』の最後も「アーメン」と言っています。だから『主の祈り』の最後の言葉は「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン」です。それは「本当にその通りです」という意味の言葉です。だから『主の祈り』が終わる時や、讃美歌を歌い終える時、そして、礼拝の終わりになると、みんな自然に、そのような気持ちになるのです。「神さま、あなたは、もう、本当に素晴らしい」という気持ちに。それは、本当にそうだから、最後は、もう「アーメン」「本当にその通りです」と言うしかないのです。

 実は、今日のお話は、なかなか準備ができなくて、昨日の夜も、何もお話を書けなくて、横になったら寝てしまいました。そして、目が覚めたら午前3時でした。それこそ「やべー、やべー」でした。だから、神さまにお祈りしたのです。そうしたら、ある言葉が頭に浮かんだのです。それから、ようやく、お話を書き始めることができるようになりました。その言葉は、イタリア語の「ブラボー」です。これは、オペラとか舞台で何かを演じる人たちが、とても素晴らしい演技をした時に、その能力を誉め讃えて、客席からお客さんが叫ぶ言葉です。だから、これを神さまに向けて言ったら、それは、誉める言葉ですから「頌栄」になります。「神さま、あなたは、もう、本当に素晴らしい」と。

 こうして、何とか言葉で「神さまは、すごい」っていうことを話してきました。でも、もう、言葉では表現できなくなると、次に人間がするのは、身体で表現するということです。それが拍手です。皆さんも、本当に素晴らしいことをした人に、心から拍手を送りますよね。神さまは、それ以上に素晴らしいことをしてくださったので、神さまに拍手を送るのも「頌栄」です。

 そこで、最後に一番大事なことをお話しします。今まで、神さまは最高、すごい、素晴らしい、ブラボーと、言ってきました。それでは、一体、神さまの何がすごいのか、何が素晴らしいのでしょうか。今日、みんなで唱和した交読文には、神さまは「驚くべき大きな御業を行う方」とありました。神さまは、天と地を造り、海と空も大地も造り、そして、太陽も月も星も造られました。だから素晴らしいというのもあります。

 でも、もっと素晴らしいことがあります。それが、今日の聖書の言葉です。ユダの手紙24節25節「あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる方、25わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン」です。

 神さまは、私たちを罪と滅びから救ってくださる方なのです。どのようにしてかと言うと、それは「私たちの主イエス・キリストを通して」です。イエスさまは、私たちの罪のために身代わりとなって十字架に架かって死んでくださいました。このイエスさまを、私の主、私の王と信じるなら、誰でも救われるのです。この救い主イエスさまを私たちに与えてくださったからこそ、神さまは素晴らしいのです。だから「国も力も栄え」も神さまのものですが、讃美も感謝も、そして、私たち一人ひとりも神さまのものです。イエスさまを与えてくださった神さまは、今、すべての人に聖霊(神の言葉)を与えてくださっています。この素晴らしい神さまを、これからも讃美して、すべての栄光を神さまに、おかえししながら生きていきたいと思います。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 15:03| 日記