ルカによる福音書5章12節〜16節、列王記下20章1節〜7節
説 教「御言葉への信頼」大坪信章牧師
イエスさまは、漁師のペトロたちを伴い、彼らと出会われたティベリアス湖と呼ばれるガリラヤ湖を後にされました。その後、漁師のペトロたちと共に遣って来られたのは「ある町」でした。12節を見ると「イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた」とあります。これまで、イエスさまは、汚れた悪霊に取りつかれた男を悪霊から解放し、ペトロの姑を病(熱)から回復させました。その他にも、色々な病気で苦しむ者を癒し、多くの人に自由を与えられました。そして、今日、イエスさまは「全身重い皮膚病にかかった人」と出会われたのです。このルカ福音書では、この5章に至るまでに、既に「重い皮膚病」という言葉が出てきていました。それは、4章27節です。「また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった」とあるのです。このナアマンは、異邦人で、その当時(紀元前850年頃)、ただ一人、その「重い皮膚病」が癒されたのです。それは、預言者エリシャが語った言葉(御言葉)を、ただ信じたからです。その物語は、列王記下に記されています。その5章10節で、エリシャは言いました。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります」と。それを、エリシャは、直接ナアマンに会って話したのではなく、使いの者をナアマンのもとに送って言わせたのです。そのため、ナアマンは怒って国に帰ろうとしました。しかし、家来たちがナアマンを説得し、ナアマンがエリシャの言った通りにすると「重い皮膚病」は癒されて元に戻り、ナアマンの体は清くされ、小さい子どもの体のように、すべすべになったのです。このナアマンが、エリシャの語った言葉(神の言葉)を、ただ信じたというのは、今日の物語にも共通することです。
ナアマンもかかった、その「重い皮膚病」は、旧約の原語ヘブライ語で、ツァラアトと言って、打つとか打たれた者を意味します。また、新約の原語ギリシア語では、レプラと言って、鱗状のガサガサしたもの、かさぶた状の、或いは、外皮を剥ぐことを意味します。以前は、この「重い皮膚病」のことを、今で言うハンセン病のことだと見なしました。ただ、厳密には、もっと広い意味での皮膚病として取り扱われるため、現在では、ハンセン病そのものを指すのは間違いであると言われています。一番新しい聖書協会共同訳では「規定の病」(律法で規定された病)となっています。いずれにしろ、私たちは、その病の患者が、肉体的、精神的、また、社会的苦痛を受けたことを知っています。それは、直接は、病が与えた苦痛でしたが、それ以上に、人間の無知や無理解、そして、無情が与えた苦痛のほうが大きかったと言わざるを得ません。
この広い意味での皮膚病の扱いについては、聖書の旧約、レビ記13章14章の律法の規定の中に記されています。それこそ、聖書協会共同訳で言うところの「規定の病」です。そして、それは、本当に広い意味で取り扱われています。というのは、人間の身体の疾患のことだけを言うのではなく、他に衣類や皮(革)や家屋(壁の表面)等に発生する菌やカビの状態を指す名称でもあったからです。ここでは、その中の皮膚病、或いは、白癬と呼ばれるケースについて取り上げます。もし、皮膚病の疑いがある時は、祭司のところに行って調べてもらいます。そして、次の症状がある時、皮膚病という診断が下ります。それは、皮膚の毛が白や場合によっては黄色みを帯びた症状、或いは、赤みがかった白の疱疹や湿疹が皮下組織に及んでいる時。発疹が皮膚に広がっている時。また、皮膚がただれている時です。その時、祭司は、その人に「あなたは汚れている」と宣告します。反対に、次の症状がある時は、皮膚病ではないという診断が下ります。それは、皮膚の毛が白や黄色みを帯びることなく、赤みがかった白の皮膚でもなく、症状が皮下組織に及んでいない時。発疹が皮膚に広がっていない時。また、皮膚がただれておらず白くなっている時です。その時、祭司は、症状が軽ければ、場合によっては1週間、長くて2週間の隔離の期間を経て、その人に「あなたは清い」と宣告します。
このように、重い皮膚病と診断された場合、患者は皮膚と皮下組織(神経)にダメージを受けています。皮膚の感覚はなくなり、身体に奇形や変形を伴う危険な状態です。このような重い皮膚病にかかった患者、それは、祭司から「あなたは汚れている」と宣告された人は、律法で2つのことが課されました。1つは、人が自分の近くを通る時「衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない」(レビ記13章45節)ということです。また、もう1つは「その人は独りで宿営の外に住まねばならない」(同46節)ということです。この2番目の隔離については、病が蔓延するのを防ぐための処置でした。けれども、先程「重い皮膚病」が、旧約の原語ヘブライ語では、ツァラアト、それは、打つとか打たれた者を意味するとあったように、神に打たれた者、つまり、罪ある者、汚れた者としての隔離でもあったのです。そのため「重い皮膚病」の患者は、肉体の苦しみに加え、軽蔑という、それは、精神的・社会的な面も合わさった、二重の苦しみに耐える必要があったのです。
そのような「全身重い皮膚病」にかかった「この人」は、宿営の外からやって来て、12節「イエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と願った」のです。「この人」は、イエスさまを前に、これまで多くの「重い皮膚病」の患者がしてきたように「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわることをしませんでした。むしろ、イエスさまに近づき「ひれ伏し」たのです。この「ひれ伏す」という言葉には、顔や眼という意味があります。「この人」は、イエスさまと向かい合って、顔と顔を合わせ、イエスさまの目に、自分の存在を認めてもらおうとしたのです。そして、その顔(口)から出る、つまり、言葉(御言葉を)を求めたのです。「この人」は「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と言わなければならないことを、頭では理解していても、体がイエスさまに反応したのでしょう。というのは、人間には、第1の脳が頭にあり、第2の脳が内臓の腸にあり、そして、第3の脳が皮膚にあると言われます。確かに、頭で物事を受け止める時、腸で物事を受け止める時があるのと同じように、肌で、それは、皮膚で物事を受け止める時もあります。
例えば、スーパーへ買い物に行った時に、不思議な感覚に陥ったことが何度かあります。それは、食品や食材のあるフロアを歩いていると、頭ではなく、体のほうから「今日は魚が食べたい」とか「今日は肉が食べたい」と要求してくるのです。別に体が言葉を発するというわけではなく、欲する食品のほうに向かって体が勝手に動いていくのです。昨日は、おそらく体が自分の体に足りないと、余程心配したのか、今まで一度も買ったことがない「野菜サラダ」を手に取っていました。大体、野菜は食材を買って調理しますが、最近は、それが滞り、体が悲鳴を上げたのだと思います。また、日焼けもそうなのです。一昨年までは何のケアもしなかったのに、昨年から、皮膚が日陰を求めて歩き、交差点では、柱の細い陰の所に立って信号待ちをするほどです。
余計なことを話しましたが、きっと「この人」も、律法の規定では、人に近づくことが許されていないことは百も承知でした。けれども、イエスさまが町に遣って来られた時、頭を差し置いて、皮膚が反応し、体が自然とイエスさまのほうに向かったのではないかと思うのです。そして「この人」は言いました。「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と。そうすると「この人」は、御心でなければ、自分は清くされないという思いが、同時に頭を過っていたはずなのです。「この人」は、これまでのうわさ通り、イエスさまに対して「重い皮膚病」を清める御言葉への信頼はあったのです。しかし、罪を赦し清める御言葉への信頼は、まだ、なかったと言えます。しかし、イエスさまは、13節「手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』」と言われました。すると「たちまち重い皮膚病は去った」のです。イエスさまは、まず、手を差し伸べて「この人」に触れました。それは「この人」の皮膚や体が、どれほど欲し、待ち望んだ御業だったでしょう。手当てという言い方があるほどですから、そのような行為が清めの一端を担っていたということは否めません。しかし、それで「重い皮膚病は去った」とは、書かれていないのです。「よろしい。清くなれ」それは「わたしの心だ。清くなれ」とイエスさまが言われた時に「たちまち重い皮膚病は去った」のです。だから、明らかに「重い皮膚病」は、イエスさまの言葉(御言葉)の権威に反応したのです。「重い皮膚病」もそうですが、遡れば、ペトロの姑の病である「熱」もイエスさまの権威ある御言葉によって去り、男に取りついた悪霊もイエスさまの権威ある御言葉によって出て行きました。こうして、人間に苦痛を味わわせる、この世の様々な支配、それは罪と死と滅びの支配から、人々を解放し、回復させ、自由を与えることが、イエスさまの心だったのです。だから「この人」の御言葉への信頼は、まだ完全ではなかったと言えます。イエスさまの心は、人の皮膚や神経を犯す「重い皮膚病」からの解放以上に必要な、心と魂を犯す「罪」からも解放し、自由にするからです。その罪からの解放については、次の物語の中で取り扱われます。
ところで「重い皮膚病」や「熱」は、どこに去り、「悪霊」は、どこに行ったのでしょうか。消えたわけではありません。「悪霊」や「病」や「重い皮膚病」、そして、罪や死や滅びは、イエスさまが、負うべき重荷として、その身に背負われたのです。そして、十字架の時に、イエスさまは、その重荷と共に、神に打たれ、呪われた者となり、見捨てられた者となり、私たちの悩み苦しみの身代わりとなって死なれたのです。だから「重い皮膚病」にかかった「この人」に告げたイエスさまの言葉「よろしい。清くなれ」それは「わたしの心だ。清くなれ」というのは、イエスさまの命を懸けた言葉であり、究極の愛の言葉だったのです。そこで、イエスさまは、14節で「厳しくお命じになった」のです。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい」と。「清めの献げ物」については、冒頭で説明した律法の規定、レビ記14章に記されています。そこには、主の御前に贖いの儀式を行うことにより、「思い皮膚病」が清められたことを証明する、清めの儀式となることが記されています。イエスさまは、律法を破るために来られたのではなく、律法を完成するために来られたということが、このことを「この人」に指示されたことからも分かります。しかし、祭司に見せるが早いか、15節16節には「イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた」とあります。「この人」は、「重い皮膚病」が清められた喜びを喜んでいるのであって、本来、喜ぶべき、罪からの解放、回復、自由の救いを喜んでいたわけではないのです。だから、噂を聞いて、イエスさまのもとに集まってくる人々もまた、そのことを知らないでいるのです。そのことと言うのは、イエスさまが言われた「わたしの心」です。それは、「わたしが、あなたの病、苦しみ、悲しみ、それだけではなく、罪、死、滅びを背負い、十字架の死(身代わりの死)を死ぬ」ということです。だから「あなたは、心の最奥底から、それは、皮膚や神経を犯す病ではなく、心と魂を犯す罪から清くなる」ということです。このことを信じること、それが、本当に『御言葉に信頼する』ということなのです。
2023年07月30日
2023年7月30日 主日礼拝説教「御言葉への信頼」大坪信章牧師
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:21| 日記
2023年8月13日 礼拝予告
〇教会学校
7月30日(日)〜8月27日(日)まで夏休校です。
〇主日礼拝 10時30分〜
聖 書:ヨハネの黙示録1章1節〜20節、ダニエル書12章1節〜4節
奨 励:「神の時としての今を生きる″」大保 清兄
感染予防対策をした上で、礼拝を献げています。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
7月30日(日)〜8月27日(日)まで夏休校です。
〇主日礼拝 10時30分〜
聖 書:ヨハネの黙示録1章1節〜20節、ダニエル書12章1節〜4節
奨 励:「神の時としての今を生きる″」大保 清兄
感染予防対策をした上で、礼拝を献げています。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 08:45| 日記
2023年07月23日
2023年7月23日 主日礼拝説教「神の言葉の威力」大坪信章牧師
ルカによる福音書5章1節〜11節、イザヤ書55章8節〜13節
説 教「神の言葉の威力」大坪信章牧師
これまで、イエスさまは、ガリラヤのナザレ、そして、カファルナウムの町の会堂や家で宣教されました。その後イエスさまは、カファルナウムの町から、更に範囲を広げて、ユダヤの諸会堂に行って宣教されました。その宣教内容とは、恵み深い御言葉の権威による、罪からの解放と回復と自由の約束でした。また、その、しるしとしての、悪霊の追放や病の癒しなどの奇跡も併せて行ない、沢山の人を圧倒されました。そうして、幾つもの会堂を巡り歩かれたイエスさまが辿り着いたのは「ゲネサレト湖畔」でした。1節を見ると「ゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た」とあります。「ゲネサレト湖畔」というのは、ガリラヤ湖の別称です。ガリラヤ湖は色んな呼び方があります。ゲネサレト湖と呼ぶのは、湖の西側にゲネサレトという町や平原があるからです。他にも、キンネレト湖という呼び方は、湖が竪琴の形をしているためです。琵琶の形をしている琵琶湖にも似て、ガリラヤ湖は、琵琶湖の4分の1の大きさと言われています。他に、ティベリアス湖とも呼ばれますが、これも、湖の西側にティベリアという町があるからです。その町は、その当時、ユダヤを支配していたローマ皇帝の名前をとって付けられた新しい町でした。
そのような「ゲネサレト湖畔」にイエスさまが立っておられると「神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た」のです。イエスさまは、これまで会堂で宣教されました。しかし、そこは、もう人が入り切らず、危機管理上の安全面も考えて、広い場所に移動されたのでしょう。ただ、広いとは言っても、そこは、平原ではなく「ゲネサレト湖畔」でした。その理由が、2節3節に記されています。「イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。」そこで「イエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた」と。もし、ゲネサレト平原に行けば、イエスさまを中心に人だかりができて、イエスさまは、揉みくちゃにされてしまいます。しかし、湖であれば、岸から少し離れた舟の上から宣教することで、群衆との距離が保たれ、群衆に安心して話しをすることができるからです。ただ、それは、必要に迫られての成り行きに過ぎません。というのは、イエスさまの福音宣教は、常に人との出会いを伴うものだったからです。つまり、ある物事に付随して、別の物事が起こったからです。この物語で言えば、群衆に向かって安全に福音を語るという物事に付随して、ペトロを始めとする4人の漁師を救い、彼らが弟子となる物事が起こったからです。既にイエスさまは、実家を出て、洗礼者ヨハネから洗礼を受け、荒れ野で誘惑も受けられました。そして「神の国は近づいた」と宣言し、福音宣教という公生涯に入っています。その公けの公的な生涯は、30歳(それは、祭司の務めが始まる年齢)から、33歳で十字架に架かって死ぬまでの、僅か3年でした。しかし、その3年間が色濃く記された福音書を見れば、イエスさまの福音宣教には、2つの側面があったことに気付かされるのです。それが大衆と個です。それは、会堂や湖畔や平原で福音を宣教されるイエスさまの姿と、4章40節に「一人一人に手を置いていやされた」とあるように、個別に宣教されるイエスさまの姿です。
石山教会では、この4月に牧師交代があり、6月には、沢山の方々に見守られ、無事に就任式が行なわれました。改めて感謝いたします。前任地には10年いました。特に10年目の6月、前任地を後にすることを決断した頃は、悶々とした日を過ごしました。しかし、そのさ中、別れを惜しんでくださった教会のある婦人が、ラインで「待っている人たちがいる」という言葉を送ってくださったのです。また、他の方からは、著書『夜と霧』の中に出て来る「何かがあなたを待っている。」「誰かがあなたを待っている」という言葉をいただきました。そのようなこともあって、悶々とした日々は、それこそ、著書『夜と霧』の中で言われているように、人生の意味を考える、そういう機会に変わりました。ですから、赴任してからこの方、その「何か」とは何なのだろう。その「誰か」とは誰なのだろうと思いながら過ごしています。だから、出会う人、出会う人「この人かな。この人かな」と思って、毎日、過ごしているというのもあります。その中で一人、生年月日が全く一緒の男性と出会いました。月日が一緒でも珍しいですが、生まれた年も一緒で、しかも、こちらは大阪、あちらは京都で場所も近い。おまけに身長も体重もすべて、見た感じ、ほぼ同じでした。「この人かな」とも思いましたが、今のところ、その人は、待っている「誰か」ではないようです。勿論、わたしという人間を待っているとは思っていません。わたしに出会っても高が知れています。でも、わたしが戴いた、わたしも戴いた福音であるイエスさまに出会うなら、高が知れているどころか底が知れないのです。つまり、底知れない恵みと喜びを戴くことになるのです。だから、出会う人のすべては『イエス・キリストの福音を待っている』方として、これからも関わりを深めたいと思っています。福音を待っている「誰か」とは、福音に発見されて、本当の自分を取り戻し、本当の自分の生き方に目覚めたいと思っている「誰か」です。もし、この解放と回復と自由の救いが実現するなら、それは、本当に喜ばしいことです。だから、逆に、福音であるイエスさまに発見された人には「本当に有り難う」と言いたい気持ちなのです。
だから、ペトロにも有り難うと言いたいのです。なぜなら、ペトロは、この後、福音であるイエスさまに発見されるからです。4節を見ると、イエスさまは、群衆に「話し終わったとき、シモン(ペトロ)に、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われ」ました。このペトロは、既にカファルナウムの町に住んでいた姑の癒しの出来事の中で、イエスさまと知り合っていたはずです。でも、ペトロにとって、その時は、まだ、イエスさまと出会う時ではなかったのです。何が言いたいのかと言いますと、要するに、もう既にイエスさまを知っている人でも、まだ、イエスさまと出会って従ってはいない人も当然いるということなのです。だから、その人にとって、イエスさまとの出会いは、むしろ、これからです。ただ「ゲネサレト湖畔」でイエスさまと出会ったペトロは、怪訝そうな顔つきでした。なぜなら、ペトロは、他の漁師たちと共に「舟から上がって網を洗っていた。」つまり、仕事を終えようとしていたからです。しかも、それは、5節でペトロが「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と言っているように、一晩中、漁に出て、魚一匹も捕れず、ただただ疲れ果てて帰って来てのことだったからです。それなのに、漁のことに関しては、経験値の低いイエスさまが「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と命じたのですから、普通なら拒絶します。しかし、ペトロは「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えたのです。これは、ペトロがイエスさまを「先生」(ラビ・教師)と言っていることからも分かります。要するに、イエスさまが、これまでの福音宣教の中で、どのように力を現されたのか。それは、御言葉によって力を現された、ということの紛れもない証拠でした。なぜなら、ペトロは「お言葉(御言葉)ですから、網を降ろしてみましょう」と言ったからです。
そして、6節「漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった」のです。そこで、7節「もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ」ところ「彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった」ほどでした。ペトロたちは、夜通し漁をして1匹も取れなかったのに、今、漁に適さない時間帯であるにも拘らず、大漁という現実を突き付けられています。だから、思わず、8節「これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して」言ったのです。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と。この罪の自覚は、どこから来ているのでしょうか。それは、ありがちな倫理や道徳の違反が関係したのではありません。よく見ると、ペトロは、この出来事を通して、イエスさまの足もとに「ひれ伏して」います。それは、礼拝を意味する言葉です。また、事の始まりに、ペトロは、イエスさまを「先生」と呼びましたが、事の終わりには「主よ」と呼んでいます。つまり、ペトロにとって、この出来事は、イエスさまを神の子・救い主と認識するには、十分な奇跡(しるし)だったのです。要するに、イエスさまは、悪霊や病という現象、また、魚という被造物、果ては、嵐の海の波や風さえも従わせることの出来る、正真正銘の「主」なのです。確かに、9節10節には「とれた魚にシモン(ペトロ)も一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった」とあります。だから、罪の自覚は、倫理や道徳の違反云々ではなく、ただ、生ける神の言葉である、イエス・キリストとの出会いによって芽生えるのです。そして、当然の如く罪を自覚したペトロは、イエスさまに「わたしから離れてください」と言いました。しかし、イエスさまは、そのペトロの言葉を虚しくして、このように言われました。10節「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と。 そこで、11節「彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」のです。
これは、旧約のイザヤ書6章に記されている預言者イザヤの召命と似ています。イザヤは、紀元前742年、それは、ウジヤ王の死んだ年に、幻の中で「高く天にある御座に主が座しておられるのを見た」のです。また、そこには、6つの翼を持つ天使セラフィムも飛び交っていました。その時イザヤは、神のご臨在を前に、罪の自覚が芽生え「わたしは滅ぼされる」と言いました。すると、セラフィムの一人が「祭壇から火鋏で取った炭火」をイザヤの口に触れさせて「あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」と言ったのです。それと同時にイザヤは、主の御声も聞きました。主は「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」と言われました。そこでイザヤは「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と言ったのです。ペトロもまた、神の子救い主であるイエスさまを前に、罪の自覚が芽生えました。その罪の自覚は、もはや天使ではなく、イエスさま御自身が取り去り、赦すことを約束されました。なぜなら、イエスさまは、ペトロに「恐れるな」と言っておられるからです。この御言葉にも権威があります。この「恐れるな」の一言には、この時には、まだ実現していない、約束されたイエスさまの十字架の愛と復活の救いを見て取ることができます。なぜなら、ヨハネの手紙1、4章18節で、こう言われているからです。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します」と。それは、ひとえに、イエスさまが、この後の物語5章32節でも言われるように「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」からなのです。だからイエスさまは、ペトロに「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われたのです。イザヤと同様に、罪赦された、あなたを、滅びゆく人々のために、解放と回復と自由の福音を待つ人のもとに遣わすと言われたのです。
ところで、奇跡は、これまでもイエスさまが行なわれたことでしたが、それらは、決してメインではありませんでした。それらは、悪霊の追放や病の癒しのことですが、そのことを説教の中で取り扱った時、そういったものは、インパクトがあっても、その中に本質が無い。だから、悪霊追放や病の癒しは、単なる現象への対処に過ぎず、それが問題の解決ではないと言いました。ですから、この物語の大漁という奇跡も、ものすごくインパクトのある現実ですが、その中に真実は無いのです。そして、大漁という奇跡は、2度目はあっても3度目はありませんでした。2度目というのは、復活されたイエスさまが、ガリラヤで弟子たちと出会われた時です。イエスさまは、ガリラヤ湖で漁をしていた弟子たちと再会し、再び弟子たちを大漁の奇跡へと導き、その後、弟子たちと一緒に朝の食事をされました。だから、この大漁の現実は、単なる現実なのです。言ってみれば、マタイ福音書9章37節で言われているように「収穫は多いが、働き手が少ない」ということなのです。だから、その大漁そのもの中に真実はありません。ただ、その出来事には、それ以上に優るものとしての真実があり、そこに触れることこそが、真の信仰を生み出すのです。大漁の奇跡は目に見える現実です。しかし、そこには、目に見えない真実があり、それが「神の国は近づいた」という宣言であり、それが、神の国の支配(イエス・キリストのご支配)の訪れなのです。その訪れは、ペトロが罪の自覚のゆえに、自分から離れるようにとイエスさまに願っても、更に近づいてくるのです。なぜなら、イエスさまにとって、ペトロと漁師たちは、福音を待っている「誰か」だったからです。だから、この大漁の出来事は、イエスさまを信じれば、人生、何でも上手くいくというような、御利益的な大漁、大漁という話しではないのです。なぜなら、信じて救われた人も、何でも上手く行かない代表的な死は通らなければならない道だからです。だから、この大漁の出来事には、目に見える、それ以上の、それに優る喜びが暗示されているのです。それが「人間をとる漁師」という言葉で表されていると言えます。これまでのペトロは、自分が福音を待っている「誰か」だったのです。しかし、これからは、誰かが待っている「あなた」になったということなのです。
だから、真実は、すべて神の言葉、御言葉の中に隠されていると言えます。『神の言葉の威力』は、私たちをご利益的な信仰に導くのではありません。そうではなく、滅びゆく魂を救済する宣教、それは、罪やサタンや世の物事に支配されている人々に解放と回復と自由を与える宣教へと導くのです。そうして、人は、人生に生きる意味を取り戻すのです。このことを、著書『夜と霧』の中では“ロゴセラピー”と言っています。冒頭で引用した「何かがあなたを待っている。」「誰かがあなたを待っている」というのも“ロゴセラピーのエッセンス”と言われています。ロゴというのは、ギリシア語でロゴス(意味)です。それで意味によるセラピー(癒し)となるようです。ただ、ロゴスというのは、他にも意味があり、調べれば、ミュトスと呼ばれる神話や寓話や空想に対する理性、言(神の言葉・イエス・キリスト)、もっと言えば、神のことでもあるのです。また、それは、論証する言葉、物語る言葉であるとも言われています。兎に角、言葉を通じて語られ、表わされる、理性的な働き(力)のことだと説明されているのです。それが、福音なのです。私たちは、常に、福音を待っている「誰か」です。その福音は、恵み深い御言葉の権威によって私たちを救い、主であるイエスさまに従わせてくれるのです。しかし、それだけではなく、同時に私たちは、常に、誰かが待っている「あなた」でもあるのです。だから、福音を持っている「あなた」は「人間をとる漁師」として、その福音を、あなたを待っている「誰か」に届けるのです。
説 教「神の言葉の威力」大坪信章牧師
これまで、イエスさまは、ガリラヤのナザレ、そして、カファルナウムの町の会堂や家で宣教されました。その後イエスさまは、カファルナウムの町から、更に範囲を広げて、ユダヤの諸会堂に行って宣教されました。その宣教内容とは、恵み深い御言葉の権威による、罪からの解放と回復と自由の約束でした。また、その、しるしとしての、悪霊の追放や病の癒しなどの奇跡も併せて行ない、沢山の人を圧倒されました。そうして、幾つもの会堂を巡り歩かれたイエスさまが辿り着いたのは「ゲネサレト湖畔」でした。1節を見ると「ゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た」とあります。「ゲネサレト湖畔」というのは、ガリラヤ湖の別称です。ガリラヤ湖は色んな呼び方があります。ゲネサレト湖と呼ぶのは、湖の西側にゲネサレトという町や平原があるからです。他にも、キンネレト湖という呼び方は、湖が竪琴の形をしているためです。琵琶の形をしている琵琶湖にも似て、ガリラヤ湖は、琵琶湖の4分の1の大きさと言われています。他に、ティベリアス湖とも呼ばれますが、これも、湖の西側にティベリアという町があるからです。その町は、その当時、ユダヤを支配していたローマ皇帝の名前をとって付けられた新しい町でした。
そのような「ゲネサレト湖畔」にイエスさまが立っておられると「神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た」のです。イエスさまは、これまで会堂で宣教されました。しかし、そこは、もう人が入り切らず、危機管理上の安全面も考えて、広い場所に移動されたのでしょう。ただ、広いとは言っても、そこは、平原ではなく「ゲネサレト湖畔」でした。その理由が、2節3節に記されています。「イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。」そこで「イエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた」と。もし、ゲネサレト平原に行けば、イエスさまを中心に人だかりができて、イエスさまは、揉みくちゃにされてしまいます。しかし、湖であれば、岸から少し離れた舟の上から宣教することで、群衆との距離が保たれ、群衆に安心して話しをすることができるからです。ただ、それは、必要に迫られての成り行きに過ぎません。というのは、イエスさまの福音宣教は、常に人との出会いを伴うものだったからです。つまり、ある物事に付随して、別の物事が起こったからです。この物語で言えば、群衆に向かって安全に福音を語るという物事に付随して、ペトロを始めとする4人の漁師を救い、彼らが弟子となる物事が起こったからです。既にイエスさまは、実家を出て、洗礼者ヨハネから洗礼を受け、荒れ野で誘惑も受けられました。そして「神の国は近づいた」と宣言し、福音宣教という公生涯に入っています。その公けの公的な生涯は、30歳(それは、祭司の務めが始まる年齢)から、33歳で十字架に架かって死ぬまでの、僅か3年でした。しかし、その3年間が色濃く記された福音書を見れば、イエスさまの福音宣教には、2つの側面があったことに気付かされるのです。それが大衆と個です。それは、会堂や湖畔や平原で福音を宣教されるイエスさまの姿と、4章40節に「一人一人に手を置いていやされた」とあるように、個別に宣教されるイエスさまの姿です。
石山教会では、この4月に牧師交代があり、6月には、沢山の方々に見守られ、無事に就任式が行なわれました。改めて感謝いたします。前任地には10年いました。特に10年目の6月、前任地を後にすることを決断した頃は、悶々とした日を過ごしました。しかし、そのさ中、別れを惜しんでくださった教会のある婦人が、ラインで「待っている人たちがいる」という言葉を送ってくださったのです。また、他の方からは、著書『夜と霧』の中に出て来る「何かがあなたを待っている。」「誰かがあなたを待っている」という言葉をいただきました。そのようなこともあって、悶々とした日々は、それこそ、著書『夜と霧』の中で言われているように、人生の意味を考える、そういう機会に変わりました。ですから、赴任してからこの方、その「何か」とは何なのだろう。その「誰か」とは誰なのだろうと思いながら過ごしています。だから、出会う人、出会う人「この人かな。この人かな」と思って、毎日、過ごしているというのもあります。その中で一人、生年月日が全く一緒の男性と出会いました。月日が一緒でも珍しいですが、生まれた年も一緒で、しかも、こちらは大阪、あちらは京都で場所も近い。おまけに身長も体重もすべて、見た感じ、ほぼ同じでした。「この人かな」とも思いましたが、今のところ、その人は、待っている「誰か」ではないようです。勿論、わたしという人間を待っているとは思っていません。わたしに出会っても高が知れています。でも、わたしが戴いた、わたしも戴いた福音であるイエスさまに出会うなら、高が知れているどころか底が知れないのです。つまり、底知れない恵みと喜びを戴くことになるのです。だから、出会う人のすべては『イエス・キリストの福音を待っている』方として、これからも関わりを深めたいと思っています。福音を待っている「誰か」とは、福音に発見されて、本当の自分を取り戻し、本当の自分の生き方に目覚めたいと思っている「誰か」です。もし、この解放と回復と自由の救いが実現するなら、それは、本当に喜ばしいことです。だから、逆に、福音であるイエスさまに発見された人には「本当に有り難う」と言いたい気持ちなのです。
だから、ペトロにも有り難うと言いたいのです。なぜなら、ペトロは、この後、福音であるイエスさまに発見されるからです。4節を見ると、イエスさまは、群衆に「話し終わったとき、シモン(ペトロ)に、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われ」ました。このペトロは、既にカファルナウムの町に住んでいた姑の癒しの出来事の中で、イエスさまと知り合っていたはずです。でも、ペトロにとって、その時は、まだ、イエスさまと出会う時ではなかったのです。何が言いたいのかと言いますと、要するに、もう既にイエスさまを知っている人でも、まだ、イエスさまと出会って従ってはいない人も当然いるということなのです。だから、その人にとって、イエスさまとの出会いは、むしろ、これからです。ただ「ゲネサレト湖畔」でイエスさまと出会ったペトロは、怪訝そうな顔つきでした。なぜなら、ペトロは、他の漁師たちと共に「舟から上がって網を洗っていた。」つまり、仕事を終えようとしていたからです。しかも、それは、5節でペトロが「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と言っているように、一晩中、漁に出て、魚一匹も捕れず、ただただ疲れ果てて帰って来てのことだったからです。それなのに、漁のことに関しては、経験値の低いイエスさまが「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と命じたのですから、普通なら拒絶します。しかし、ペトロは「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えたのです。これは、ペトロがイエスさまを「先生」(ラビ・教師)と言っていることからも分かります。要するに、イエスさまが、これまでの福音宣教の中で、どのように力を現されたのか。それは、御言葉によって力を現された、ということの紛れもない証拠でした。なぜなら、ペトロは「お言葉(御言葉)ですから、網を降ろしてみましょう」と言ったからです。
そして、6節「漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった」のです。そこで、7節「もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ」ところ「彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった」ほどでした。ペトロたちは、夜通し漁をして1匹も取れなかったのに、今、漁に適さない時間帯であるにも拘らず、大漁という現実を突き付けられています。だから、思わず、8節「これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して」言ったのです。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と。この罪の自覚は、どこから来ているのでしょうか。それは、ありがちな倫理や道徳の違反が関係したのではありません。よく見ると、ペトロは、この出来事を通して、イエスさまの足もとに「ひれ伏して」います。それは、礼拝を意味する言葉です。また、事の始まりに、ペトロは、イエスさまを「先生」と呼びましたが、事の終わりには「主よ」と呼んでいます。つまり、ペトロにとって、この出来事は、イエスさまを神の子・救い主と認識するには、十分な奇跡(しるし)だったのです。要するに、イエスさまは、悪霊や病という現象、また、魚という被造物、果ては、嵐の海の波や風さえも従わせることの出来る、正真正銘の「主」なのです。確かに、9節10節には「とれた魚にシモン(ペトロ)も一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった」とあります。だから、罪の自覚は、倫理や道徳の違反云々ではなく、ただ、生ける神の言葉である、イエス・キリストとの出会いによって芽生えるのです。そして、当然の如く罪を自覚したペトロは、イエスさまに「わたしから離れてください」と言いました。しかし、イエスさまは、そのペトロの言葉を虚しくして、このように言われました。10節「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と。 そこで、11節「彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」のです。
これは、旧約のイザヤ書6章に記されている預言者イザヤの召命と似ています。イザヤは、紀元前742年、それは、ウジヤ王の死んだ年に、幻の中で「高く天にある御座に主が座しておられるのを見た」のです。また、そこには、6つの翼を持つ天使セラフィムも飛び交っていました。その時イザヤは、神のご臨在を前に、罪の自覚が芽生え「わたしは滅ぼされる」と言いました。すると、セラフィムの一人が「祭壇から火鋏で取った炭火」をイザヤの口に触れさせて「あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」と言ったのです。それと同時にイザヤは、主の御声も聞きました。主は「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」と言われました。そこでイザヤは「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と言ったのです。ペトロもまた、神の子救い主であるイエスさまを前に、罪の自覚が芽生えました。その罪の自覚は、もはや天使ではなく、イエスさま御自身が取り去り、赦すことを約束されました。なぜなら、イエスさまは、ペトロに「恐れるな」と言っておられるからです。この御言葉にも権威があります。この「恐れるな」の一言には、この時には、まだ実現していない、約束されたイエスさまの十字架の愛と復活の救いを見て取ることができます。なぜなら、ヨハネの手紙1、4章18節で、こう言われているからです。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します」と。それは、ひとえに、イエスさまが、この後の物語5章32節でも言われるように「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」からなのです。だからイエスさまは、ペトロに「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われたのです。イザヤと同様に、罪赦された、あなたを、滅びゆく人々のために、解放と回復と自由の福音を待つ人のもとに遣わすと言われたのです。
ところで、奇跡は、これまでもイエスさまが行なわれたことでしたが、それらは、決してメインではありませんでした。それらは、悪霊の追放や病の癒しのことですが、そのことを説教の中で取り扱った時、そういったものは、インパクトがあっても、その中に本質が無い。だから、悪霊追放や病の癒しは、単なる現象への対処に過ぎず、それが問題の解決ではないと言いました。ですから、この物語の大漁という奇跡も、ものすごくインパクトのある現実ですが、その中に真実は無いのです。そして、大漁という奇跡は、2度目はあっても3度目はありませんでした。2度目というのは、復活されたイエスさまが、ガリラヤで弟子たちと出会われた時です。イエスさまは、ガリラヤ湖で漁をしていた弟子たちと再会し、再び弟子たちを大漁の奇跡へと導き、その後、弟子たちと一緒に朝の食事をされました。だから、この大漁の現実は、単なる現実なのです。言ってみれば、マタイ福音書9章37節で言われているように「収穫は多いが、働き手が少ない」ということなのです。だから、その大漁そのもの中に真実はありません。ただ、その出来事には、それ以上に優るものとしての真実があり、そこに触れることこそが、真の信仰を生み出すのです。大漁の奇跡は目に見える現実です。しかし、そこには、目に見えない真実があり、それが「神の国は近づいた」という宣言であり、それが、神の国の支配(イエス・キリストのご支配)の訪れなのです。その訪れは、ペトロが罪の自覚のゆえに、自分から離れるようにとイエスさまに願っても、更に近づいてくるのです。なぜなら、イエスさまにとって、ペトロと漁師たちは、福音を待っている「誰か」だったからです。だから、この大漁の出来事は、イエスさまを信じれば、人生、何でも上手くいくというような、御利益的な大漁、大漁という話しではないのです。なぜなら、信じて救われた人も、何でも上手く行かない代表的な死は通らなければならない道だからです。だから、この大漁の出来事には、目に見える、それ以上の、それに優る喜びが暗示されているのです。それが「人間をとる漁師」という言葉で表されていると言えます。これまでのペトロは、自分が福音を待っている「誰か」だったのです。しかし、これからは、誰かが待っている「あなた」になったということなのです。
だから、真実は、すべて神の言葉、御言葉の中に隠されていると言えます。『神の言葉の威力』は、私たちをご利益的な信仰に導くのではありません。そうではなく、滅びゆく魂を救済する宣教、それは、罪やサタンや世の物事に支配されている人々に解放と回復と自由を与える宣教へと導くのです。そうして、人は、人生に生きる意味を取り戻すのです。このことを、著書『夜と霧』の中では“ロゴセラピー”と言っています。冒頭で引用した「何かがあなたを待っている。」「誰かがあなたを待っている」というのも“ロゴセラピーのエッセンス”と言われています。ロゴというのは、ギリシア語でロゴス(意味)です。それで意味によるセラピー(癒し)となるようです。ただ、ロゴスというのは、他にも意味があり、調べれば、ミュトスと呼ばれる神話や寓話や空想に対する理性、言(神の言葉・イエス・キリスト)、もっと言えば、神のことでもあるのです。また、それは、論証する言葉、物語る言葉であるとも言われています。兎に角、言葉を通じて語られ、表わされる、理性的な働き(力)のことだと説明されているのです。それが、福音なのです。私たちは、常に、福音を待っている「誰か」です。その福音は、恵み深い御言葉の権威によって私たちを救い、主であるイエスさまに従わせてくれるのです。しかし、それだけではなく、同時に私たちは、常に、誰かが待っている「あなた」でもあるのです。だから、福音を持っている「あなた」は「人間をとる漁師」として、その福音を、あなたを待っている「誰か」に届けるのです。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:23| 日記