ルカによる福音書8章4節〜15節、箴言4章1節〜9節
説 教「実を結ぶ人生」
先週の礼拝では、イエスさまが「神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた」(1節)話しをしました。そこには、12人の弟子たちも一緒でしたが、新たに「多くの婦人たち」(3節)も一緒にいて、イエスさまと弟子たちに奉仕していたことを知ることができました。その光景は、何かに似ていると思いませんか。イエスさまがいて、弟子たちがいて、婦人たちがいる光景です。 昔、神学校で、神学の学びをしていた当時、同級生と散歩をして住宅街を話ししながら歩いていた時の会話が思い出されます。彼は言いました。「福音書の時代は、教会がまだ建てられていなかったけれど、イエスさまが教会だったんだよね」と。その時、私の頭の中では、イエスさまが「町や村を巡って旅を続けられた」その光景を、教会が町や村を巡って旅を続けた、というふうに転換して感慨深い気持ちになったのです。イエスさまという神の御言葉があり、その御言葉に仕える弟子たち(のちの使徒たち)がおり、そして、その御言葉を信じて奉仕する婦人たちがいる。そこに教会があります。それが教会です。だから、イエスさまイコール教会が町や村を巡るなら、当然の如く、4節「大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来た」のも頷けます。後を追ってついて来た人々のことも含めれば、本当に「大勢の群衆」だったことが分かります。ただ、その「大勢の群衆」は、大勢ですが「そばに来た」と書いてあるのです。これは、誰のそばかと言えば、もちろん、イエスさまのそばです。それが信仰の始まりです。「そば」というのは、日本語では「側」と「傍ら」という2つの漢字で表すことができます。個人的に、側のほうは、とても形式的な感じがするので好みません。辞書には、側と書いて「そば」と読むほうは、相手と自分が同じ立場の場合のことを言うようです。しかし、傍らと書いて「そば」と読むほうは、相手が主役の場合のことを言うのです。つまり、側ではなく、傍らに来た人々は、本当に主の傍に、神の子・救い主イエスさまの傍に来たのです。それが信仰の始まりなのです。しかし、側に来た人々というのは、自分と同じ人間の側に行ったのであり、そこでは、自分と同じ人間であるがゆえの嫉妬や対立が生まれて信仰どころではなくなるのです。それが、教会で起こる一つの悲しい現実です。なぜなら、時折、人は、側に来てしまって、躓き不平不満を露わにします。時には、教会から離れて行きます。でも、それが御心ではないのです。イエスさまの傍(そば)に来ること、それが信仰の始まり、スタートです。だから、もう一度、押さえておきたいのです。私たちの信仰告白は、どういう言葉だったか。それは「イエスは主である」という言葉だったのではないでしょうか。
こうして、人々は、主であるイエスさまの傍に来たので、イエスさまは、4節「たとえを用いてお話しになった」 のです。それでは、その『種を蒔く人の譬え』に聞いていきたいと思います。5節〜8節「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。イエスは、このように話して『聞く耳のある者は聞きなさい』と大声で言われた。」ところで、この譬えは、種を蒔く人である農夫が、作物の種を蒔くために畑に行ったという大きな物語の中で、節ごとに、蒔かれた種がどのような結末を迎えたのかという短い物語が、それぞれ記されています。まず、5節を見ると「ある種は道端に落ち」人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまったという散々な目に遭います。次に6節を見ると「ほかの種は石地に落ち」そこは、土が浅いので芽はすぐに出ましたが、土が浅い分、根を深く張ることもできず、水気もなく、日照り続きで枯れてしまったという、これも散々な目に遭います。そして、7節を見ると「ほかの種は茨の中に落ち」良い芽が育ち始めましたが、茨も一緒に伸びたため、良い芽の成長が妨げられて、結局は実を結べなかったという、こちらも散々な目に遭いました。しかし、8節を見ると「ほかの種は、良い土地に落ち」生え出て、ぐんぐん成長し100倍の実を結びました。そして、イエスさまは大声で「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われました。これは、皮肉っぽく「耳がついているならよく聞け」と叫び、群衆の注意を促されたのです。それは、このあと、それぞれの短い種の一生の意味を解き明かすために、布石を打つという意味もあって、大声で群衆に言われたのです。
すると、9節で「弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた」ので、イエスさまは言われました。10節「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである」と。これは、イザヤ書6章9節の御言葉の引用です。つまり、イエスさまは、弟子たちに、こう言われたのです。それは、先程、イエスさまが大声で言われた言葉が大きく関係しています。要するに「あなたがた選ばれた者、それは、聞く耳のある者には、神の国の真理や奥義を悟ることが許されている。しかし、他の人々(ここでは群衆)それは、聞く耳のない者には、それが許されていないので、譬えを用いて話している」と言われたのです。簡単に言えば、弟子たちは、聞く耳を持っていて、群衆たちは、聞く耳を持っていないのです。そして、聞く耳を持っていない群衆に譬えを話すのは「『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである」と言われたのです。でも、この御言葉が意味する本当のところは、ユダヤ人たちの頑なな心と形式的な信仰への皮肉が込められています。なぜなら、ユダヤ人たちは、見ているのに見ておらず、聞いているのに聞いていないからです。それは、非常事態であり緊急事態です。つまり、ユダヤ人たちは、見に来ても見ようとせずに認めない。聞きに来ても聞こうとせず、一向に学ぼうとはせず、理解も悟りもしないのです。そんな彼らに、イエスさまは、見に来たのであれば認めて、聞きに来たのであれば聞いて学ぼうとして、理解し悟ってほしいのです。
そこで、イエスさまは、譬えの意味を解き明かされました。まず、前提として、11節「種は神の言葉である」と。そうすると、種を蒔く人は、神の教えや神の言葉である福音を宣べ伝える人ということになります。1つ目は、12節の「道端のもの」です。それは「御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである」とあります。このように、道端には、種が落ちているので、それは、御言葉を聞いている人なのです。でも、この道端の種は、表面に落ちただけで根付かず、人に踏みつけられてしまいます。つまり、神の言葉を聞いたのに、次第に自分の意識がイエスさまの傍ではなく、人間の側のほうに寄っていって人間に躓きます。要するに、神の言葉よりも人間の言葉に囚われて、信仰が翻弄されるのです。そうしている内に悪魔が来て、その人の心から完全に御言葉を奪い去ります。そうなると、もう、その人は、御言葉を思い出すことも、御言葉について考えることもやめてしまうので、信じることも救われることもありません。
次に、13節の「石地のもの」です。これは「御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである」とあります。このように、石地には、種が落ちているので、道端と同様、御言葉を聞いている。しかも喜んで聞いている人です。でも、この石地の種も表面に落ちただけで根がなく、御言葉を喜んで信じても、それは、しばらくの間なのです。その後、自分の人生や環境、また、自分自身に問題や迫害という試練が襲うと、途端に身を引いてしまう。つまり、信仰を捨ててしまうのです。「しばらく」と書いてありますが、これは、現実に起こっているケースとして、よく3年と言われます。洗礼を受けてクリスチャンになっても、3年以内に人間に躓いたり、試練に遭って教会から離れる人が多いと言われています。日本の諺にも「石の上にも三年」とあります。また、牧師になるために神学校を卒業した人が、教会に遣わされて、その後、正教師の試験を受けるまでの期間も3年です。要するに、その3年の間に練られるのです。
更に、14節の「茨の中に落ちたのは」「御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである」とあります。このように、茨の中には、種が落ちているので、これも、道端や石地と同様、御言葉を聞いている。しかも、芽が出て根も張って成長しています。しかし、人生の途中で御言葉以外のことで頭がいっぱいになったり、心配が過ぎたり、金銭や快楽の欲望によって成長していた信仰が覆われて、あと少しのところで御言葉の実現という結実を逃してしまうのです。人生には、本当に、纏わりつくものや絡みつくものが多いです。海の漁師も、網を海の中に投げ入れれば、目的のものは僅かしか取れず、絡みつくゴミに悩まされます。それでも、何度でも、絡みつくゴミを取り除いては捨て去り、繰り返し繰り返し、網を海に投げ入れるのです。ヘブライ人への手紙12章1節2節には「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」と記されています。かなぐり捨てるとは、荒々しく脱ぎ捨てるという意味で、比喩的には、綺麗さっぱりと振り捨てるということです。でも、それがメインではありません。漁師が、絡みつくゴミをかなぐり捨てた後、再び網を海に投げ入れるように、私たちも、ひたすら御言葉を追い求めるのです。信仰は、必ず人間関係に揉まれ、物欲、試練に揉まれ、そして、罪に塗れて罪悪感に揉まれます。でも、それを一つ一つかなぐり捨てながら、御言葉に向き合う時、御言葉は、新しい命の輝きを放ち、自分の心に迫ってくるのです。辛い思いをしてきた、悲しい思いをしてきたなら、その分、その苦悩や嘆きは、必ず喜びに変わります。イエスさまは、御言葉にもある通り「傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない」(マタイ福音書12章20節)方です。この方が、私たちの罪のために十字架に架かって死んでくださり、私たちを罪から解放し、新しい復活の命を与えてくださるのです。だから、立ち上がるのです。昔、母に手渡されたメモに書いてあったのは、ある映画のセリフでした。「幾度も立ち上がれ、子羊が獅子となるまで。」信仰の灯は、消えていません。信仰の灯を、再び燃え立たせるのです。
そして、最後にイエスさまは言われます。 15節「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」と。このように「良い土地」には、種が落ちているので、これも、道端や石地や茨の中と同様、御言葉を聞いているのです。しかし、その種は、そこに落ちて、芽を出し、根を張り巡らせ、成長し、特に、茨の中の種と違うのは、結実にまで至ったということです。それは「立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して」いたからです。「立派な善い心」というのは、神さまに喜ばれる心です。それは、イエスさまを求め、イエスさまの「そば」これは、傍(かたわら)に来る人のことです。信仰というのはイエスさまを求め続けることであり、不信仰というのは、イエスさま以外のものを求めることです。イエスさまを求め続けるなら、そこには十字架の罪の赦しがあり、復活の新しい命が約束されています。大事なのは、私たちが今、信仰の途上にいるということです。まだゴールしていないのです。私たちは、今、成長の過程にいるのです。洗礼を受けたら、もう一端のクリスチャンになったなんてことはないのです。人間も生まれてきたら既に大人だったなんてことはありません。そこには、成長という過程があります。特に生き物の中でも人間は、精神的な面や内面が、つまり、心が成長していく生き物です。でも、結局は、どれだけ言っても、どんなに注意喚起しても、最後は「聞く耳のある者は」聞くし「聞く耳」のない者は聞かないのです。聖書は言っています。ローマの信徒への手紙10章17節「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」ヤコブの手紙1章19節にもあります。「わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」と。だから、私たちは「聞く耳」をもって、この人生に、聖書が言っているように「百倍の実」を結びましょう。
2024年01月28日
2024年1月28日 主日礼拝「実を結ぶ人生」大坪信章牧師
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:21| 日記
2024年01月27日
2024年2月4日 礼拝予告
〇教会学校 9時15分〜
聖書:ヤコブの手紙1章12節〜15節
説教:「試練を耐え忍ぶ人は幸い」
〇主日礼拝 10時30分〜
聖 書:ルカによる福音書8章16節〜18節、イザヤ書6章9節〜10節
説 教:「光が見えるように」大坪信章牧師
感染予防対策をした上で、礼拝を献げています。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
聖書:ヤコブの手紙1章12節〜15節
説教:「試練を耐え忍ぶ人は幸い」
〇主日礼拝 10時30分〜
聖 書:ルカによる福音書8章16節〜18節、イザヤ書6章9節〜10節
説 教:「光が見えるように」大坪信章牧師
感染予防対策をした上で、礼拝を献げています。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 16:29| 日記
2024年01月21日
2024年1月21日 主日礼拝「解放と自由からの奉仕」大坪信章牧師
ルカによる福音書8章1節〜3節、サムエル記上 25章36節〜42節
説 教 「解放と自由からの奉仕」
先週の礼拝では、ファリサイ派のシモンの家に招かれたイエスさまが、食事中に罪深い女と出会われた話しをしました。イエスさまは、譬え話を用いて、罪深い女が、ご自分に示した愛の大きさ(最上のもてなし)は、罪の赦しを信じる信仰によるものであることをシモンに言い聞かせました。それと併せて、シモン自身の愛の小ささ(最悪のもてなし)を指摘されたのです。そして、イエスさまは、罪深い女に「あなたの罪は赦された」と、罪の赦しを宣言され「安心していきなさい」と、平和の道を約束されました。その罪深い女の物語は、7章の終わりにありました。けれども、今日、朗読された聖書の個所は、チャプター(章)を跨いだ8章にあり、たった3節という、とても短い内容の、物語とまではいかない状況説明です。1節に「すぐその後」とありますので、チャプター(章)を跨いでいますが、話しとしては、7章からの続きになっていることが分かります。つまり、罪深い女の出来事が大きく関係した「すぐその後」のことが、ここで説明されているということになります。イエスさまは「すぐその後」に、1節「神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた」のです。この、いわゆる、神の国の福音宣教は、そもそもガリラヤ湖周辺の、イエスさまの故郷ナザレや交通の要衝の町カファルナウムを中心に行なわれていました。けれども、4章13節には、神の国の福音は、他の町でも告げ知らせる必要があると、イエスさまが、人々に言い聞かせておられます。だから、その時点、つまり、それは、ほぼ初めから、神の国の福音宣教は、拡大傾向にあるのであり、この8章から、神の国の福音宣教が拡大するわけではないのです。ただ、その福音の内容に限って言えば、この8章を境に、より明らかになったことが分かるのです。なぜなら、この8章は、罪の赦しを信じる罪深い女の信仰の物語の「すぐその後」のこととして、改めて、福音宣教の状況が説明されているからです。その意図は、明らかに福音とは何かということを気づかせる、ねらいが見え隠れします。
と言うのは、人々は、これまで、神の国の福音を、イエスさまが宣べ伝えておられる教えや奇跡、とりわけ、その奇跡と見なしていました。だから、人々は、その福音が意味することや、その福音が結果として提供する喜びを、病気の癒しや悪霊の追い出し、そして、死者の蘇り(蘇生)と受け止めていたのです。もちろん「福音」というのは、グッド・ニュースです。良い知らせです。だから、素晴らしい出来事や驚くべき出来事であるのは間違いありません。しかし、この8章で扱われている「福音」という言葉には、7章の終わりの罪深い女の物語が、大きく関係しているのです。それが、罪の赦しを信じる信仰です。福音は、聖書の中に、2つも3つもあるわけではなく、ただ1つ、それは、イエス・キリストの福音しかありません。けれども、聞く人々によっては、その福音の本質を歪め、その本質を二の次にするようなことが起こっているのです。だから、ここで、改めて、福音宣教の状況が説明されている意図の通り、はっきり言っておく必要があるのです。福音(良い知らせ)とは、主イエス・キリストの十字架の贖いの出来事によって与えられる、罪の赦しの宣言だということです。なぜなら、この罪の赦しなしには、誰一人として、神の国に入ることができないからです。また、この罪の赦しの福音は、信じる人々の生き方を変えます。それは、その福音が、その人の何かに一時的な影響力(救い)を与えたというのではなく、その人そのものに永続的、恒久的な影響力(救い)を与えたということだからです。一時的な影響力というのが、すなわち、病の癒しや悪霊の追い出しや蘇生という出来事に見られます。こういった一時的な影響力には、人々の目を引き付けるよう奇跡的な何かを見て取ることが多いのです。だから、それが福音であると見間違えてしまうというのもあるのかもしれません。けれども、よくよく考えれば、分かることです。何が分かるのかと言いますと、イエスさまが宣べ伝えられた教えに伴う奇跡は、イエスさまが神の子・救い主であるということを、証明するための手段に過ぎないということです。つまり、それを見聞きする私たちにとって大事なのは、そういった手段との関係ではなく、本質である、イエスさまご自身との出会いや関係だということです。
7章の終わりに出てきた罪深い女は、イエスさまの手段と出会い、その手段によって生きようとしたのではないのです。罪深い女は、罪の赦しの福音を信じる信仰によって、イエスさま御自身と出会い、イエスさまによって生きようとしたのです。福音の力は、それを信じる人の人間性を変え、また、その生き方を変えてしまうのです。簡単に言えば、この世を愛する生き方から、神を愛する生き方に変えてしまうのです。
だから、この福音宣教は「十二人も一緒だった」とあるのです。12人の弟子たちの中には、ガリラヤ地方出身の漁師たち(ペトロとアンデレの兄弟やヨハネとヤコブの兄弟)、取税人のマタイ、愛国心の強い熱心党のシモン、そして、ユダヤ地方出身のイスカリオテのユダなどがいました。12人の弟子たちの生き方の変化は、そういう職業的なものを捨ててイエスさまについていく、従っていくという急激な変化が見られます。ただ、もともと持っていた個々人の賜物や技術などは、そのまま宣教の手段として、十分に活用されたことが分かります。例えば、漁師たちは、人間を取る漁師、取税人の人脈、熱心党の熱心、他には、弟子のフィリポは、食料調達係を任されていましたし、イスカリオテのユダは、会計の務めを果たしていました。また、フィリポは、知人やギリシア語を話すユダヤ人たちを、そして、アンデレは兄弟ペトロをイエスさまに紹介するという才能にも恵まれていたようです。更に、人間性に関しては、使徒パウロのような劇的な180度の変化というよりも、むしろ、漸進的なもの、つまり、急激にではなく、ゆっくりと徐々に変わっていったことが分かります。例えば、雷の子と呼ばれた漁師のヤコブとヨハネの兄弟の内、ヤコブは早々と殉教しましたが、ヨハネは、愛の人へと変えられて、福音書とヨハネの手紙1〜3を書き記しました。とりわけ、12弟子たちのうち、ユダを除く11人の弟子たちの、罪の赦しの福音を信じる信仰が強められたのは、イエスさまの十字架の出来事によってでした。だから、それまでは、ユダ以外にもペトロを始めとする多くの弟子たちの裏切りや、トマスの疑いや多くの弟子たちの復活への不信などが散見されたのです。しかし、11人の弟子たちの、罪の赦しの福音を信じる信仰は、イエスさまの十字架と復活の出来事によって強められました。そして、それを境に、弟子たちは聖霊を受け、それこそ全世界に遣わされ、イエスさまのために、その命と生涯を献げて、各々が殉教に至りました。こうして、使徒パウロにしてもそうですが、ユダを除く11人の弟子たちを本当の意味で変えたのは、その罪の赦しの福音を信じる信仰だったことが分かるのです。なぜなら、その罪からの解放によって与えられた人間性や生き方の自由は、それこそ自由に、神の御業のための奉仕として用いられたからです。
それだけではなく、2節3節を見ると、この福音宣教には「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった」とあります。彼女たちは、12人の弟子たちの陰に隠れてしまっていますが、イエスさまに従った3人の婦人たちと銘打つことができるのかもしれません。マグダラのマリアは、ガリラヤ湖の交通の要衝の町カファルナウムに程近いマグダラ出身で、7つの悪霊を追い出してもらった婦人と紹介されています。7つの悪霊の数字は、数というより、完全数として質の悪さの程度を表していると言われるので、悪質の病を癒された婦人だったと思われます。また、彼女は、イエスさまの十字架を見守り、イエスさまの遺体がユダヤの議員であったアリマタヤのヨセフとニコデモによって墓に収められるのを見届けました。そして、その3日目の朝、墓の前で泣いている時に復活のイエスさまと出会いました。次に、ヘロデの家令クザの妻ヨハナは、ヘロデ王の息子で、あの洗礼者ヨハネの首を刎ねたガリラヤとペレアの領主ヘロデ・アンティパスの執事だったクザの妻でした。クザは、ヘロデの財産や家族の総支配人として、高い地位と財産を約束された人でした。そして、3人目のスサンナについては、ガリラヤの敬虔な婦人ということ以外は知られていません。また、この3人の婦人たち以外にも「多くの婦人たちも一緒」でした。この多くの婦人たちに関しては、詳しいことは一切分かりませんが、十字架のイエスさまを見届けたこと、そして、聖霊降臨日の前に、11人の弟子たちやイエスさまの母や兄弟たちと共に、聖霊を待って祈っていたことが分かっています。ところで、先に名前が挙がった3人の婦人たちは「悪霊を追い出して、病気をいやしていただいた」と言う変化がみられるものの、一緒にいた「多くの婦人たち」に関しては、そういう変化があったとは書いていないのです。それでは、どういう変化によって、イエスさまと一緒にいる者となったのでしょうか。それが、7章の終わりの物語にも出て来た罪深い女がそうであったように、罪の赦しの福音を信じる信仰によって、イエスさまと一緒にいる者になったのです。これは、先に名前を挙げて紹介された3人の婦人たちにも共通することであることは言うまでもありません。先ほど、この罪の赦しの福音を信じる信仰に関して、イエスさまの十字架と復活以前の12人の弟子たちは、それが、弱かったと言いました。そして、その弱さが、十字架の場面からの逃避にも繋がりました。しかし、罪の赦しの福音を信じる信仰を既に抱いていた婦人たちは、イエスさまの十字架の場面で、その死を見届け、幾人かの婦人たちは、墓に葬られたイエスさまを見届け、それから3日後の日曜日の朝には、復活のイエスさまと出会いました。このように、罪の赦しの福音を信じる信仰は、一時的に主に従わせる者にするのではなく、永続的に、恒久的に、主に従う者にするのです。中には、イエスさまを裏切り、イエスさまを疑いながらも、11人の弟子たちのように、罪の赦しの福音を信じて再起する者います。それは、苦い経験、時には、恥を忍んで主に立ち返ることでもあります。しかし、イスカリオテのユダのように、永遠の命を失う者もいるのです。そう考えると、罪の赦しの福音こそが、本当の意味で私たちを解放し、自由にし、そして、いつまでも、主の御前にあって、奉仕の務めに当たらせてくださる聖なる要因なのです。
こうして、婦人たちは「自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」のです。7章の終わりの罪深い女は、香油をもってイエスさまに仕えましたし、マグダラのマリアを含めたイエスさまの墓を訪れた婦人たちも香料を買って来ていました。宣教の初期の段階では、ペトロの姑が、自分の家を宣教のためにイエスさまに提供していますし、マルコの母マリアは、自分の家の2階の広間を、最後の晩餐の場所として、また、聖霊降臨を前に、弟子たちやイエスさまの母や兄弟たち、そして、婦人たちが聖霊を待って祈る場所として提供しています。また、マルタとマリアの2人の姉妹は、それぞれ、給仕と傾聴という奉仕に当たっています。また、マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油1リトラ(326g)をイエスさまの足に塗って、自分の神の毛で拭っています。そういった奉仕は、12弟子以外の弟子たちも同じで、キレネ人のシモンは、イエスさまが背負われた十字架を、不可抗力でしたが、途中から代わりに背負いました。また、先ほど名を挙げたユダヤの議員であるニコデモは、イエスさまの遺体に「没薬と沈香を混ぜたものを100リトラ」(ヨハネ福音書19章39節)用意しています。1リトラが326gなので約33キロです。しかも、ナルドの香油1リトラは、金額に換算すると300万円相当です。没薬も高価なもので、それが100リトラと考えると、そこには、イエスさまへの惜しみない愛を見ることができます。また、同じ議員のアリマタヤのヨセフは、自分のための新しい墓をイエスさまに提供しました。イエスさまは、ある時「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(9章57節)と言われました。そのように、宿泊の手配や、炊事洗濯など、聖書には、その細部に亘る生活の様子までは伝えていませんが、そういったことの必要もあったのです。多くの婦人たちは、イエスさまと弟子たちの必要を満たすために援助と奉仕に務めました。それは、隠れて見えない、光が当たらない奉仕でした。けれども、それが奉仕なのです。私たちにとっては、私たちを罪から解放してくださった、イエスさまの罪の赦しの福音が光り輝くことこそが何よりもの願いだからです。そのために、私たちの変えられた人間性や生き方が、それこそ自由に、神の御業のための奉仕として用いられるなら幸いです。
説 教 「解放と自由からの奉仕」
先週の礼拝では、ファリサイ派のシモンの家に招かれたイエスさまが、食事中に罪深い女と出会われた話しをしました。イエスさまは、譬え話を用いて、罪深い女が、ご自分に示した愛の大きさ(最上のもてなし)は、罪の赦しを信じる信仰によるものであることをシモンに言い聞かせました。それと併せて、シモン自身の愛の小ささ(最悪のもてなし)を指摘されたのです。そして、イエスさまは、罪深い女に「あなたの罪は赦された」と、罪の赦しを宣言され「安心していきなさい」と、平和の道を約束されました。その罪深い女の物語は、7章の終わりにありました。けれども、今日、朗読された聖書の個所は、チャプター(章)を跨いだ8章にあり、たった3節という、とても短い内容の、物語とまではいかない状況説明です。1節に「すぐその後」とありますので、チャプター(章)を跨いでいますが、話しとしては、7章からの続きになっていることが分かります。つまり、罪深い女の出来事が大きく関係した「すぐその後」のことが、ここで説明されているということになります。イエスさまは「すぐその後」に、1節「神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた」のです。この、いわゆる、神の国の福音宣教は、そもそもガリラヤ湖周辺の、イエスさまの故郷ナザレや交通の要衝の町カファルナウムを中心に行なわれていました。けれども、4章13節には、神の国の福音は、他の町でも告げ知らせる必要があると、イエスさまが、人々に言い聞かせておられます。だから、その時点、つまり、それは、ほぼ初めから、神の国の福音宣教は、拡大傾向にあるのであり、この8章から、神の国の福音宣教が拡大するわけではないのです。ただ、その福音の内容に限って言えば、この8章を境に、より明らかになったことが分かるのです。なぜなら、この8章は、罪の赦しを信じる罪深い女の信仰の物語の「すぐその後」のこととして、改めて、福音宣教の状況が説明されているからです。その意図は、明らかに福音とは何かということを気づかせる、ねらいが見え隠れします。
と言うのは、人々は、これまで、神の国の福音を、イエスさまが宣べ伝えておられる教えや奇跡、とりわけ、その奇跡と見なしていました。だから、人々は、その福音が意味することや、その福音が結果として提供する喜びを、病気の癒しや悪霊の追い出し、そして、死者の蘇り(蘇生)と受け止めていたのです。もちろん「福音」というのは、グッド・ニュースです。良い知らせです。だから、素晴らしい出来事や驚くべき出来事であるのは間違いありません。しかし、この8章で扱われている「福音」という言葉には、7章の終わりの罪深い女の物語が、大きく関係しているのです。それが、罪の赦しを信じる信仰です。福音は、聖書の中に、2つも3つもあるわけではなく、ただ1つ、それは、イエス・キリストの福音しかありません。けれども、聞く人々によっては、その福音の本質を歪め、その本質を二の次にするようなことが起こっているのです。だから、ここで、改めて、福音宣教の状況が説明されている意図の通り、はっきり言っておく必要があるのです。福音(良い知らせ)とは、主イエス・キリストの十字架の贖いの出来事によって与えられる、罪の赦しの宣言だということです。なぜなら、この罪の赦しなしには、誰一人として、神の国に入ることができないからです。また、この罪の赦しの福音は、信じる人々の生き方を変えます。それは、その福音が、その人の何かに一時的な影響力(救い)を与えたというのではなく、その人そのものに永続的、恒久的な影響力(救い)を与えたということだからです。一時的な影響力というのが、すなわち、病の癒しや悪霊の追い出しや蘇生という出来事に見られます。こういった一時的な影響力には、人々の目を引き付けるよう奇跡的な何かを見て取ることが多いのです。だから、それが福音であると見間違えてしまうというのもあるのかもしれません。けれども、よくよく考えれば、分かることです。何が分かるのかと言いますと、イエスさまが宣べ伝えられた教えに伴う奇跡は、イエスさまが神の子・救い主であるということを、証明するための手段に過ぎないということです。つまり、それを見聞きする私たちにとって大事なのは、そういった手段との関係ではなく、本質である、イエスさまご自身との出会いや関係だということです。
7章の終わりに出てきた罪深い女は、イエスさまの手段と出会い、その手段によって生きようとしたのではないのです。罪深い女は、罪の赦しの福音を信じる信仰によって、イエスさま御自身と出会い、イエスさまによって生きようとしたのです。福音の力は、それを信じる人の人間性を変え、また、その生き方を変えてしまうのです。簡単に言えば、この世を愛する生き方から、神を愛する生き方に変えてしまうのです。
だから、この福音宣教は「十二人も一緒だった」とあるのです。12人の弟子たちの中には、ガリラヤ地方出身の漁師たち(ペトロとアンデレの兄弟やヨハネとヤコブの兄弟)、取税人のマタイ、愛国心の強い熱心党のシモン、そして、ユダヤ地方出身のイスカリオテのユダなどがいました。12人の弟子たちの生き方の変化は、そういう職業的なものを捨ててイエスさまについていく、従っていくという急激な変化が見られます。ただ、もともと持っていた個々人の賜物や技術などは、そのまま宣教の手段として、十分に活用されたことが分かります。例えば、漁師たちは、人間を取る漁師、取税人の人脈、熱心党の熱心、他には、弟子のフィリポは、食料調達係を任されていましたし、イスカリオテのユダは、会計の務めを果たしていました。また、フィリポは、知人やギリシア語を話すユダヤ人たちを、そして、アンデレは兄弟ペトロをイエスさまに紹介するという才能にも恵まれていたようです。更に、人間性に関しては、使徒パウロのような劇的な180度の変化というよりも、むしろ、漸進的なもの、つまり、急激にではなく、ゆっくりと徐々に変わっていったことが分かります。例えば、雷の子と呼ばれた漁師のヤコブとヨハネの兄弟の内、ヤコブは早々と殉教しましたが、ヨハネは、愛の人へと変えられて、福音書とヨハネの手紙1〜3を書き記しました。とりわけ、12弟子たちのうち、ユダを除く11人の弟子たちの、罪の赦しの福音を信じる信仰が強められたのは、イエスさまの十字架の出来事によってでした。だから、それまでは、ユダ以外にもペトロを始めとする多くの弟子たちの裏切りや、トマスの疑いや多くの弟子たちの復活への不信などが散見されたのです。しかし、11人の弟子たちの、罪の赦しの福音を信じる信仰は、イエスさまの十字架と復活の出来事によって強められました。そして、それを境に、弟子たちは聖霊を受け、それこそ全世界に遣わされ、イエスさまのために、その命と生涯を献げて、各々が殉教に至りました。こうして、使徒パウロにしてもそうですが、ユダを除く11人の弟子たちを本当の意味で変えたのは、その罪の赦しの福音を信じる信仰だったことが分かるのです。なぜなら、その罪からの解放によって与えられた人間性や生き方の自由は、それこそ自由に、神の御業のための奉仕として用いられたからです。
それだけではなく、2節3節を見ると、この福音宣教には「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった」とあります。彼女たちは、12人の弟子たちの陰に隠れてしまっていますが、イエスさまに従った3人の婦人たちと銘打つことができるのかもしれません。マグダラのマリアは、ガリラヤ湖の交通の要衝の町カファルナウムに程近いマグダラ出身で、7つの悪霊を追い出してもらった婦人と紹介されています。7つの悪霊の数字は、数というより、完全数として質の悪さの程度を表していると言われるので、悪質の病を癒された婦人だったと思われます。また、彼女は、イエスさまの十字架を見守り、イエスさまの遺体がユダヤの議員であったアリマタヤのヨセフとニコデモによって墓に収められるのを見届けました。そして、その3日目の朝、墓の前で泣いている時に復活のイエスさまと出会いました。次に、ヘロデの家令クザの妻ヨハナは、ヘロデ王の息子で、あの洗礼者ヨハネの首を刎ねたガリラヤとペレアの領主ヘロデ・アンティパスの執事だったクザの妻でした。クザは、ヘロデの財産や家族の総支配人として、高い地位と財産を約束された人でした。そして、3人目のスサンナについては、ガリラヤの敬虔な婦人ということ以外は知られていません。また、この3人の婦人たち以外にも「多くの婦人たちも一緒」でした。この多くの婦人たちに関しては、詳しいことは一切分かりませんが、十字架のイエスさまを見届けたこと、そして、聖霊降臨日の前に、11人の弟子たちやイエスさまの母や兄弟たちと共に、聖霊を待って祈っていたことが分かっています。ところで、先に名前が挙がった3人の婦人たちは「悪霊を追い出して、病気をいやしていただいた」と言う変化がみられるものの、一緒にいた「多くの婦人たち」に関しては、そういう変化があったとは書いていないのです。それでは、どういう変化によって、イエスさまと一緒にいる者となったのでしょうか。それが、7章の終わりの物語にも出て来た罪深い女がそうであったように、罪の赦しの福音を信じる信仰によって、イエスさまと一緒にいる者になったのです。これは、先に名前を挙げて紹介された3人の婦人たちにも共通することであることは言うまでもありません。先ほど、この罪の赦しの福音を信じる信仰に関して、イエスさまの十字架と復活以前の12人の弟子たちは、それが、弱かったと言いました。そして、その弱さが、十字架の場面からの逃避にも繋がりました。しかし、罪の赦しの福音を信じる信仰を既に抱いていた婦人たちは、イエスさまの十字架の場面で、その死を見届け、幾人かの婦人たちは、墓に葬られたイエスさまを見届け、それから3日後の日曜日の朝には、復活のイエスさまと出会いました。このように、罪の赦しの福音を信じる信仰は、一時的に主に従わせる者にするのではなく、永続的に、恒久的に、主に従う者にするのです。中には、イエスさまを裏切り、イエスさまを疑いながらも、11人の弟子たちのように、罪の赦しの福音を信じて再起する者います。それは、苦い経験、時には、恥を忍んで主に立ち返ることでもあります。しかし、イスカリオテのユダのように、永遠の命を失う者もいるのです。そう考えると、罪の赦しの福音こそが、本当の意味で私たちを解放し、自由にし、そして、いつまでも、主の御前にあって、奉仕の務めに当たらせてくださる聖なる要因なのです。
こうして、婦人たちは「自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」のです。7章の終わりの罪深い女は、香油をもってイエスさまに仕えましたし、マグダラのマリアを含めたイエスさまの墓を訪れた婦人たちも香料を買って来ていました。宣教の初期の段階では、ペトロの姑が、自分の家を宣教のためにイエスさまに提供していますし、マルコの母マリアは、自分の家の2階の広間を、最後の晩餐の場所として、また、聖霊降臨を前に、弟子たちやイエスさまの母や兄弟たち、そして、婦人たちが聖霊を待って祈る場所として提供しています。また、マルタとマリアの2人の姉妹は、それぞれ、給仕と傾聴という奉仕に当たっています。また、マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油1リトラ(326g)をイエスさまの足に塗って、自分の神の毛で拭っています。そういった奉仕は、12弟子以外の弟子たちも同じで、キレネ人のシモンは、イエスさまが背負われた十字架を、不可抗力でしたが、途中から代わりに背負いました。また、先ほど名を挙げたユダヤの議員であるニコデモは、イエスさまの遺体に「没薬と沈香を混ぜたものを100リトラ」(ヨハネ福音書19章39節)用意しています。1リトラが326gなので約33キロです。しかも、ナルドの香油1リトラは、金額に換算すると300万円相当です。没薬も高価なもので、それが100リトラと考えると、そこには、イエスさまへの惜しみない愛を見ることができます。また、同じ議員のアリマタヤのヨセフは、自分のための新しい墓をイエスさまに提供しました。イエスさまは、ある時「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(9章57節)と言われました。そのように、宿泊の手配や、炊事洗濯など、聖書には、その細部に亘る生活の様子までは伝えていませんが、そういったことの必要もあったのです。多くの婦人たちは、イエスさまと弟子たちの必要を満たすために援助と奉仕に務めました。それは、隠れて見えない、光が当たらない奉仕でした。けれども、それが奉仕なのです。私たちにとっては、私たちを罪から解放してくださった、イエスさまの罪の赦しの福音が光り輝くことこそが何よりもの願いだからです。そのために、私たちの変えられた人間性や生き方が、それこそ自由に、神の御業のための奉仕として用いられるなら幸いです。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:10| 日記