ルカによる福音書23章13節〜25節、イザヤ書53章8節〜10節
説 教 「三度の無罪判決と大声」
受難節・レント・四旬節、第2主日を迎えました。私たちは、これまでの礼拝において、イエスさまがユダヤ当局者たちによって捕らえられたあと、3つの裁判を受けられたことについて聞いてきました。一つは、最高法院(サンヘドリンと呼ばれるユダヤの議会)による裁判、もう一つは、ローマ総督ピラトによる裁判、そして、ガリラヤとペレアの領主ヘロデ・アンティパスによる裁判でした。最初の裁判となった最高法院の議員たちは、イエスさまを神への冒涜罪で死刑という判決を下しました。しかし、死刑の執行権は、ローマ帝国によって剥奪されていたので、議員たちは、死刑執行の権限を持つローマ総督ピラトに訴え出ました。ピラトは、尋問の結果、無罪の判決を下しましたが、議員たちは、引き下がりませんでした。しかし、イエスさまが、ガリラヤとの繋がりを持つ者だということを知ったピラトは、イエスさまを、ガリラヤの領主ヘロデのもとに送り、裁きを委ねたのです。そうして、ヘロデもイエスさまを尋問しましたが、イエスさまは、終始、沈黙されました。そのため、ヘロデは判決を下さず、再びイエスさまをピラトのもとに送り返したのです。つまり、イエスさまは、たらい回しにされたのです。そこで、ピラトは、13節14節「祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて」言ったのです。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった」と。更にピラトは、自分が判決を委ねたヘロデについても取り上げ、重ねて言っています。15節「ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない」と。ピラトにしてみれば、ヘロデのもとで死刑の判決が出て、ヘロデがガリラヤに戻り、そこでイエスさまを死刑に処せば、好都合だと思ったのかもしれません。けれども、死刑執行の権限は、ピラトが持っていました。だから、ヘロデが死刑の判決を下したとしても、この問題は、最終的にピラトのところに戻ってこなければならず、ピラトの一言(いちごん)に掛かっていたと言えます。つまり、ピラトは、この責任から逃れる術がなかったのです。
このことについては、ヨハネ福音書の受難物語19章10節で、ピラト自身がイエスさまに対して、はっきりと述べています。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか」と。これは、もちろん、この世的な権限であるというのは言うまでもありません。だから、その後の11節で、イエスさまは言われました。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」と。その通り、これまでに行なわれた3つの裁判の中で、イエスさまに死刑宣告を下したのは、ユダヤの当局者たちです。それに対して、ピラトとヘロデは、それぞれ、無罪の判決を下しました。だから、ユダヤ当局者たちの罪は、ピラトやヘロデよりも重いというのは頷けます。でも、これは、私たちにとっては意外に思えることなのかもしれません。なぜなら、私たちの信仰告白である使徒信条の中に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」という一文があるからです。決して「ユダヤ当局者のもとに苦しみを受け」というふうには書かれていないからです。だから、そこには、やはり「その時、歴史が動いた」というような決定権としての権限を、ピラトが持っていたということが大きかったのです。ピラトは、自らが裁いた裁判では無罪判決を下しました。そして、裁きを委ねたヘロデの裁判でも無罪判決が下されました。だから、裁判の進行上、当然その次に、流れとして行なわれるものがあるとすれば、それは、身柄拘束の効力が失われ、被告人とされたイエスさまは釈放されたということです。しかし、まさに、その時ピラトは「その時、歴史が動いた」と言えるような、意味深な行動に出たのです。16節「だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」と。 これは明らかに、ユダヤ当局者たちに、おもねるような行動でした。ここには、ピラトの、指導者としては決して相応しくない性格の一面が表れていたと言えます。だからと言って、イエスさまの死刑だけを望んでいたユダヤ当局者と民衆が、納得するはずもありません。人々は一斉に、18節「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだのです。
ここで、突然、話しが大きく展開した感が否めませんが、それもそのはず、ここには、唐突に、新しい人物の名前であるバラバの存在が明らかにされているからです。実は、今朝の聖書朗読は、16節のあと17節がなく、そのまま18節に繋がっているのです。その間(あいだ)の17節にあたる部分は、他の写本に記されているという一文が入るようで、それを入れて聖書を読むこともできるので、聖書には、十字架(†)のような印が付いてあります。その一文は、ルカ福音書の最後の文末にまとめられています。それは、23章17節とある一文で「祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった」という一文です。この一文があれば、18節の、新しい人物としてのバラバの登場も、唐突には感じません。その説明通り、バラバは囚人でした。彼については、19節で詳しく説明されています。「このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである」と。いわゆるローマ帝国を脅かすような暴動(反乱)の罪と、殺人の罪で、死刑相当の囚人として、その裁きを待っていた人物です。人々は、イエスさまを殺し、つまり、死刑にして、このバラバを釈放しろと叫んだのです。それは、先程説明した通り、他の写本に記されている事実としての恩赦によって、民衆が希望する囚人を一人釈放できるという慣習が当時あったからです。それは、この時に行なわれていた、過越祭の度に行なわれていた慣習でした。ちなみに、このバラバは、マタイ福音書の受難物語27章16節では「バラバ・イエス」という名前の評判の囚人で、ヨハネ福音書の受難物語18章40節では「強盗」だったと書かれています。この曰くつきのバラバは、ピラトにしてみれば、分かり易い犯罪者でしたが、イエスさまについては、全く犯罪者だと認められなかったのです。だから、20節を見ると「ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけ」ました。この説得の背景には、マタイ福音書の受難物語27章19節に記されている事実が影響していたと思われます。ピラトの妻は、ピラトへ伝言したのです。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました 」と。しかし、それでも、人々は、ピラトの説得に耳を傾けず、21節「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けたのです。
そこで、22節「ピラトは三度目に言った」のです。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」と。ここでもピラトは、鞭打ちの刑に拘っていますが、 ここでは、もはや、何とかして、イエスさまを無罪放免にしたかったという気持ちの表れだったのかもしれません。ところが、23節「人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた」のです。そして「その声はますます強くなった」のです。他の訳では「そして、その声は勝(か)った」と書かれています。つまり、人々の 声は、ピラトの3度の無罪判決の声に勝(か)った、ピラトの声を上回ったのです。この人々の「大声」は、他の言葉で言えば、群集心理が働いたと言えるのかもしれません。それは、群衆の中に生まれる個々人の特殊な心理状態のことです。それは、衝動的で、感情的で、興奮状態で、判断力や理性が低下し、論理的に物事を考えられないという状態です。特に、自分の言動に対する責任感や個性がなくなり、良し悪しに関わらず、他人の言動に、簡単に同調してしまうというものです。その群集心理が、今、悪しき形で表れており、それは、ピラトにとって、自らの身に危険が及ぶような出来事と化していました。いわゆる、民衆の暴徒化です。これは、身にも危険を及ぼすだけではなく、ピラトの立場にも危険を及ぼすものでした。ピラトは、この人々の要求を受け入れなければ、自分が、これまでに築き上げてきた総督の立場を失うことにもなったからです。その詳細は、ヨハネ福音書の受難物語19章12節に記されています。「ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。『もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています』と。そこで、24節「ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した」のです。要するに、人々の大声と騒ぎに根負けし、25節「暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた」のです。「好きなようにさせた」というのは、共観福音書のマタイとマルコを見れば、兵士の侮辱行為だったことが分かります。具体的に、茨の冠を被せ、頭を葦の棒で叩き、侮辱の言葉を浴びせ、散々痛めつけたということです。
今日、私たちは、この物語を通して、ピラトの三度の無罪判決が下ったにも拘らず、人々の大声が、その判決に勝(か)ってしまったという事実に目を向けたいのです。そこには、確かに、脅しめいたものや、切羽詰まった状況などがあったことは理解できます。私たちも経験があるように、大声や怒鳴り声を浴びると、思考停止状態に陥るのです。それは、心を不安にさせ、動揺させます。そうなると、絞り出すような声で意見し対処するか、黙り込むか、或いは、その大声や怒鳴り声と張り合って対処するしかありません。先週の礼拝後、毎週の礼拝後に行われている信仰の学びの時に、ある姉妹が言いました。「ピラトは、悪いことをしたというより、イエスさまを無罪にしようとしているのに、どうして、使徒信条では、受難の出来事の中で一番の悪者のように扱われなければならないのでしょうか」と。その気持ちは、よく分かります。むしろ、ピラトは、そういう役回りをさせられたのであって、ある意味、被害者のようだとも言えるのかもしれません。しかし、果たして、そうなのでしょうか。
最近のニュースで、ある国の政治活動家が獄中で命を落としました。その政治活動家に、ある人物が13項目のアンケートを送り、その答えが返って来たものの中に、次のような問いと答えがありました。問「人間と人類に最大の悪をもたらすものは?」答「悪は、善人が行動しないだけで勝利する。」その政治活動家は、それを誰かの言葉として引用したのですが、その誰かもまた、政治活動家でした。その言葉は「善人がただ何もしないでいるだけで、悪が栄えることになる」という言葉です。悪は、つるむ傾向にあるというのは、先週の物語のピラトとヘロデの関係に見られましたが、今日の物語の中では、結局ピラトもヘロデも、そして、イエスさまに死刑判決を下したユダヤの当局者たちも皆、つるむという結果に至りました。だからこそ、私たちもまた、つるまなければならないのです。それは、もちろん、悪を行なうためではなく、善を行なうために、です。この物語で言うならば「闇が力を振るっている」(22章53節)受難の場面で、ただ一人、静かに、厳かに、着々と善を行ない続けておられるイエスさまのあとに従い続けるということです。それは、私たちも自分の十字架を背負って従っていくということです。なぜなら、そこにこそ、私たちの罪の赦しがあり、そこにこそ、新しい命である復活の命が実を結び、永遠の命に至る実を刈り取ることになるからです。ただ、この十字架の時の弟子たちは、従い続けることができませんでしたが、イエスさまの復活と共に、ユダを除く11人の弟子たちは皆、死に至るまで忠実に従い続けました。それは、各人が、そうしようと自分の心に決めた、信じたからです。パウロは、ガラテヤの信徒への手紙の中で言っています。6章9節「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります」と。口語訳では「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない」となっています。また、有名な「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマの信徒への手紙12章21節)の御言葉もあります。要するに、ピラトは、正しい判断も、間違った判断も下せたのです。しかし、そのどちらを選ぶかは、ピラト自身の問題なのです。ある政治学者の言葉に「悪とは無批判にシステムを受け入れる事である」とあります。ピラトは、自分が権限を持つ裁判でありながら、群集心理が働いた、その裁判のシステムを無批判に受け入れてしまったと言えます。あの「I Have a Dream」(私には夢がある)と言った牧師は、こんな言葉を残しています。「悪を仕方ないと受け入れる人は、悪の一部となる。悪に抵抗しない人は、実は悪に協力しているのだ」と。この世の中は、この物語にも見られるように、群集心理や賛成多数、また、私利私欲が働くことで、真実が曲げられてしまう世界でもあります。しかし、私たちに求められているのは、そのような世の中にあって、どんな時も、イエスさまの御前に立ち続け「イエスさまとは、誰なのか」という問いに答えていくということです。イエスさまは、神の子・救い主である、と。そして、私の、また、私たちの救い主である、と。私たちは、その信仰の告白を、この世の声という大声にかき消されないように、静かに、厳かに、告白し続けていきたいと思います。
2024年02月25日
2024年2月25日 主日礼拝「三度の無罪判決と大声」大坪信章牧師
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:18| 日記
2024年02月24日
2024年3月3日 礼拝予告
〇教会学校 9時15分〜
聖書:ヨハネの黙示録21章1節〜8節
説教:「新しい天と地の到来」
〇主日礼拝 10時30分〜
聖 書:ルカによる福音書23章26節〜31節、イザヤ書53章11節〜12節
説 教:「罪の重さと罪の悲しみ」大坪信章牧師
感染予防対策をした上で、礼拝を献げています。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
聖書:ヨハネの黙示録21章1節〜8節
説教:「新しい天と地の到来」
〇主日礼拝 10時30分〜
聖 書:ルカによる福音書23章26節〜31節、イザヤ書53章11節〜12節
説 教:「罪の重さと罪の悲しみ」大坪信章牧師
感染予防対策をした上で、礼拝を献げています。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:48| 日記
2024年02月18日
2024年2月18日 主日礼拝「沈黙の意味するところ」大坪信章牧師
ルカによる福音書23章1節〜12節、イザヤ書53章1節〜7節
説 教 「沈黙の意味するところ」
先週の水曜日(灰の水曜日)から、受難節・四旬節・レントに入り、今日は、その受難節第1主日を迎えています。既に、イエスさまの受難については、先週の礼拝から読み進めています。まず、イエスさまは「祭司長、神殿守衛長、長老たち」(52節)に、ゲッセマネの園で捕らえられました。その後一晩中「見張りをしていた者たち」(63節)によって監視され、暴力を振るわれました。そして、夜が明けて朝になってから、ユダヤの最高法院に連れ出され、そこで尋問を受け、裁判を受けられました。その朝とは、まさしく、イエスさまが十字架に架けられる受難日の朝でした。イエスさまが十字架に架けられるのは、ちょうど、その朝の午前9時です。だから、朝になって尋問を受け、裁判を受け、その後、判決と刑の執行が行なわれるまでに要された時間は、4時間程度ということになります。今、私たちは、午前10時半に礼拝を始めましたが、この後、家に帰って昼食を取り、ちょっとくつろいで迎えた4時間後の午後2時半には、イエスさまが十字架に架けられたということになります。その短い時間の中で、神の子・救い主であるイエスさまは、度重なる尋問を受け、裁かれ、十字架を負わされ、十字架に釘で打たれて晒されるのです。このように、人間の計画は、あまりにも短絡的で、雑で杜撰なのが分かります。それに対して、神の御計画は、どこまでも深く、緻密で長い時間を要するものです。ちなみに、その神の御計画は、未だに続いており、どんな人でも、どんな人間でも、悔い改めて、十字架の主イエスさまを「私の主・私の救い主」と信じるなら救われます。もう、とっくに世の終わりが来てもおかしくはないのですが、未だ世の終わりが来ないのには理由があります。それは、一人でも多くの人が悔い改めて、イエスさまを信じ、神に立ち帰るようにという神の御配慮です。ペトロの手紙2、3章9節には、次の御言葉があります。「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」と。神さまは忍耐しておられます。また、今日の物語の中では、最高法院で裁判を受けられたイエスさまが、今度は、ローマ総督ピラトと、ガリラヤとペレアの領主ヘロデ・アンティパスから裁判を受けられます。その間、イエスさまは、ほぼほぼ沈黙なさいますが、この沈黙にもまた、忍耐という一面が表れています。今日は、このイエスさまの沈黙に学びたいと思います。
1節にこうあります。「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った」と。「全会衆」とは、最高法院の議員たちのことです。最高法院は、先週の説教の中で、イエスさまを裁いた「民の長老会、祭司長たちや律法学者たち」が所属するユダヤの議会(サンヘドリン)と呼ばれています。最高法院は、ローマ帝国支配下におけるユダヤ人の最高裁判権を持った自治機関で、宗教問題を扱う部門と政治問題を扱う部門に分かれていました。議長の大祭司を除く70人の議員たちで構成され、議員の内訳は、サドカイ派、ファリサイ派、長老の3つのグループでした。彼らは、行政権と司法権を持っていましたが、司法権の死刑執行の権限だけ、ローマ帝国によって剥奪されていたので、ローマ総督を通す必要がありました。その「全会衆」である議員たちが立ち上がったのは、意見がまとまり、イエスさまをローマ総督ピラトのもとに連れて行くためでした。連れて行くというより、引っ立てていったというほうが、言葉としては当たっています。なぜなら、議員たちは、彼らの常套手段ですが、イエスさまの言葉尻を捉えた上で、神への冒涜罪として死刑の宣告を下したからです。だから、そのまま、ユダヤの律法に従って石打ちの刑に処せばよかったのです。ただ、先程も少し触れたように、当時、最高法院は、死刑執行の権限を有していなかったので、議員たちは、ピラトの下へ、イエスさまを引っ立てていったのです。
そこで、議員たちは、ピラトに、イエスさまについて、こう訴え始めました。2節「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」と。議員たちは、ピラトがイエスさまを裁きやすいように、3つの罪状を並べました。1つは、扇動罪、もう1つは、納税の拒否、そして、3つ目が不敬罪です。この議員たちの訴えを受け、ピラトは、イエスさまに次のように尋問しています。3節「お前がユダヤ人の王なのか」と。すると、イエスさまは「それは、あなたが言っていることです」とお答えになりました。ここでもイエスさまは、最高法院で問われたことへの返答と同じ言葉を使って答えられました。「それは、あなたが言っていることです」と。イエスさまは、最高法院の議員たちと同様、ピラト自身にも、自分の言葉に責任を持つように、促しておられるのです。ピラトは、3つの罪状の内、3つ目の不敬罪に関してのみ取り扱い、イエスさまに尋問しました。なぜなら、1つ目の扇動罪については、イエスさまが、教えや奇跡によって人々の感情を高ぶらせ、意見を変更させ、特定の行動を起こすように誘導した事実は無かったからです。議員たちが扇動罪に込めた思いは、イエスさまが、律法を守ることより、福音を信じることを言い広めた、その意見の変更でした。しかし、それは、宗教の問題であり、ローマ帝国を脅かすほどではありませんでした。むしろ、感情を高ぶらせていたのは、議員たちのほうでした。彼らは、2度目のピラトの裁判の時、ピラトの職務に脅威を与えるほどに群衆を扇動したからです。また、納税の拒否についても、ピラトは、その事実がなかったから取り扱いませんでした。イエスさまは、ルカ福音書20章20節〜26節の物語の中で、律法学者たちや祭司長たちが遣わした「正しい人を装う回し者」から質問されました。その内容は「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか」という質問でした。それは、律法学者たちや祭司長たちが、イエスさまの言葉尻を捉え、イエスさまを総督の支配と権力に渡すための質問でした。その時、イエスさまは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答え、質問者たちを驚かせました。だから、ピラトは、それ以外の不敬罪に関してだけ、イエスさまに尋問したのです。しかし、尋問後、ピラトは、訴えに来た祭司長たちと群衆に言われました。4節「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と。 確かに、イエスさまが王であるというのは、ローマ帝国の皇帝以外の権威者の存在を認めることになるので脅威と映ります。ただ、実際は、そうでもありませんでした。現に、イエスさまが生まれた頃には、ヘロデ大王がユダヤ人の王として君臨していました。しかし、その政権は、植民地同様の傀儡政権に過ぎなかったのです。このように、イエスさまの罪状は、すべて、総督ピラトにとっては、意に介さない訴状ばかりだったと言えます。しかし、5節を見ると、最高法院の議員たちは「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張ったのです。「今に、暴動が起こって、今後、ピラトは手を焼くことになる」と、半ば脅しのように、必死になって訴えたのです。
すると、6節7節「これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると」イエスさまを「ヘロデのもとに」送りました。なぜなら「ヘロデも当時、エルサレムに滞在していた」からでした。それは、ヘロデも過ぎ越しの祭りのために来ていたためです。このヘロデは、ヘロデ大王の子どものヘロデ・アンティパスです。当時、ヘロデ大王の4人の息子は、父が支配した地域を分割して支配しました。冒頭でも少し説明しましたが、その内のヘロデ・アンティパスは、ガリラヤとペレアの領主でした。ピラトは、議員たちの訴えを裁くのが面倒になったのでしょう。それは、裏を返せば、自分で決断することの責任逃れとして、また、角度を変えれば、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの顔を立てるという政治的なプラスの要素が相俟って、イエスさまをヘロデのもとに送ったのでしょう。ヘロデは、イエスさまを見ると、8節「非常に喜んだ」とあります。「というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるし(奇跡)を行うのを見たいと望んでいたから」でした。それで、矢継ぎ早に、9節「いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった」のです。いわゆる、イエスさまの沈黙です。このヘロデの尋問は、単に個人的に抱いたイエスさまへの興味関心が中心だったと思われます。ヘロデには、イエスさまを裁く気などなかったのかもしれません。せいぜい政治的に利用価値があるかどうかが問題だったのかもしれません。だから、イエスさまが、ヘロデの尋問に答えたとしても、それが直接裁判に影響することもなかったのです。しかし、それでも、イエスさまが沈黙した理由は、次の10節にあります。「祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた」からです。最高法院の議員たちは、ピラトの総督官邸から、ヘロデの所にまでも付いて来ていたのです。イエスさまの沈黙は、この、聞く耳を持たず、イエスさまの言葉尻を捕えようと狙っていた彼らの存在によるところが大だったと言えます。その後、ヘロデは、政治的な利用価値が無いと見限ったのでしょう。11節を見ると「ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した」のです。「派手な衣」とは、ヘロデが、皮肉を込めてイエスさまに着せた、王が身に纏う紫色のガウンでした。そして、12節を見ると「この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった」とあるのです。この2人は「それまでは互いに敵対していた」のにです。類は友を呼ぶというのか。ただ、その諺は、よい者同士が、よい事柄も含めて引き寄せ合うという意味なので、少し意味が違います。英語では、似た諺に「同じ羽毛の鳥は一緒に群がる」があります。この諺は、悪い部分が似ていることで引き寄せ合うという意味なので、似た者同士がつるんだピラトとヘロデの関係そのものです。また、他にも、ヘロデに激しく訴えた「祭司長たちと律法学者」も、実は、もともと主義主張が違うサドカイ派とファリサイ派なのです。しかし、この日、意気投合してイエスさまを訴えましたが、この事実も「同じ羽毛の鳥」が「一緒に群がる」ことにぴったりと当てはまります。このように、悪は悪で引き寄せ合い、群がる傾向にあります。問題は、よい者同士や、よい事柄こそ引き寄せ合う必要があるということです。しかし、実際は、肝心な弟子たちがイエスさまの十字架を前に、方々に散っていくような状態です。しかし、クリスチャンという言葉は、ギリシア語では「小さなキリスト」を意味し「キリストに似た者・キリストに倣う者・キリストに属する者」なのです。その似た者同士こそ、集まる必要があります。類は友を呼ぶのです。それなのに、似た者同士が集まらず、仲も良くないなら、どうなるのでしょうか。私たちは、類ではないから友を呼べないということなのでしょうか。それとも、類なのに同士討ちをしているのでしょうか。それなら、パウロは、こう言っています。「互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい」(ガラテヤの信徒への手紙5章15節)と。そんな状態では、宣教どころか、悪を行なう者たちの笑い者です。十字架の時は「闇が力を振るっている」(22章53節)時でした。だから「同じ羽毛の鳥は一緒に群がる」のも有り得ます。しかし、今は、パウロの言う「恵みの時」「救いの日」なので「あらゆる場合に神に仕える者としての実(じつ)を示す」(コリントの信徒への手紙2、6章2節3節)時、それは、光が力を振るっている時なのです。だからこそ、仲良くやっていく時なのです。
イエスさまは、闇が力を振るっている時の中で沈黙されました。それは、イザヤ書53章7節の御言葉に帰するところが大きいのです。「苦役を課せられて、かがみ込み彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」とあります。また、イエスさまの沈黙は、私たちの自己中心的雄弁を制するものでもあります。旧約のマラキ書2章17節には、こう記されています。「あなたたちは、自分の語る言葉によって、主を疲れさせている。それなのに、あなたたちは言う。どのように疲れさせたのですか、と。あなたたちが、悪を行う者はすべて、主の目に良しとされるとか、主は彼らを喜ばれるとか、裁きの神はどこにおられるのか、などと言うことによってである」と。そして、最後に、世の中には、「雄弁は銀、沈黙は金」という諺があります。いわゆる、沈黙は、時に金ほどの価値があるという意味です。それ程の価値があるなら、それはまさしく、私たちが、イエスさまの沈黙の中で、私たち人間の罪がどれほど深いかということ、また、イエスさまが、どれ程の苦しみを、私たちから受けられたのかを知ることです。先ほど引用した、イザヤ書53章の8節には、こう記されています。「捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを」と。しかし、これは、どこまでも深く緻密な神の救いの御計画でした。ここに、私たちの罪の赦し、罪の贖いがあります。それは、私たちが、雄弁に、毅然とした態度で、私たちの救い主、イエス・キリストの十字架と復活の愛を語り続けるためです。だから、今日も、私たちはクリスチャンとして、イエスさまに似た者として、互いに愛し合い、「イエスは主である」との合言葉(愛の言葉)で救いの喜びを分かち合いましょう。
説 教 「沈黙の意味するところ」
先週の水曜日(灰の水曜日)から、受難節・四旬節・レントに入り、今日は、その受難節第1主日を迎えています。既に、イエスさまの受難については、先週の礼拝から読み進めています。まず、イエスさまは「祭司長、神殿守衛長、長老たち」(52節)に、ゲッセマネの園で捕らえられました。その後一晩中「見張りをしていた者たち」(63節)によって監視され、暴力を振るわれました。そして、夜が明けて朝になってから、ユダヤの最高法院に連れ出され、そこで尋問を受け、裁判を受けられました。その朝とは、まさしく、イエスさまが十字架に架けられる受難日の朝でした。イエスさまが十字架に架けられるのは、ちょうど、その朝の午前9時です。だから、朝になって尋問を受け、裁判を受け、その後、判決と刑の執行が行なわれるまでに要された時間は、4時間程度ということになります。今、私たちは、午前10時半に礼拝を始めましたが、この後、家に帰って昼食を取り、ちょっとくつろいで迎えた4時間後の午後2時半には、イエスさまが十字架に架けられたということになります。その短い時間の中で、神の子・救い主であるイエスさまは、度重なる尋問を受け、裁かれ、十字架を負わされ、十字架に釘で打たれて晒されるのです。このように、人間の計画は、あまりにも短絡的で、雑で杜撰なのが分かります。それに対して、神の御計画は、どこまでも深く、緻密で長い時間を要するものです。ちなみに、その神の御計画は、未だに続いており、どんな人でも、どんな人間でも、悔い改めて、十字架の主イエスさまを「私の主・私の救い主」と信じるなら救われます。もう、とっくに世の終わりが来てもおかしくはないのですが、未だ世の終わりが来ないのには理由があります。それは、一人でも多くの人が悔い改めて、イエスさまを信じ、神に立ち帰るようにという神の御配慮です。ペトロの手紙2、3章9節には、次の御言葉があります。「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」と。神さまは忍耐しておられます。また、今日の物語の中では、最高法院で裁判を受けられたイエスさまが、今度は、ローマ総督ピラトと、ガリラヤとペレアの領主ヘロデ・アンティパスから裁判を受けられます。その間、イエスさまは、ほぼほぼ沈黙なさいますが、この沈黙にもまた、忍耐という一面が表れています。今日は、このイエスさまの沈黙に学びたいと思います。
1節にこうあります。「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った」と。「全会衆」とは、最高法院の議員たちのことです。最高法院は、先週の説教の中で、イエスさまを裁いた「民の長老会、祭司長たちや律法学者たち」が所属するユダヤの議会(サンヘドリン)と呼ばれています。最高法院は、ローマ帝国支配下におけるユダヤ人の最高裁判権を持った自治機関で、宗教問題を扱う部門と政治問題を扱う部門に分かれていました。議長の大祭司を除く70人の議員たちで構成され、議員の内訳は、サドカイ派、ファリサイ派、長老の3つのグループでした。彼らは、行政権と司法権を持っていましたが、司法権の死刑執行の権限だけ、ローマ帝国によって剥奪されていたので、ローマ総督を通す必要がありました。その「全会衆」である議員たちが立ち上がったのは、意見がまとまり、イエスさまをローマ総督ピラトのもとに連れて行くためでした。連れて行くというより、引っ立てていったというほうが、言葉としては当たっています。なぜなら、議員たちは、彼らの常套手段ですが、イエスさまの言葉尻を捉えた上で、神への冒涜罪として死刑の宣告を下したからです。だから、そのまま、ユダヤの律法に従って石打ちの刑に処せばよかったのです。ただ、先程も少し触れたように、当時、最高法院は、死刑執行の権限を有していなかったので、議員たちは、ピラトの下へ、イエスさまを引っ立てていったのです。
そこで、議員たちは、ピラトに、イエスさまについて、こう訴え始めました。2節「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」と。議員たちは、ピラトがイエスさまを裁きやすいように、3つの罪状を並べました。1つは、扇動罪、もう1つは、納税の拒否、そして、3つ目が不敬罪です。この議員たちの訴えを受け、ピラトは、イエスさまに次のように尋問しています。3節「お前がユダヤ人の王なのか」と。すると、イエスさまは「それは、あなたが言っていることです」とお答えになりました。ここでもイエスさまは、最高法院で問われたことへの返答と同じ言葉を使って答えられました。「それは、あなたが言っていることです」と。イエスさまは、最高法院の議員たちと同様、ピラト自身にも、自分の言葉に責任を持つように、促しておられるのです。ピラトは、3つの罪状の内、3つ目の不敬罪に関してのみ取り扱い、イエスさまに尋問しました。なぜなら、1つ目の扇動罪については、イエスさまが、教えや奇跡によって人々の感情を高ぶらせ、意見を変更させ、特定の行動を起こすように誘導した事実は無かったからです。議員たちが扇動罪に込めた思いは、イエスさまが、律法を守ることより、福音を信じることを言い広めた、その意見の変更でした。しかし、それは、宗教の問題であり、ローマ帝国を脅かすほどではありませんでした。むしろ、感情を高ぶらせていたのは、議員たちのほうでした。彼らは、2度目のピラトの裁判の時、ピラトの職務に脅威を与えるほどに群衆を扇動したからです。また、納税の拒否についても、ピラトは、その事実がなかったから取り扱いませんでした。イエスさまは、ルカ福音書20章20節〜26節の物語の中で、律法学者たちや祭司長たちが遣わした「正しい人を装う回し者」から質問されました。その内容は「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか」という質問でした。それは、律法学者たちや祭司長たちが、イエスさまの言葉尻を捉え、イエスさまを総督の支配と権力に渡すための質問でした。その時、イエスさまは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答え、質問者たちを驚かせました。だから、ピラトは、それ以外の不敬罪に関してだけ、イエスさまに尋問したのです。しかし、尋問後、ピラトは、訴えに来た祭司長たちと群衆に言われました。4節「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と。 確かに、イエスさまが王であるというのは、ローマ帝国の皇帝以外の権威者の存在を認めることになるので脅威と映ります。ただ、実際は、そうでもありませんでした。現に、イエスさまが生まれた頃には、ヘロデ大王がユダヤ人の王として君臨していました。しかし、その政権は、植民地同様の傀儡政権に過ぎなかったのです。このように、イエスさまの罪状は、すべて、総督ピラトにとっては、意に介さない訴状ばかりだったと言えます。しかし、5節を見ると、最高法院の議員たちは「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張ったのです。「今に、暴動が起こって、今後、ピラトは手を焼くことになる」と、半ば脅しのように、必死になって訴えたのです。
すると、6節7節「これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると」イエスさまを「ヘロデのもとに」送りました。なぜなら「ヘロデも当時、エルサレムに滞在していた」からでした。それは、ヘロデも過ぎ越しの祭りのために来ていたためです。このヘロデは、ヘロデ大王の子どものヘロデ・アンティパスです。当時、ヘロデ大王の4人の息子は、父が支配した地域を分割して支配しました。冒頭でも少し説明しましたが、その内のヘロデ・アンティパスは、ガリラヤとペレアの領主でした。ピラトは、議員たちの訴えを裁くのが面倒になったのでしょう。それは、裏を返せば、自分で決断することの責任逃れとして、また、角度を変えれば、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの顔を立てるという政治的なプラスの要素が相俟って、イエスさまをヘロデのもとに送ったのでしょう。ヘロデは、イエスさまを見ると、8節「非常に喜んだ」とあります。「というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるし(奇跡)を行うのを見たいと望んでいたから」でした。それで、矢継ぎ早に、9節「いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった」のです。いわゆる、イエスさまの沈黙です。このヘロデの尋問は、単に個人的に抱いたイエスさまへの興味関心が中心だったと思われます。ヘロデには、イエスさまを裁く気などなかったのかもしれません。せいぜい政治的に利用価値があるかどうかが問題だったのかもしれません。だから、イエスさまが、ヘロデの尋問に答えたとしても、それが直接裁判に影響することもなかったのです。しかし、それでも、イエスさまが沈黙した理由は、次の10節にあります。「祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた」からです。最高法院の議員たちは、ピラトの総督官邸から、ヘロデの所にまでも付いて来ていたのです。イエスさまの沈黙は、この、聞く耳を持たず、イエスさまの言葉尻を捕えようと狙っていた彼らの存在によるところが大だったと言えます。その後、ヘロデは、政治的な利用価値が無いと見限ったのでしょう。11節を見ると「ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した」のです。「派手な衣」とは、ヘロデが、皮肉を込めてイエスさまに着せた、王が身に纏う紫色のガウンでした。そして、12節を見ると「この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった」とあるのです。この2人は「それまでは互いに敵対していた」のにです。類は友を呼ぶというのか。ただ、その諺は、よい者同士が、よい事柄も含めて引き寄せ合うという意味なので、少し意味が違います。英語では、似た諺に「同じ羽毛の鳥は一緒に群がる」があります。この諺は、悪い部分が似ていることで引き寄せ合うという意味なので、似た者同士がつるんだピラトとヘロデの関係そのものです。また、他にも、ヘロデに激しく訴えた「祭司長たちと律法学者」も、実は、もともと主義主張が違うサドカイ派とファリサイ派なのです。しかし、この日、意気投合してイエスさまを訴えましたが、この事実も「同じ羽毛の鳥」が「一緒に群がる」ことにぴったりと当てはまります。このように、悪は悪で引き寄せ合い、群がる傾向にあります。問題は、よい者同士や、よい事柄こそ引き寄せ合う必要があるということです。しかし、実際は、肝心な弟子たちがイエスさまの十字架を前に、方々に散っていくような状態です。しかし、クリスチャンという言葉は、ギリシア語では「小さなキリスト」を意味し「キリストに似た者・キリストに倣う者・キリストに属する者」なのです。その似た者同士こそ、集まる必要があります。類は友を呼ぶのです。それなのに、似た者同士が集まらず、仲も良くないなら、どうなるのでしょうか。私たちは、類ではないから友を呼べないということなのでしょうか。それとも、類なのに同士討ちをしているのでしょうか。それなら、パウロは、こう言っています。「互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい」(ガラテヤの信徒への手紙5章15節)と。そんな状態では、宣教どころか、悪を行なう者たちの笑い者です。十字架の時は「闇が力を振るっている」(22章53節)時でした。だから「同じ羽毛の鳥は一緒に群がる」のも有り得ます。しかし、今は、パウロの言う「恵みの時」「救いの日」なので「あらゆる場合に神に仕える者としての実(じつ)を示す」(コリントの信徒への手紙2、6章2節3節)時、それは、光が力を振るっている時なのです。だからこそ、仲良くやっていく時なのです。
イエスさまは、闇が力を振るっている時の中で沈黙されました。それは、イザヤ書53章7節の御言葉に帰するところが大きいのです。「苦役を課せられて、かがみ込み彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」とあります。また、イエスさまの沈黙は、私たちの自己中心的雄弁を制するものでもあります。旧約のマラキ書2章17節には、こう記されています。「あなたたちは、自分の語る言葉によって、主を疲れさせている。それなのに、あなたたちは言う。どのように疲れさせたのですか、と。あなたたちが、悪を行う者はすべて、主の目に良しとされるとか、主は彼らを喜ばれるとか、裁きの神はどこにおられるのか、などと言うことによってである」と。そして、最後に、世の中には、「雄弁は銀、沈黙は金」という諺があります。いわゆる、沈黙は、時に金ほどの価値があるという意味です。それ程の価値があるなら、それはまさしく、私たちが、イエスさまの沈黙の中で、私たち人間の罪がどれほど深いかということ、また、イエスさまが、どれ程の苦しみを、私たちから受けられたのかを知ることです。先ほど引用した、イザヤ書53章の8節には、こう記されています。「捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを」と。しかし、これは、どこまでも深く緻密な神の救いの御計画でした。ここに、私たちの罪の赦し、罪の贖いがあります。それは、私たちが、雄弁に、毅然とした態度で、私たちの救い主、イエス・キリストの十字架と復活の愛を語り続けるためです。だから、今日も、私たちはクリスチャンとして、イエスさまに似た者として、互いに愛し合い、「イエスは主である」との合言葉(愛の言葉)で救いの喜びを分かち合いましょう。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:18| 日記