2024年04月28日

2024年4月28日 主日礼拝「主の愛の問いかけ」大坪信章牧師

ヨハネによる福音書21章15節〜19節、エゼキエル書18章24節〜32節
「主の愛の問いかけ」

 復活後、イエスさまが3度目に弟子たちのもとに現れたのは、弟子たち11人の故郷ガリラヤでした。中でもその内の漁師を含む7人とは、ガリラヤ湖畔で再会されました。弟子たちが、イエスさまと出会った頃を、懐かしく思い出したのは言うまでもありません。湖畔におられたイエスさまは、炭火で魚を焼き、パンも用意しておられました。また、弟子たちが、その場で獲ったとれたての魚もいっしょに焼き、弟子たちと朝の食事をなさいました。イエスさまは、パンを取って弟子たちに与え、魚も同じようにされました。それを見て、弟子たちは、5000人の給食の時を思い出しただけではなく、十字架前夜の最後の晩餐の時も、思い出していたのかもしれません。その思い出の回想も兼ねた朝の食事のあと、イエスさまは、ペトロに向かって言われました。15節「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と。イエスさまが、数いる弟子たちの中でもペトロに語りかけ、対話を求められたのには理由があります。それは、先週の礼拝でも話した通り、自分の弱さのゆえにイエスさまを裏切った、そのことをペトロは、誰よりも悔いていたからです。ただの弟子として裏切ったならまだしも、ペトロは、弟子たちの群れを、まとめる年長者という立場にありました。また、同じ漁師仲間のヤコブとヨハネと3人で、イエスさまの変貌や、十字架前夜のゲッセマネの祈りの時にも立ち会いました。だから、ペトロは、何か特別な働きを任される者だという自覚があったのです。現に、彼は、教会の代表者となるべく「ペトロ」これは、岩という意味の名前を、イエスさまに戴いてもいました。

 だから、ペトロは、強がって、片意地を張っていた部分もあったのです。そのペトロの状態は、あの最後の晩餐のあとの出来事の中で、如実に表れました。それは、マタイ福音書26章31節以下の物語です。最後の晩餐のあと、ゲッセマネの園に向かって歩いていく途中のことでした。イエスさまは、弟子たちに「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われたのです。すると、ペトロは言ったのです。「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と。しかし、イエスさまは言われました。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と。その時ペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言ったのです。そして「弟子たちも皆、同じように言った」のです。

 イエスさまが、ガリラヤ湖畔で朝の食事を終えたあと、ペトロに向かって、15節「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われたのは、そのためでした。ペトロは、かつて「みんながつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言ったのです。言い換えれば、ペトロは、自分は、他の弟子たち以上の弟子だと言ったのです。しかし、他の弟子たち同様、ペトロもまた、イエスさまに躓きました。特にペトロは、総督官邸の中庭で、イエスさまの予告通り、鶏が鳴く前に三度イエスさまを知らないと言いました。だから、今、イエスさまは、ペトロに問われるのです。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と。「ヨハネの子シモン」これは、ペトロが生まれもって呼ばれて来た元々の名前です。「ヨハネの子シモン」は、弱いのに強がっていたのです。自分が他の人よりも優位に立っていなければ、不安で、不安で仕方なかったのです。要するに、これまでのペトロは、イエスさまとの関係ではなく、人との関係、中でも人との比較の中に自分の存在価値を置いていたのです。だから、自分の存在価値を自分が認め、また、人に認めさせるためには、自分を、より強く主張する必要があったのです。そういう意味で、ペトロは、イエスさまではなく、人との関係を、信仰の中心に置いてしまっていたのです。

 そのようなシモンに、イエスさまは、他の弟子たち以上に強くあることや、他の弟子たち以上に優位に立つことを求めませんでした。シモンに求めたのは、ただ「この人たち以上にわたしを愛しているか」ということでした。人は、愛によって、関係していると言えます。「この人たち以上に」と言われたのは、イエスさまの優しさです。その言葉は、前にペトロが「みんながつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った、その傲慢な言葉を撤回させるための呼び水でした。だから、ペトロは答えました。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と。もう決して「他の弟子たち以上に、この人たち以上に」とは言いません。ペトロは、イエスさまのことが、誰よりも大好きでした。だからこそ、今までは、イエスさまの前で自分をよく見せようと、大言壮語してしまっていたのです。でも、今は違います。「はい、主よ、誰よりもあなたを愛しています」とは言いません。この期に及んで、それは言えません。だから、ペトロは「それは、あなたがご存じです」とだけ言いました。一度ならず二度も三度もイエスさまを裏切った者としては、もう、自分がどんな言葉を口にしても、信用してもらえるかどうかは分かりません。それは、イエスさま次第です。自分では、それ以上のことは言えないのです。ここに、打ち砕かれ、へりくだるペトロの姿があります。

 そして、イエスさまは、ご自分との関係においては、ただ「わたしを愛しているか」ということだけを、ペトロに求められました。それだけで良いということでした。なぜ、それだけ良いのかというと、それは、そこにこそ、イエスさまとの真の関係があるからです。そこにこそ、信仰による平和が約束されているからです。なぜなら、そこにこそ、癒しや慰め、また、罪の赦しや救いがあるからです。私たちは、人との比較において、ペトロのように多くを求め過ぎるところがあるのです。それは、自分を過大評価しているに過ぎないのです。そして、そのような姿は、全然、自分らしくないのです。自分らしくないから窮屈で息苦しくなり、周囲と上手く歩調を合わせられず、心が穏やかではいられなくなっているのです。そもそもイエスさまは、ペトロ以前に「ヨハネの子シモン」を愛してくださっているのです。「ヨハネの子シモン」に召命を与え「わたしについてきなさい」「人間を取る漁師にしよう」と招かれたのです。この「ヨハネの子シモン」が、イエスさまに信仰を告白した時がありました。「あなたはメシア、生ける神の子です」と。その時、イエスさまは、そのシモンに「ペトロ」それは「岩」という意味の名前を与えました。その岩とは、基礎であり土台という意味です。イエスさまは、その信仰告白という土台の上に教会を建てると約束されました。だから、ペトロ自身が誰かと優劣を争う意味は、どこにもないのです。

 こうして、イエスさまの愛の問いかけにペトロが答えると、イエスさまは、ペトロに言われました。「わたしの小羊を飼いなさい」と。そして、この後、この一連のやり取りが2度、併せて3度続くのです。16節「二度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。」更に、17節「三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』イエスは言われた。『わたしの羊を飼いなさい』」と。

 三度目の正直ではないですが、ペトロへの愛の問いかけが3度も続いたのは、ペトロが十字架前夜、イエスさまを3度知らないと否定した、あの苦い思い出を3度の愛の肯定によって上書きするためでした。さすがに3度目には、ペトロも悲しくなって心折れそうになりましたが、その悲しみを乗り越え、ペトロは、イエスさまの弟子として再起を果たし、のちの教会の代表者となるべく立ち上がることができたのです。なぜペトロは、再起を果たせたのでしょうか。それは、自分の弱さを思い知ったからです。あるスポーツ選手が、インタビュアーから「挫折と向き合って、どうかわりましたか?」と聞かれて言っていました。「弱さを知りましたね、人間の。ずっと結果を残してきて、強い部分、いい部分しか見えてなかった。でも、人間の弱い部分を知ることによって、更に強くなれたんじゃないかなと思いますね。これからは、人に教えていく機会も増えてくるので、弱い部分もカバーしてこそ、人に伝えていける人間になれるのかなと思っていたので、そこを知れたのが、すごく大きいと思います」と。

 イエスさまは、最後にペトロに言われました。18節「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」と。それは、19節「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして」イエスさまは、言われたのです。このように話してから、イエスさまは、ペトロに「わたしに従いなさい」と言われました。イエスさまを信じ、イエスさまに従う道は、自分の弱さを思い知らされるのと同じように、自分の思い通りにはならないのです。自分の思い通りにはならない。しかし、神さまの思い、御心通りにはなるのです。私たちは、自分の思い通りにするために強さを誇り、神さまの思い通りになるために弱さを誇るのです。なぜなら、イエスさまが言われる「わたしの小羊」や「羊」は、決して強い羊ではなく、弱い羊だからです。弱く傷ついた羊を養い世話をするためには、弱さへの共感が求められているのです。その弱さを、互いに共感し合い、私たちの信仰告白の一致のもとに、主の教会を築き上げていきましょう。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:16| 日記

2024年04月22日

2024年5月5日 礼拝予告

〇教会学校 9時15分〜
聖書:マタイによる福音書4章18節〜22節
説教:「主イエス、漁師を弟子にする」

〇主日聖餐礼拝 10時30分〜 
聖 書:ヨハネによる福音書21章20節〜25節、出エジプト記3章1節〜6節
説 教:「イエスさまとの関係」大坪信章牧師

感染予防対策をした上で、礼拝を献げています。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 16:25| 日記

2024年04月21日

2024年4月21日 主日礼拝「共におられる復活の主」大坪信章牧師

ヨハネによる福音書21章1節〜14節、出エジプト記17章1節〜7節
「共におられる復活の主」

 復活の物語は、まだまだ続きます。復活だけに、物語が次々に花開いていくような感覚に包まれます。今日は、イエスさまの復活の舞台エルサレムをあとにし、北部のガリラヤ地方のティベリアス湖畔(通称ガリラヤ湖畔)が舞台です。そこで、イエスさまは、1節「また弟子たちに御自身を現され」ました。「また」というのは、14節の行(くだり)で、イエスさまが「死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目」と説明されている通りです。復活の夕べに現れたのが最初で、その1週間後に疑い深いトマスの件で現れたのが2度目。そして、今日の物語が3度目です。このガリラヤは、裏切り者のユダを除く11人の弟子たちの故郷でした。ガリラヤ湖畔に限れば、11人中、元漁師だった4人の弟子の出身地でした。今日の物語には、11人中7人が登場しますが、漁師は、その中の、2節「シモン・ペトロ」と「ゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)」です。あと一人ペトロの兄弟アンデレの名がありませんが、もしかしたら、名前のリストの最後「それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた」とある内の一人かもしれません。その他には「ディディモと呼ばれるトマス」。彼は、この直前の物語に登場した疑い深い弟子なので、今日の物語との繋ぎの役割も果たしているようです。また「ガリラヤのカナ出身のナタナエル」は、バルトロマイのことを指すと言われています。

 弟子たちが故郷ガリラヤに行った理由は、イエスさまが十字架の死を遂げたので絶望したためと思ってしまいます。しかし、ガリラヤ行きは、弟子たちが自ら望んだのではありません。確かに、ユダヤ人たちを恐れていましたが、ガリラヤ行きを指示したのは、イエスさまなのです。マタイ福音書28章の復活物語では、復活の日曜日の朝、墓の前にいた婦人たちに、天使が弟子たちへの言葉を託しました。「イエスさまは復活し、あなたがたより先にガリラヤへ行くので、そこでお目にかかれる」と。そこで婦人たちが、そのために恐れつつも喜びながら走って行くと、復活のイエスさまが行く手に立っていて言われたのです。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」(10節)と。このように、弟子たちは、イエスさまの指示に従ってガリラヤにいたのです。

 このガリラヤは、弟子たちにとって、初めてイエスさまと出会い、弟子としての召命を受けた懐かしい場所でした。召命とは、罪の世界に生きていた者が、神の恵みによって呼び出され、宣教の使命に生きることを言います。イエスさまは、弟子たちが、罪や恐れなど、様々な出来事によって傷ついた、その傷の深いことを、ご存じだったのです。弟子たちは、既に2度イエスさまに出会い、平和の挨拶を戴いて喜びました。しかし、罪や恐れによって傷ついた心は、未だ自分を赦せなかったのです。そのような弟子たちのために、イエスさまは、このガリラヤの舞台を用意し、そこで赦しという完全な癒しを与え、再献身を促すべく、ガリラヤ湖畔での再会を望まれました。ただ、弟子たちは、この物語の7人の他に4人いますが、焦点は、その4人ではなく、漁師を含む7人に当たっています。それには、大事な意味があります。というのは、この福音書の時代の次は、使徒言行録の教会の時代が始まります。その教会の代表者となるため、兼ねてからイエスさまと行動を共にしてきたのが、実に漁師のペトロとゼベダイの子たちだったのです。ですから、イエスさまが彼ら、特にペトロの罪を赦し、彼らに完全な癒しを与えることは、教会の時代の伏線になっています。

 このような意味深いガリラヤ湖畔で、シモン・ペトロが、3節「わたしは漁に行く」と言うと、他の弟子たちも「一緒に行こう」と言って、この物語は、始まります。
彼らは、舟に乗り込んで夜通し漁をしましたが「その夜は何も」とれませんでした。「何も」とれなかった。この言葉は、空しいですが、この物語の中では、イエスさまとの出会いを告げる合図になっています。そして、この後、弟子たちは、次々と思い出の回想体験をしていきます。まず、4節「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた」のです。でも「弟子たちは、それがイエス」さまだとは分かりませんでした。これは、マタイ福音書14章の嵐のガリラヤ湖の回想です。嵐の中イエスさまは、夜明けに湖上を歩いて弟子たちの所に行きました。その時、弟子たちがイエスさまを幽霊だと思って怯えたので、イエスさまは「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と語りかけ、彼らを落ち着かせました。

 イエスさまは、ここでも弟子たちに語りかけています。5節「子たちよ、何か食べる物があるか」と。弟子たちが「ありません」と答えると、イエスさまは、言われました。 6節「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」と。そこで、弟子たちが網を打つと、大漁で網を引き上げられなかったのです。これは、ルカ福音書5章の、漁師たちが召命を受ける物語の回想です。その時も、漁師たちは、夜通し漁をしても、何も取れませんでした。それで、舟を降り、岸で網を洗っていると、イエスさまが来て「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われたのです。漁師たちが「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と「そのとおりにすると、おびただしい魚がかかり」網は破れかけ、舟は沈みそうでした。その時ペトロは、イエスさまの前にひれ伏し、自分の罪を告白したのです。すると、イエスさまは「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と、ペトロを召したのです。

 今日の物語では、大漁のあと、7節「イエスの愛しておられたあの弟子(ヨハネ)がペトロに、『主だ』と」言っています。「主だ」と聞くと、ペトロは、裸同然だったので「上着をまとって湖に」飛び込みました。ヨハネは、岸に立つ人が主だと分かった瞬間、そのことを一早くペトロに知らせます。それは、弟子たちの中で、ペトロが一番、自分の罪深さに傷ついていたことを知っていたからです。この後ペトロは、海に飛び込んで岸に向かいましたが、その様子は、とてもペトロらしいのです。普通、海に飛び込む時、上着は脱ぎますが、ペトロは、逆に上着を着ています。これは、ヘルモン山でイエスさまが変貌された物語の回想です。その時ペトロは、モーセとエリヤと共に語り合うイエスさまに「お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう」と、真逆のことを言ったのです。真逆というのは、仮小屋が意味する礼拝の場所(教会)は、山の上ではなく、山の下である地上に、それも、ただイエスさまのために建てるものだからです。その後、他の弟子たちは、8節「魚のかかった網を引いて」「陸から二百ペキスばかり」(約90m)を漕いで、岸に戻りました。

 そうして、 9節「陸に上がってみると、炭火がおこして」あり「その上に魚がのせてあり、パンも」ありました。そして、10節11節「今とった魚を何匹か持って来なさい」とイエスさまが言われたので、ペトロは「舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱい」でしたが「網は破れて」いませんでした。 イエスさまは、弟子たちに、12節「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われました。その時、弟子たちは誰も「あなたはどなたですか」と問い質しませんでした。それは「主であることを知っていたから」です。極めつけは、次のイエスさまの行為です。イエスさまは、13節「パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされ」たのです。これは、ヨハネ福音書6章の5000人の給食の物語の回想です。 あの時5つのパンと2匹の魚は、イエスさまが分けて弟子たちに配らせ、5000人以上の人々が満腹しました。イエスさまは、このガリラヤ湖畔の大漁と満腹の出来事を通して、弟子たちに、もう一度「人間を取る漁師」としての召命を問われたのです。

 私も、弟子たちではないですが、自分の弱さによってイエスさまを裏切り、一度、牧師を辞めて実家に帰りました。その間、何かアルバイトをしようと思い、散歩中に、郵便ポストの求人を見て、すぐに郵便配達をしました。そこで、世の中や仕事の厳しさを知りました。社会人の経験が無かった自分にとって、その仕事は新鮮で、1年もすると慣れてきて、仕事が楽しいと思えるようになっていました。そんなある日、何でもない配達の途中、今思えば、頭に矢が貫通したような鋭い衝撃が走りました。その矢は「あなたは、人の言葉である手紙を人に届けているが、わたしが与えた神の言葉を、人に届ける召命のほうは、どうなったのか」という語りかけでした。それで、バイトを辞め、その後、引っ越しをした新しい地で、まずは、一信徒のように礼拝を守ろうと教会の門を叩きました。そう決めてからは、不思議と生活のためにバイトをしようと思って履歴書を出しても、その道は全く閉ざされて、どこも雇ってくれませんでした。一方、教会では、求められた時に、自分ができる奉仕の説教やお話し、また、奏楽をさせていただきながら、約2年の時を費やし、復帰に向けて動きました。

 私にとって、実家に帰り、そこで郵便配達の仕事をしていたというのは、まさにガリラヤでした。そして、そのガリラヤで、復活のイエスさまと出会ったのです。それまでも、復活という言葉は知っていました。また、説教の中でも、特に葬送式の説教では、復活という言葉を大事にしていました。でも、自分は、本当の意味で復活の主との出会いを果たしてはいなかったのだと気づかされたのです。それは、ヨハネ黙示録2章4節の、キリストの「初めのころの愛」に立ち戻るということです。復活の主は、いつも共にいてくださるからこそ、ガリラヤで御自身を現して、私たちを信仰の初心へと立ち戻らせ、召命の何たるかを心に刻んでくださいます。私たちは「初めのころの愛」に立ち戻り、主に召されたクリスチャン人生を謙虚に歩みたいと思います。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:19| 日記