2017年12月24日

2017年12月24日 イヴ礼拝説教「星に導かれて」須賀 工 牧師

聖書:マタイによる福音書2章1節〜12節

 今、私達は、クリスマス・イヴ礼拝を捧げています。クリスマスの喜びを共に、味わうことが許されていますことを、とても嬉しく感じています。
 そもそも、「クリスマス」とは何でしょうか。「イエス・キリストの誕生を記念する日」です。
しかし、正確に申し上げますならば、「クリスマス」とは、「キリストの誕生を記念して『礼拝』」をする日でもあります。「クリスマス」は、「キリスト」という言葉と「ミサ」−礼拝−という言葉が合わさった言葉だからであります。
このように、本当のクリスマスとは、「キリストを礼拝する」ことによって、その意味を満たしていることになります。
では、このキリスト礼拝に、招かれたのは、誰だったのでしょうか。それが、今、お読みしましたように「博士」たちだったのであります。
この博士たちは、イエス様がお生まれになった国の人ではありません。遠い東の国の人でありました。当時、ユダヤ人にとって、異国の人は、救われない人々であると考えられていたそうです。つまり、神様の救いからもれてしまったような人。彼らは罪人と呼ばれていました。そう呼ばれていた人々が、導かれて、守られて、イエス様の誕生に招かれていく。キリストを礼拝する場へと招かれていく。本来ならば、招かれるべきではない人が、キリストと出会う最初の礼拝へと招かれていく。これが、このクリスマス物語の大きな恵みなのであります。
博士たちには、当然、拝むべき自分の国の王もいました。彼らには、礼拝すべき他の神様もいました。彼らには、博士としての権威や地位もありました。彼らには、救い主を必要としないほどの十分な財産や力もありました。
そんな彼らがなぜ、救い主を求めたのでしょうか。それは、どれだけ、目に見える幸せを得たとしても、それが、本当の喜びにはならなかったからであります。どれだけ沢山のものに満ちあふれていても、喜びがあふれるほどのものにならなかったのであります。彼らは星の博士であったと言われていますが、星を観察することによって、人間の運命や国の運命を決めていたようです。
しかし、人間の運命を星で占ったところで、行き着く先には、等しく「死」が待っています。運命を知るということは、人間がいつか死んで行く運命であるということを知るだけのことであります。どれだけ豊かな人生を送っていても、死ぬだけの運命。それが人間であります。その意味において、彼らは、沢山のものに溢れていても、本当の喜びを持つことは出来なかったのではないか。そのように思うのです。
しかし、そのような、空しさの中でこそ、救い主の光があるのです。そのような空しさの中でこそ、本当の輝きが現れ出てくる。博士達の苦しみを知り、光を与え、星をもって導かれる。人間の普遍的な苦しみを、神様が知っていてくださり、キリストのもとへと導いて下さる。これが、このクリスマスの物語なのであります。
恐らく、博士達の中にも葛藤があっただろうと思います。この星の輝きを信じて良いのだろうか。救い主を受け入れて、本当に大丈夫なのか。今まで拝んできた王や神ではなく、この神様を信じて良いのだろうか。そういう葛藤はあっただろうと思います。
しかし、そのような葛藤の中においてもなお、神様は、星の光をもって彼らを導き、御子イエス・キリストと出会わせてくださる。そして、彼らを真の喜びへと導かれる。死を越えていけるほどの、喜びを与えてくださる。彼らが、救い主を見出したのではなく、星が先立って彼らを導き、つまり、神様が、彼らの心を知り、彼らを導き続けてくださる。そして、本当の喜び、死の運命すらも凌駕するほどの、大きな喜びの中へと導いて下さったのであります。
 このような博士達とは対照的な人もいます。それが、ヘロデやユダヤの人々です。なぜ、彼らはイエス・キリストを受け入れられなかったのでしょうか。それは、彼らが「恐れた」からであります。イエス様の存在を恐れたからです。なぜ、恐れたのか。自分たちの権威をなくすことを恐れたからです。ユダヤ人たちの立場から言えば、変化すること、何か新しくなることを恐れたからであります。今までの自分を捨てきることができなかった。今までの古い自分をぬぐい去れなかった。このままで良いと思った。だから、イエス様の誕生を受け入れられなかった。真の救い主の登場を素直に受け入れることが出来なかった。
 これは、決して、ヘロデだけの問題ではないと思います。私達一人一人の問題でもある。私達も又、イエス様を受け入れられないほどに、自分に固執することがある。自分が中心でいたい。自分が一番でありたい。そのように誰もが願うものであります。その時、私達もまた、救い主を恐れ、受け入れられない自分になっているのかもしれません。
しかし、このような人間の心の中にも、ちゃんとイエス様の存在は伝えられます。そして、招かれていく。ヘロデやユダヤ人達も招かれている者の一人であります。
しかし、大事なことは、自分の心にイエス様を迎えること。その時、私達は、本当の喜びに溢れることができる。死の運命に絶望するよりも、更に大きな救いと恵みを味わい知るものとされる。その大いなるメッセージこそが、クリスマスの大きな御言葉なのです。
どうか、この救い主を、皆様の救い主として迎え入れてください。今、救い主の誕生は、ここにいるあなたのために実現しているのです。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 22:15| 日記