2018年06月10日

2018年6月10日 主日礼拝説教「わたしを招くイエス様」須賀 工牧師

聖書:ルカによる福音書5章27節〜32節

 おはようございます。今朝は、花の日・子どもの日合同礼拝です。こうして、子ども達と共に、礼拝を捧げることができますことを、とても嬉しく思います。
 さて、今日は、イエス様のお弟子さんのお話です。イエス様のお弟子さんになれる人は、どういう人でしょうか。頭のいい人でしょうか。顔が美しい人でしょうか。お金を沢山もっている人でしょうか。あるいは、沢山の人に愛される人でしょうか。もし、そうであるならば、私など、絶対にイエス様のお弟子さんにはなれないだろうと思います。でも、本当に、そのような人たちが、イエス様のお弟子さんに選ばれるのでしょうか。
 イエス様のお弟子さんの中に、レビという人がいます。彼は、人々からとても嫌われていました。人からお金をとって、そのお金を自分のものにしたり、外国にお金を渡したりする、徴税人という仕事をしていたからです。だから、人々には嫌われていたし、人によっては、レビさんは神様にも嫌われている人だと言う人もいました。
 人々からも嫌われ、神様からも嫌われた人。それが、レビさんです。レビさんの心はどうだったでしょうか。悲しかったでしょうか。辛かったでしょうか。実は、違うんです。レビさんは、むしろ、それでも良いと思っていたようです。人から嫌われても良い。神様からも嫌われても良い。お金があれば、それで良い。そう思っていたようです。
 先ほど、読んだ聖書の箇所に、「レビさんは座っていた」という言葉があります。「座る」という言葉には、実は、もう一つ大事な意味があります。それは、「安心して休んでいる」という意味です。レビさんは、人々から嫌われていても、神様から嫌われていても、その悲しい現実を受け止め、座って、安心して、休んでいたのだと、聖書は示しているのです。
 けれど、このレビさんを見つめる人がいます。それがイエス様です。そして、イエス様は、私に従いなさい。そう言われました。レビさんは、特別な人ではありません。人々から嫌われ、神様からも嫌われ、もしかしたら、レビさんも、人を嫌い、神様を嫌っていただろうと思います。しかし、そのような心に闇を抱いている人に対して、イエス様は、私の所に来なさい。私のところへと歩み出しなさい。私の弟子になりなさい。そのように招いて下さる。レビさんが、イエス様の弟子になることを決意したのではなくて、イエス様が、レビさんを弟子として必要としてくださり、招いてくださる。そして、そのレビさんの弱さを赦し、歩み出す力を与えてくださる。これが、このお話の大切な部分でもあるのです。
 今日の説教の題名は、「わたしを招くイエス様」です。かつて、レビさんを招かれた、イエス様は、今、このわたしを、そして、あなたを招いておられます。私達も又、神様の前では小さな一人です。弱いところも沢山あります。失敗を一杯するこの私です。しかし、イエス様は、そのあなたが良いのだ。そのあなたを、わたしは招くのだ。そのように今朝、わたしたちを招かれるのです。
 わたしたちは、失敗することを恐れます。完璧な生活をしたい人もいます。出来れば、一度きりの人生、失敗したくない。そう思うことがある。けれど、失敗できない人生ほど、苦しいものはありません。失敗しても良いのです。ダメな自分でも良いのです。そんなあなたを、イエス様は、お弟子さんへと招かれます。大事なことは、そこから立ち上がり、歩き出せるか。イエス様は、そのお力も、きっと与えて下さるだろうと思うのです。
 イエス様は、今も、生きて、私達に語りかけています。「わたしに従ってきなさい。」共に立ち上がりましょう、共に歩み出しましょう。イエス様は、今も、あなたを招き、あなたの立ち上がる日を待ち望んでおられます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 15:12| 日記