2019年03月31日

2019年4月7日 礼拝予告

〇教会学校 9時15分〜
主題:「十字架上の犯罪人」
聖書:ルカによる福音書23章39節〜43節
※礼拝後、4月の誕生者を覚えて祝福の祈りを捧げます。
※礼拝後、誕生日会をします。
※保護者の方々もぜひ、共にお越しください。

〇主日礼拝 10時30分〜
主題:「あとから来る救い主」須賀 工牧師
聖書:マルコによる福音書1章1節〜8節
※礼拝後、五分の集い、信仰の学びがあります。

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 09:31| 日記

2019年3月31日 主日礼拝説教「彼らをお赦しください」須賀 工 牧師

聖書:ルカによる福音書23章32節〜38節

 今朝は、私達は、合同礼拝を捧げています。このようにして、大人と子どもが共に礼拝できることを嬉しく思います。
 さて、イエス様は、何の為に、この世界に来られたのでしょうか。それは、私達を救うためです。
 では、イエス様の救いとは何でしょうか。それが、あの「十字架」です。
 イエス様は、神様の子です。神様と同じお方でもあります。けれど、イエス様は、十字架に架かられました。私達は、もしかしたら、力のあるイエス様を望んでいるかもしれません。私達のために、沢山の奇跡を行ってくれて、私達を幸せにしてくれる。そういう救い主を望んでいるかもしれません。
 しかし、現実はどうであったでしょうか。人の目には無力な姿で、十字架に架かり、死んで行かれた。これがイエス様の本当のお姿であります。
 さて、イエス様は、十字架の上で、何と言われたでしょうか。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」このように言われました。これは、とても、すごい言葉なのではないでしょうか。
 なぜなら、十字架で苦しいのです。体が痛いのです。すぐに死んでしまうかもしれないのです。そのような苦しみの中で、イエス様は、このような祈りの言葉を語られたのです。
 十字架にかけられて、本当は、心も身体も、ものすごく痛いはずです。しかし、イエス様は、「自分のために祈らなかった」。「自分の痛みを取って欲しい」。そのように祈らなかった。それは、とても、すごいことなのではないでしょうか。私であれば、到底、そのように祈ることはできません。
 それに、イエス様は、「人間を呪うこともしなかった」。自分を傷つける人間たちを呪って欲しい。滅ぼして欲しい。そのようにも祈らなかった。これも、本当に驚くべきことではないでしょうか。イエス様は、神様と同じお方です。きっと、何も分かっていない人間を滅ぼすことも出来たはずです。でも、イエス様は、それをされなかった。人間を滅ぼすことよりも、赦すことを大事にしてくださったのです。
 イエス様は、十字架の上で「人間の罪は赦された!」とも言わなかったのです。「赦して欲しい」「赦してやって欲しい」。そのように祈られたのであります。
 つまり、神様の側ではなくて、弱い人間、罪深い人間、何も分かっていない人間。そのような人間の側にたって、救いを祈ってくださるのです。これもすごい恵みではないかと思います。
 本当に、イエス様は、無力なのでしょうか。十字架の上で、苦しみの中で、自分のためではなく、自分を傷つける人のために祈った。自分を呪う人のために救いを願った。自分を殺す人の側にたって、救いを祈った。本当に無力なのでしょうか。
 これが、イエス様の十字架の出来事です。無力に見えるかもしれない。しかし、そこにこそ、イエス様の本当の強さがあるのではないでしょうか。あるいは、人間を救いたい、赦したいという、神様の心の強さがここにあるのだと思うのです。
 私達は、この十字架を前にして、どこに立っているでしょうか。私達は、イエス様を十字架に架けてしまう。その側に立っているのではないでしょうか。私達は、自分の罪に気づかない事があります。イエス様のことを受け止められないこともあります。「イエス様なんて知らない。」「イエス様なんていらない。」「イエス様よりも、自分が大事。」そう思うことがあるかもしれない。あるいは、気づかないうちに、実は、そういう思いに支配されてしまうこともあるかもしれません。
 でも、こうして、十字架のことを思い出し、イエス様の「赦し」の言葉を聞くと、どうでしょうか。「本当は、この自分は赦されるべき罪人だったのだ」「自分には罪があったのだ」。「でも、イエス様は、十字架を通して、赦しがあることを教えてくれるのだ」。それが分かってくる。十字架のイエス様を思う時、人間は、赦されていることを知り、赦しが必要な罪人であることも気づけるのです。
 十字架の前に立ち、十字架の言葉に聴く時、私達は、その所で、自分の罪の深さ、弱さ、汚れを知ることができる。そして、同時に、この自分が赦されていることも知ることができる。
 だから、大事なことは、この十字架から目を背けないこと。ここだけを見つめていくこと。それが、大切なことなのです。
 私達人間にとって、一番の幸せは、神様に赦されて、神様の子どもとして生きられるということです。どれだけ裕福であろうと、どれだけ豊かな生活を送っていたとしても、神様を見失う生活であるならば、その生活の最後に希望はありません。
 貧しくても良い。弱くても良い。痛みがあってもよい。ただ、この十字架を見つめて生きる時、自分を赦し、自分と繋がり、家族にしてくださる。そのような神様がいることを、私達は心から知ることができる。それは、死を越えるほどの希望であり幸せなことなのです。この世界が、この自分の敵になったとしても、この自分のために痛みを負いながら赦しを願うイエス様がいる。このイエス様の赦しを受け入れて、私達を神様の子としてくださる神様がいる。それが、私達にとって大きな幸いなのです。それが、この御言葉から強く指し示されるのです。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 09:26| 日記

2019年3月31日 礼拝予告

〇教会学校  主日礼拝と合同です!

〇主日礼拝 10時30分〜
主題:「彼らをお赦しください」須賀 工 牧師
聖書:ルカによる福音書23章32節〜38節

※礼拝後、五分の集い、信仰の学びがあります。
※保護者の方々も是非、共にお越しください。

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 09:24| 日記