マタイによる福音書27章27節〜31節、エレミヤ書37章14節〜20節
「2種類の侮辱を被る主」
受難節レント四旬節の中、第3主日を迎えました。受難節は、第6主日まであるので、日数としては、まだ半分には満たないですが、主日としては、ちょうど真ん中の主日を迎えました。今、私たちは礼拝で、イエスさまの十字架の道行きを共に辿っています。今イエスさまは、無実の罪で捕まり、総督ピラトの前で裁判(裁き)を受けられ、不当な判決である死刑を宣告されたところです。それから、27節「総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた」のです。そこは、総督が仕事に従事する執務室です。ということは、そこは、これまでイエスさまが民衆に囲まれ、総督によって判決を下された法廷とは、明らかに違います。どのように違うのかと言えば、法廷は公の場で、官邸は密室という違いです。その官邸でイエスさまを取り囲んだのは、今度は民衆ではなく、イエスさまを総督官邸に連れて行った兵士たちが集めた部隊の全員です。外部の人の目が届かない密室で何が行なわれたのか、それは、今の時点で大体想像がつきます。
そうして兵士たちが、部隊の全員をイエスさまの周りに集めると、まず、28節「イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ」ました。イエスさまは、衣服をはぎ取られたあと、別の衣服を着せられました。衣服は、昔から防寒用の用途以外に、身分の証明という役割を果たしました。アラビアには「食べることは自分の愉悦のため、着ることは他人の愉悦のため」という諺があります。そのように、服装は、自分以上に、他人に及ぼす心理的影響が強かったのです。その中で預言者たちは、人々が身の丈に合わない栄華を極めるような衣服を非難しました。現に、最後の預言者と呼ばれる洗礼者ヨハネは、マタイ福音書3章4節を見れば「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」とあります。預言者たちは、反文化的な生き方に根差していたのだと分かります。イエスさまが着せられた「赤い外套」は、赤みを帯びた紫の衣服です。それは、高貴な身分の記号でした。だから“紫に生まれる”という表現は“王侯の家に生まれる”ことを意味し、“紫に昇進”という表現は“栄誉ある職に任ぜられる”ことを意味しました。おそらくイエスさまも、普通の下着や上着や帯などの衣類をはぎ取られ、その「赤い外套」を着せられたのです。けれども、これは、兵士たちがイエスさまを真のユダヤ人の王と見なしたがゆえの行為ではありませんでした。それは、このあとを読み進めれば分かります。29節には「茨で冠を編んで頭に載せ」とあります。この茨は“キリストイバラ”という名前の植物だと言われています。“トゲワレモコウ”という似た植物もあるようですが、冠にするには、柔らかい枝である必要があるため“キリストイバラ”説が有力のようです。それらの茨の棘は長く伸びています。よく目にする、ばらの三角の棘のようではないので痛みの程度が違います。これも勿論、冠は輝いていないので、兵士たちがイエスさまを真のユダヤ人の王と見なしたがゆえの行為ではありません。それから「また、右手に葦の棒を持たせて」とあります。この「葦の棒」は、水辺に茂る葦です。葦つながりで、あのモーセがイスラエルの民と共に渡った紅海は、通称「葦の海」と呼ばれています。葦は、アラビア語で、槍を意味し、茎は6mにもなり、槍の柄として使われたようです。ただ、ここで使用された葦の棒は、ヨルダン川の岸辺に繁茂する葦で、長さは2〜4m、茎も太くて竹のように節ができる固いものでした。イエスさまが、その棒を右手に持たされたのは、それを王笏に見立てるためです。これは、日本でも百人一首で位の高い人物が手に持っているような権威の象徴でした。これも兵士たちが、イエスさまを真のユダヤ人の王と見なしたがゆえの行為ではありません。
なぜなら兵士たちは、これらの一連の行為、つまり「赤い外套」を着せ「茨」の冠を被せ「葦の棒」をイエスさまに持たせたあと、何をしたかが物語っています。兵士たちは「その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と言って、侮辱した」のです。要するに、兵士たちは、イエスさまが王であることに関して、それを小ばかにし、囃し立て、からかって罵倒したのです。いわゆる、面白おかしく嘲笑的に扱ったのです。だから、端からイエスさまのことをユダヤ人の王だとは思ってもみません。死刑宣告され、拘束され、権威を失墜した、このような惨めな姿のイエスさまを見下し、辱しめ、名誉を傷つけたのです。いわゆる、これが、まず一つ目の侮辱、精神的侮辱です。石山教会では、牧師の傍ら教誨師の働きも担っています。昨年12月には、教会員の聖歌隊10名を伴って拘置所クリスマス会に行き、賛美歌や童謡を、たくさん歌いました。その刑務所や拘置所の今後は、2025年6月から改正刑法に基づき、従来の懲役と禁錮の2種類の刑罰が“拘禁刑”に一本化されます。これによって刑務作業が義務ではなくなり、更生のための指導や教育に多くの時間をかけられるようになります。実は、2022年6月にも「刑法等の一部を改正する法律」が成立していました。このうち侮辱罪の法定刑引上げに関する規定は、同じ年の2022年7月から施行されました。長らく侮辱罪は、法定刑の中でも一番軽い「拘留又は科料」でした。しかし、それが「1年以下の懲役もしくは禁錮もしくは30万円以下の罰金又は拘留もしくは科料」に引き上げられたのです。つまり、現在は、侮辱罪で逮捕が有り得るということになります。また、何度も同じ行為を繰り返した場合、刑務所への服役の可能性も有り得ます。例えば、具体的な事実を指摘せず、公然と不特定の人や多数の人に他者を軽蔑することを言った場合が、それに当たります。また、侮辱罪は名誉毀損罪とも関係しています。これは、侮辱罪よりも重い「3年以下の懲役もしくは禁錮又は50万円以下の罰金」です。だから、言葉や文字で発信する場合は、事実関係を把握した上で行なわなければならず、適切な言葉を選択する必要があります。話しを戻しますが、その後もう1種類の侮辱がイエスさまに対して行なわれました。30節「また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた」とある通りです。兵士たちは、イエスさまに「唾を吐きかけ」先程からかうために自分たちがイエスさまの右手に持たせた「葦の棒」を、今度は取り上げて頭を叩き続けました。これらは、いずれも暴行罪に値する罪です。暴行罪には、他に掴む、蹴る、押す、物を投げるなどがありますが、暴行罪の法定刑は「2年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金又は拘留もしくは科料」です。更に、それで相手が傷を負えば、暴行罪よりも重い傷害罪になります。傷害罪の法定刑は「15年以下の懲役刑又は50万円以下の罰金」です。
話しは変わって、隣接する清和幼稚園は、先週、無事に卒園式を迎えました。ここ数週間、毎週月曜日の礼拝は、十字架の道行きを一緒に辿りました。子どもたちは、イエスさまが十字架に向かって行かれる道を共に進む中で、それは、一年の成長の証しが、その理由かもしれませんが、静かに話しを聞くようになった気がするのです。それ以外の理由としては、やはり、イエスさまが十字架に向かって行かれる道では、裏切りや、今日の物語のように唾を吐く、叩くなど、子どもの世界では、しばしば見聞きする行動のせいかもしれません。子どもたちは、まだ言葉で表現できないもどかしさから、泣いたり、叩いたり、唾を吐いたりすることも、自分の気持ちを現す一つの手段になって表れることがあります。たとえ言葉を覚えたとしても、最初のうちは、その言葉でさえ、もどかしさを感じ、暴言という段階を経なければならないのかもしれません。しかし、言葉をしっかり覚えて身に着けて、自分のものにしていく過程で、そう言ったことは悪いことだと気づきます。大人の場合は、それが罪だと気づきます。そして、言葉で冷静に会話ができるようになっていくことが求められています。なぜなら、暴言で傷つく、からかわれて苦しめられる、望んでもいないのに笑われる、叩かれる、唾を吐きかけるなど、そういった被害対象者が出てからでは遅いからです。そうして、イエスさまの十字架の姿を見聞きすることで、それぞれが胸に手を当て、つまり、人が、どうのこうのではなく自分がどうなのかを、よく考える必要があります。それでも自分に罪は無いのか、それでも自分に非は無いのか、とりわけ自分に関しては、すべて棚に上げるのが私たちです。しかし、その罪は、棚から牡丹餅のようには落ちてくることはありません。自分が積み上げた、その分量が、棚から罪の責任として落ちてきます。積み上げてしまえば、自分の目や意識からは遠ざかるので、しばらくは平然として居られます。それが問題なのかもしれません。しかし、その報いは大きいのです。自分がしたことの報いを受けることは、向天吐唾という四字熟語でも知られています。天に唾を吐けば自分に落ちて来るという単純な話しです。それは実際、見えない神に対してというより、見える人に対して行なったことの報いです。
こうして兵士たちは、31節「イエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った」すなわち連行したのです。今日どうして、2種類の侮辱である侮辱罪と暴行罪について取り上げ、それらの罪について刑法を持ち出して事細かく参照したのかと言うと、それは、イエスさまを荒削りの十字架に付けたのは、紛れもなく、私たちだということを自覚し認識するためです。誰か他の人間ではなく自分が、今、直接は、そうではなかったとしても、刑法に引っかかるような罪を犯していた。或いは、犯してきたことを知るためです。自覚とは、自分自身の在り方を反省し、自分が何であるかを明瞭に意識することです。また、認識とは、物事をはっきりと知り、その意義を正しく理解することです。それを、キリスト教では、悔い改めと言います。後悔は先に立ちませんが、悔い改めは、自分を変えることのできる未来に向かっています。雰囲気だけのクリスチャン、格好だけのクリスチャンである必要は全くありません。私たちは、イエスさまに対して相応しくない罪を犯した。それは同時に、同じ人間に対してもしていること。だからこそ、謙虚に愛をもって生きていくことを、イエスさまの苦難と、その十字架は、私たちに教えてくれています。
2025年03月23日
2025年3月23日 主日スクリーン伝道礼拝説教「2種類の侮辱を被る主」大坪信章牧師
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:18| 日記
2025年3月23日 礼拝予告
〇教会学校 9時15分〜
聖 書:マタイによる福音書26章36節〜46節
説 教:「主イエス、ゲッセマネで祈る」
〇主日聖歌隊礼拝 10時30分〜
聖 書:マタイによる福音書27章27節〜31節、エレミヤ書37章14節〜20節
説 教:「2種類の侮辱を被る主」大坪信章牧師
感染予防対策をした上で、礼拝を献げています。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
聖 書:マタイによる福音書26章36節〜46節
説 教:「主イエス、ゲッセマネで祈る」
〇主日聖歌隊礼拝 10時30分〜
聖 書:マタイによる福音書27章27節〜31節、エレミヤ書37章14節〜20節
説 教:「2種類の侮辱を被る主」大坪信章牧師
感染予防対策をした上で、礼拝を献げています。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:06| 日記
2025年03月16日
2025年3月16日 主日聖歌隊礼拝説教「2人のイエスの処遇」大坪信章牧師
マタイによる福音書27章15節〜26節、エレミヤ書26章7節〜19節
「2人のイエスの処遇」
間もなく季節は、春を迎えようとしています。春と言えば、復活の季節。教会では、イースター、イエスさまの復活を祝います。そのイースターから、教会の暦は復活節に入りますが、今は、まだ受難節レントの真っただ中です。レントは、四旬節とも言いますが、一旬は10日なので、四旬で40日です。ですから、今ちょうど一旬を終えた、レントの4分の1が過ぎた状態です。このように、キリスト教における春は、受難と復活を覚える季節ですが、聖書が舞台のユダヤの国において、春は、ユダヤの三大祭りの中の1つ、過ぎ越しの祭りを祝います。今年は、4月13日(日)から19日(土)までの1週間です。この過ぎ越しの祭りは、旧約時代エジプトの国で奴隷だったユダヤの民が、モーセに率いられてエジプトの国を脱出した記念です。その際、神さまは10の災いをエジプトの国に下し、10番目の災いで、エジプト中の家畜から人間に至るまでの初子を取られました。その時、小羊の血を家の門口に塗ったユダヤ人の家だけは、災いが通り過ぎ、被害に遭わずに済みました。これが過ぎ越しの祭りの由来です。そうしてユダヤの人々の犠牲となり、ユダヤの人々救った小羊の血こそ、イエス・キリストの十字架の血なのです。しかし、そのことを、未だユダヤ人の多くや、世界の人々の多くは、理解するまでには至っていません。
聖書は言っています。15節「ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた」と。この「祭り」が過ぎ越しの祭りです。この祭りの中で、ローマ総督ピラトが民衆の希望する囚人を一人釈放したという恩赦は、毎年の慣例でした。これは、ローマの慣例ではなくユダヤの慣例です。そして、16節「そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた」のです。このバラバの「評判」が意味するのは、罪状に関してです。マルコ福音書とルカ福音書では「暴動と殺人」そして、ヨハネ福音書では「強盗」となっています。その中の「暴動」の言葉からは、バラバが革命を起こそうとしたことが分かります。バラバは、ユダヤの熱心党の党員で、ローマの支配に対する反抗運動の首領者でした。奇しくも彼の名は、イエスさまと同じ名前でしたが、当時「イエス」という名前は、珍しくありませんでした。更に「バラバ」という名前は、アッバの子、つまり、父の子を意味しています。
こうして、2人のイエスの恩赦の舞台が整いました。そこで、17節「ピラトは、人々が集まって来たときに」言いました。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか」と。この時、実際に民衆が聞いた言葉の感触は、もっと際どかったと思います。なぜならピラトは「どちらを釈放してほしいのか。」「父の子イエスか、神の子(御子)イエスか」と問うたからです。まるで、どちらも同じように、それは、どちらも救い主と言っているように聞こえないでもありません。しかし、ピラトの中では、既に、この問いへの答えが出ていました。それは、民衆が「神の子イエス」を「釈放しろ」と叫ぶという結果です。なぜなら、ピラトには、18節「人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたから」です。この「人々」とは、当時の宗教指導者たちです。彼らは、イエスさまが人々の間で持て囃され、人気者になり、反って自分たちが注目されず、尊敬もされなくなったのでイエスさまを妬んだのです。それでピラトは、イエスという名前が、どちらも同じという、“そこ”ではなく、民衆が恩赦の判断をし易いように「評判の囚人」「バラバ・イエス」を「メシア・イエス」と共に、民衆の前に立たせたのです。
こうして、19節「ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった」と、聖書は伝えています。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました」 と。「あの正しい人」とは、イエスさまのことです。ピラトの妻は、そのイエスさまのことで夢を見て苦しめられたようです。その苦しみが、罪悪感によるものか、神の御使いによるものかは分かりません。このピラトの妻の伝言から分かることは、イエスさまが「正しい人」つまり、罪が無い方だったということです。だから、イエスさまの裁判に関わらないように、妻は夫に伝言しましたが、時、既に遅しで、賽は投げられ、もはや乗り掛かった舟状態でした。ピラトは『2人のイエスの処遇』について、既に民衆に問うてしまったからです。もう後戻りはできません。ただ、ピラトは「バラバ・イエス」を恩赦の引き合いに出すことで、民衆が釈放を望むのは「メシア・イエス」のほうだと高を括っていました。しかし、20節、水面下では、宗教指導者である「祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した」のです。それも、そうです。考えても見れば、バラバは、ユダヤ人社会から見れば、ローマの支配への反抗運動の首領者ということは、願ってもない存在だったからです。なので、そもそもバラバを恩赦の引き合いに出すべきだったのかは、首を傾げるところです。案の定、総督が人々に、21節「『二人のうち、どちらを釈放してほしいのか』と言うと、人々は、『バラバを』」と言いました。続けてピラトが、22節「『では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか』と言うと、皆は、『十字架につけろ』と言った」のです。
そこで、慌てたであろうピラトは、23節「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言いましたが、もはや焼け石に水でした。群衆が「ますます激しく、『十字架につけろ』と叫び続け」たため、ピラトは、24節「それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った」のです。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」 と。要するにピラトは、この問題の、すべてを放り投げ、今頃になって妻の助言通り、イエスさまの十字架の血に対して、自分の身の潔白を証明したのです。そして、イエスさまの十字架の血の責任は「お前たち」つまり、ユダヤ人にあると言ったのです。すると、25節「民はこぞって」「その血の責任は、我々と子孫にある」と答えたので、 26節「ピラトはバラバを釈放し」イエスさまを「鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した」のです。
普通に考えて、ローマの支配に対して反抗運動を首謀した者を放免し、妬まれただけの罪のないイエスさまを鞭打つとは、ピラトの裁判は、何ともお粗末だなという印象を受けます。この『2人のイエスの処遇』は、完全に的外れでした。的外れとは、聖書的に言えば、罪です。ピラトは、イエスさまが釈放され、自分の思い通りに事が運ぶものと思って恩赦の問題を軽く考えていたようです。しかし、結果は重大でした。確かに、妻の助言も手伝って、恩赦の問題の最終段階で、ぎりぎり自分だけ、水で手を洗うことによって身の潔白を世に示しましたが、結果バラバを釈放し、イエスさまを人々の要求通り十字架に架けるために引き渡した事実が消えることはありません。だから、未だに私たちは、私たちの信仰告白(使徒信条)の中で、このように口にしています。「主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん」と。
こうして、目も当てられない『2人のイエスの処遇』は、ピラトの裁判の下で改善されず、事態は急変し、風雲急を告げました。そこには、悪が支配し、正義が打ち砕かれる理不尽な光景が広がっています。それは、全世界が、それまでに見たこともないほど残忍で、驚愕する、悲しい十字架という大事件を予感させるものでした。イメージとしては、暗雲立ち込めたというか、その中で猛烈な突風が吹き荒れたというか、その上、強風の音が、まるで人間の呻き声のようにビュービューと聞こえるといったらよいでしょうか。それは、単なる自然現象としての嵐に遭遇した、そのような恐ろしさではありません。闇が支配する。暗黒が支配する。息も止まるほどの恐ろしさです。後悔してもし切れず、立ち上がろうとしても、自分がどこに立っているのかも分からない。そのような手探り状態の中、それは、恐ろしいというより、ただただ悲しいのです。悲しみの真っただ中に取り残された、そのような感じを受けるのです。
しかし、そのようなの中にも、神の御心は働いていました。神の御子であるイエスさまが、十字架の死によって引き裂かれる御体(みからだ)が、また、その流される御血(おんち)が、私たちの救いとなるからです。その十字架の血によって、全人類の罪の贖いが成し遂げられるというのは、人知では到底、計り知ることなどできませんでした。つまり、イエスさまは、過ぎ越しの祭りの中で屠られ、血を流す神の小羊なのです。そして、このイエスさまの十字架の血によって、私たちは、罪を免れ、死と滅びという災いを被ることなく、永遠の死をも回避するのです。こうして、私たちが、このイエスさまの十字架の血を信じ、イエスさまに感謝して従って生きる時、私たちは、もう、永遠の死を受け継ぐ者ではなくなったのです。むしろ、復活と永遠の命を受け継ぐ者としていただいたのです。この喜びと感謝を胸に抱きながら、このあとも、受難節レントの中、自らの罪を悔い改めつつ、その心を神さまに向けて、自らを神さまに献げていきたいと思います。
「2人のイエスの処遇」
間もなく季節は、春を迎えようとしています。春と言えば、復活の季節。教会では、イースター、イエスさまの復活を祝います。そのイースターから、教会の暦は復活節に入りますが、今は、まだ受難節レントの真っただ中です。レントは、四旬節とも言いますが、一旬は10日なので、四旬で40日です。ですから、今ちょうど一旬を終えた、レントの4分の1が過ぎた状態です。このように、キリスト教における春は、受難と復活を覚える季節ですが、聖書が舞台のユダヤの国において、春は、ユダヤの三大祭りの中の1つ、過ぎ越しの祭りを祝います。今年は、4月13日(日)から19日(土)までの1週間です。この過ぎ越しの祭りは、旧約時代エジプトの国で奴隷だったユダヤの民が、モーセに率いられてエジプトの国を脱出した記念です。その際、神さまは10の災いをエジプトの国に下し、10番目の災いで、エジプト中の家畜から人間に至るまでの初子を取られました。その時、小羊の血を家の門口に塗ったユダヤ人の家だけは、災いが通り過ぎ、被害に遭わずに済みました。これが過ぎ越しの祭りの由来です。そうしてユダヤの人々の犠牲となり、ユダヤの人々救った小羊の血こそ、イエス・キリストの十字架の血なのです。しかし、そのことを、未だユダヤ人の多くや、世界の人々の多くは、理解するまでには至っていません。
聖書は言っています。15節「ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた」と。この「祭り」が過ぎ越しの祭りです。この祭りの中で、ローマ総督ピラトが民衆の希望する囚人を一人釈放したという恩赦は、毎年の慣例でした。これは、ローマの慣例ではなくユダヤの慣例です。そして、16節「そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた」のです。このバラバの「評判」が意味するのは、罪状に関してです。マルコ福音書とルカ福音書では「暴動と殺人」そして、ヨハネ福音書では「強盗」となっています。その中の「暴動」の言葉からは、バラバが革命を起こそうとしたことが分かります。バラバは、ユダヤの熱心党の党員で、ローマの支配に対する反抗運動の首領者でした。奇しくも彼の名は、イエスさまと同じ名前でしたが、当時「イエス」という名前は、珍しくありませんでした。更に「バラバ」という名前は、アッバの子、つまり、父の子を意味しています。
こうして、2人のイエスの恩赦の舞台が整いました。そこで、17節「ピラトは、人々が集まって来たときに」言いました。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか」と。この時、実際に民衆が聞いた言葉の感触は、もっと際どかったと思います。なぜならピラトは「どちらを釈放してほしいのか。」「父の子イエスか、神の子(御子)イエスか」と問うたからです。まるで、どちらも同じように、それは、どちらも救い主と言っているように聞こえないでもありません。しかし、ピラトの中では、既に、この問いへの答えが出ていました。それは、民衆が「神の子イエス」を「釈放しろ」と叫ぶという結果です。なぜなら、ピラトには、18節「人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたから」です。この「人々」とは、当時の宗教指導者たちです。彼らは、イエスさまが人々の間で持て囃され、人気者になり、反って自分たちが注目されず、尊敬もされなくなったのでイエスさまを妬んだのです。それでピラトは、イエスという名前が、どちらも同じという、“そこ”ではなく、民衆が恩赦の判断をし易いように「評判の囚人」「バラバ・イエス」を「メシア・イエス」と共に、民衆の前に立たせたのです。
こうして、19節「ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった」と、聖書は伝えています。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました」 と。「あの正しい人」とは、イエスさまのことです。ピラトの妻は、そのイエスさまのことで夢を見て苦しめられたようです。その苦しみが、罪悪感によるものか、神の御使いによるものかは分かりません。このピラトの妻の伝言から分かることは、イエスさまが「正しい人」つまり、罪が無い方だったということです。だから、イエスさまの裁判に関わらないように、妻は夫に伝言しましたが、時、既に遅しで、賽は投げられ、もはや乗り掛かった舟状態でした。ピラトは『2人のイエスの処遇』について、既に民衆に問うてしまったからです。もう後戻りはできません。ただ、ピラトは「バラバ・イエス」を恩赦の引き合いに出すことで、民衆が釈放を望むのは「メシア・イエス」のほうだと高を括っていました。しかし、20節、水面下では、宗教指導者である「祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した」のです。それも、そうです。考えても見れば、バラバは、ユダヤ人社会から見れば、ローマの支配への反抗運動の首領者ということは、願ってもない存在だったからです。なので、そもそもバラバを恩赦の引き合いに出すべきだったのかは、首を傾げるところです。案の定、総督が人々に、21節「『二人のうち、どちらを釈放してほしいのか』と言うと、人々は、『バラバを』」と言いました。続けてピラトが、22節「『では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか』と言うと、皆は、『十字架につけろ』と言った」のです。
そこで、慌てたであろうピラトは、23節「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言いましたが、もはや焼け石に水でした。群衆が「ますます激しく、『十字架につけろ』と叫び続け」たため、ピラトは、24節「それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った」のです。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」 と。要するにピラトは、この問題の、すべてを放り投げ、今頃になって妻の助言通り、イエスさまの十字架の血に対して、自分の身の潔白を証明したのです。そして、イエスさまの十字架の血の責任は「お前たち」つまり、ユダヤ人にあると言ったのです。すると、25節「民はこぞって」「その血の責任は、我々と子孫にある」と答えたので、 26節「ピラトはバラバを釈放し」イエスさまを「鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した」のです。
普通に考えて、ローマの支配に対して反抗運動を首謀した者を放免し、妬まれただけの罪のないイエスさまを鞭打つとは、ピラトの裁判は、何ともお粗末だなという印象を受けます。この『2人のイエスの処遇』は、完全に的外れでした。的外れとは、聖書的に言えば、罪です。ピラトは、イエスさまが釈放され、自分の思い通りに事が運ぶものと思って恩赦の問題を軽く考えていたようです。しかし、結果は重大でした。確かに、妻の助言も手伝って、恩赦の問題の最終段階で、ぎりぎり自分だけ、水で手を洗うことによって身の潔白を世に示しましたが、結果バラバを釈放し、イエスさまを人々の要求通り十字架に架けるために引き渡した事実が消えることはありません。だから、未だに私たちは、私たちの信仰告白(使徒信条)の中で、このように口にしています。「主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん」と。
こうして、目も当てられない『2人のイエスの処遇』は、ピラトの裁判の下で改善されず、事態は急変し、風雲急を告げました。そこには、悪が支配し、正義が打ち砕かれる理不尽な光景が広がっています。それは、全世界が、それまでに見たこともないほど残忍で、驚愕する、悲しい十字架という大事件を予感させるものでした。イメージとしては、暗雲立ち込めたというか、その中で猛烈な突風が吹き荒れたというか、その上、強風の音が、まるで人間の呻き声のようにビュービューと聞こえるといったらよいでしょうか。それは、単なる自然現象としての嵐に遭遇した、そのような恐ろしさではありません。闇が支配する。暗黒が支配する。息も止まるほどの恐ろしさです。後悔してもし切れず、立ち上がろうとしても、自分がどこに立っているのかも分からない。そのような手探り状態の中、それは、恐ろしいというより、ただただ悲しいのです。悲しみの真っただ中に取り残された、そのような感じを受けるのです。
しかし、そのようなの中にも、神の御心は働いていました。神の御子であるイエスさまが、十字架の死によって引き裂かれる御体(みからだ)が、また、その流される御血(おんち)が、私たちの救いとなるからです。その十字架の血によって、全人類の罪の贖いが成し遂げられるというのは、人知では到底、計り知ることなどできませんでした。つまり、イエスさまは、過ぎ越しの祭りの中で屠られ、血を流す神の小羊なのです。そして、このイエスさまの十字架の血によって、私たちは、罪を免れ、死と滅びという災いを被ることなく、永遠の死をも回避するのです。こうして、私たちが、このイエスさまの十字架の血を信じ、イエスさまに感謝して従って生きる時、私たちは、もう、永遠の死を受け継ぐ者ではなくなったのです。むしろ、復活と永遠の命を受け継ぐ者としていただいたのです。この喜びと感謝を胸に抱きながら、このあとも、受難節レントの中、自らの罪を悔い改めつつ、その心を神さまに向けて、自らを神さまに献げていきたいと思います。
posted by 日本基督教団 石山教会 at 10:19| 日記